この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
亀山社中から近い「風頭公園」は、長崎の坂本龍馬巡礼のメッカ
風祭公園【目次】
風頭公園のロケーション
「風頭公園」は、観光スポットが集まる長崎のウォーターフロントから、クルマで5キロほど離れた標高約150メートルの風頭山にあり、市民からは「ハタ揚げ(凧揚げ)」あるいは桜、あじさい、さらには夜景の名所として親しまれている。
晴れていればご覧の美しい長崎の景観が見られるのだが、似たような景色は「グラバー園」や「稲佐山」からでも眺められるため、アクセスの悪い「風頭公園」まで、はるばる足を運ぶ一般の観光客は少ない。
ただ、ここには坂本龍馬フリークにとって”長崎のランドマーク”と呼べるブロンズ像が立っている。
他の観光地から離れた場所にあり、風光明媚な景色と龍馬に関する資料館があって、なによりファンにとっては”聖地”と呼べるところ…
その観点から見た「風頭公園」は、高知の「桂浜」とよく似ている。
筆者は3度ここを訪ねているが、この日は長崎では珍しい吹雪に遭遇した。
これもまた「一期一会」。屋外での取材や撮影に、必ず晴れる保証はない。
波乱万丈の人生を歩んだ坂本龍馬らしいと受け止め、突然の寒さに縮こまる手でシャッターを切り、なんとか1枚写して帰ってきた(笑)。
周辺の主な坂本龍馬がらみの見どころ
まずは噂のブロンズ像。
この坂本龍馬は、「龍馬の銅像建つうで会(現長崎龍馬会)」の活動と、全国からの募金によって1989年に建立されたものだが、そのことも桂浜に立つ銅像と共通している。
造形は龍馬本人によく似ていると評判だ。
いっぽうこちらは、ブロンズ像の隣にある司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の一文が刻まれた文学碑。
刻まれているテキストは以下の通り。
船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、「長崎はわしの希望じゃ」と、陸奥陽之助にいった。「やがては日本回天の足場になる」ともいった。
司馬遼太郎「竜馬がゆく」より
この石碑は、司馬遼太郎好きにはたまらない(笑)。
さて。
正確に云うと「風頭公園」にある坂本龍馬ゆかりの見どころは、この2つのモニュメントになる。
マップを見ればわかるが、「風頭公園」から一度坂を下ったところから、下の「龍馬通り」が始まり、その先に「長崎市亀山社中記念館」があるのだが、続けて周るには「若さ」が必要だ(笑)。
亀山社中にも行くなら、クルマでの移動がお勧め
「風頭公園」から「長崎市亀山社中記念館」に行く途中にはご覧の長い石段があり、行きは下りだが、帰りは登って帰る必要がある。
龍馬がそうつぶやきながら歩いたかどうかはわからないが(笑)、「龍馬通り」は坂本龍馬と亀山社中の同志達が、どこへ行くにも上り下りしていたという道筋を、近年になって長崎市が「長崎歴史探訪路」として整備したという。
写真は「龍馬伝」が放送された2010年10月当時の様子。
渋滞してます!それも大渋滞(笑)。
恐るべし大河ドラマ。そして見習うべし長崎市の嗅覚。
龍馬のおかげで大河ドラマに登場することが多い長崎市は、その絶大なる集客力を熟知しており、事前に人が集まりそうなところをきちんと整備している。
「長崎市亀山社中記念館」もそのひとつなのだが、この年は入館できるまでに、なんと1時間近く待たされた(笑)。
それはそれとして…
上のマップからは想像がつかないと思うが、約700メートルしかない「小川ハタ店の駐車場」から「長崎市亀山社中記念館」まで、人っ子一人観光客のいない2020年12月に、筆者が要した往復の見学時間は、なんと2時間(笑)。
寒さに凍えながら、「龍馬のぶーつ像」を加えた要所要所で写真を撮っているとはいえ、道中の坂道に体力と時間をかなり奪われた。
若い人や日頃からウォーキングをされている方なら持つと思うが、四捨五入で70歳に手が届くという御仁には、「風祭公園」と「亀山社中」はクルマで駐車場を移動して行かれたほうがいいと思う。
詳細は亀山社中の説明と合わせて、以下の記事でご確認を。