この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

「グラバー園」を満喫するには、まずはその住人だった人物のことをよく知る必要がある。
グラバー園 大人の見どころガイド【目次】
「グラバー園」観光の入口は、「トーマス・ブレーク・グラバー」
「グラバー園」観光の入口は、「トーマス・ブレーク・グラバー」
「グラバー邸」から始まって、「グラバー住宅」あるいは「旧グラバー住宅」、そして今は「グラバー園」と呼んでみたり…
リピーターのみならず、初めて訪ねてみようと思う旅人にとって、なんとも紛らわしい名前のこの施設は、日本の「お城」に例えると分かりやすい。
いい例が「大坂城」だ。
日本人なら誰もが、最初に「大坂城」を築城したのは豊臣秀吉で、秀吉が辿った天下人への歩みもあらかた知っている。
ゆえに予習していかなくても、「大坂城」はそれなりに楽しめる。
だがチコちゃんは知っている(笑)。
実は現代人が見ているのは、江戸幕府の2代目将軍・徳川秀忠が築城した「大阪城」を再現したもので、秀吉が生きていた時代の城とはまったく違う。
そのため漢字も、「大坂城」「大阪城」と違えて表記することが多い。
それと同じで、「グラバー園」をそれなりに楽しむには、建物である「グラバー住宅」の住人であった、「グラバー」のことを知らなければ片手落ちだ。
そもそも「トーマス・ブレイク・グラバー」は、何のためにはるばるスコットランドから日本にやってきたのか?
よほどの用事がなければ、わざわざ家を建てる人はいない。
しかも「グラバー住宅」がある場所は、後年に様々な建物が移築された「長崎明治村」というテーマパークになっているため、核心部分がぼやけやすい。
その点も「大阪城公園」と共通している。
「トーマス・ブレーク・グラバー」の功績
スコットランド人のグラバーが、日本にやってきたのは21歳の時。
上海から開港後まもない長崎に移り、2年後に「グラバー商会」を設立する。もちろん目的は、異郷の地で「一発当ててやること」に決まっている。
当初は地道に生糸やお茶の輸出業を営んでいたが、幕末の政治的混乱に着目。
機を逃さず、討幕派の藩・佐幕派の藩・幕府を問わず、武器弾薬を販売して莫大な利益をあげることに成功した。
そのことから幕末のドラマや映画には、よくグラバーが登場する。

出典:NHK
それは大河ドラマ「龍馬伝」も例外ではなく、第33話「亀山社中の大仕事」で、龍馬はグラバー邸に乗り込み、軍艦購入の話を持ちかけている。
ただ亀山社中と取引を行っていたのは事実のようだが、龍馬がグラバー邸を訪れたという資料は残っていない。
余談になるが、このあたりが脚本家の福田靖らしい脚色で、その曖昧さに乗じて、龍馬を支援していた豪商の大浦慶や、実際に愛人とされた芸者の「お元」まで絡めてくるから、おかしれ~(笑)。
また「龍馬の隠し部屋」と噂される廊下の天井裏にある部屋も、実際は単なる物置部屋だったらしいのだが、「龍馬伝」ではこの隠し部屋にいた高杉晋作と坂本龍馬が再会する場面も登場する。
ここらが「龍馬伝は歴史ドラマではなく、ホームドラマ」と揶揄される所以だが、この時期に高杉晋作は本当に長崎にいて、グラバーとも接触をしていたわけで、綿密な時代考証をしたうえで、ありそうでなさそうなところを絶妙に突いていると感心せざるを得ない。
ちなみに写真は改修前の2010年に撮影したものだが、説明パネルは世界遺産登録後に行われた改修工事で取り外され、現在はなくなっているとのこと。
確かにこれがあろうとなかろうと、その価値に何ら影響はないだろう(笑)。
さて。貿易以外のグラバーの主な功績としては、以下の事業が挙げられる。
●大浦海岸において、日本で初めて蒸気機関車を走らせた。
●小菅に船工場(ドック)を造った。
●近代的な採炭技術を導入した高島炭鉱の開発。
グラバー商会は明治維新以降も新政府との関係を深めていたが、武器が売れなくなったことや諸藩からの資金回収が滞ったことなどの理由が重なり、1870年(明治3年)に破産してしまう。
とりわけ大きかったのは、大規模な内戦になると予想していた「鳥羽伏見の戦い」で、グラバーが肩入れした新政府軍が、「錦の御旗」で一気に幕府軍から勝利をおさめたことだという。
グラバーは見込みで仕入れた大量の武器と戦艦を抱えたまま、文字通り沈んだ。
それでもグラバー自身は高島炭鉱の実質的経営者として日本に留まり、1881年(明治14年)の官営事業払い下げで三菱の岩崎弥太郎が高島炭鉱を買収してからも、所長としてその経営に当たった。
さらに1885年(明治18年)以後は三菱財閥の相談役として活躍し、経営危機に陥ったスプリング・バレー・ブルワリーの再建を岩崎に勧め、後の麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)の基礎を築いている。
いっぽう私生活では、五代友厚の紹介でツルと結婚。
晩年は東京で過ごし、1908年(明治41年)には、外国人として破格の勲二等旭日重光章を授与している。
グラバー園の全容
冒頭で少し触れたが、現在9棟の伝統的建造物を有する「グラバー園」の前身は「長崎明治村」。
1974年に新たな名称を公募し、「グラバー園」に改称された経緯を持つ。
ただ行ってみると、そこはまさに写真の愛知県犬山市にある本家「明治村」を彷彿させる雰囲気で、そのまま「長崎明治村 グラバー園」でよかったのでは?と感じた。
~「グラバー園」の足跡~
1863年(文久3年)
南山手3番地に「グラバー邸」が建てられる
1939年(昭和14年)
トーマス・グラバーの嫡子、倉場富三郎が「グラバー邸」を三菱に売却
1957年(昭和32年)
三菱長崎造船所が、創業100周年記念事業の一環として「グラバー邸」を長崎市に寄贈。翌年から一般公開が始まる
1961年(昭和36年)
「グラバー邸」が正式名称「旧グラバー住宅」として、国の重要文化財に指定される
1970年(昭和45年)
長崎市が「長崎明治村」構想を発表
1974年(昭和49年)
公募の結果、「長崎明治村」を「グラバー園」に改称する
2008年(平成20年)
「旧グラバー住宅」が世界遺産候補「九州・山口近代化産業遺産群」の構成資産に選ばれる。また「グラバー園」がミシュランの2つ星を獲得する
2015年(平成27年)
「旧グラバー住宅」が世界遺産登録に登録される
さて。
展示施設のうち、「旧グラバー住宅」「旧リンガー住宅」「旧オルト住宅」は居留地時代に建築され、150年以上この地に建ち続けている貴重な建物だ。
旧リンガー住宅
旧オルト住宅
これらは国指定重要文化財に指定されているが、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産にも登録されているのは「旧グラバー住宅」のみになる。
世界遺産 旧グラバー住宅
1863年(文久3年)に建築されたことが確認されている「旧グラバー住宅」は、「大浦天主堂」の建設を請け負った天草の小山秀之進が建設に携わったと云われる、日本に現存する最古の木造洋風住宅。
コロニアル様式と日本の伝統的な建築技術を融合した建物は、半円形を描く寄棟式の屋根や、広いベランダ、石畳に並ぶ円柱間のアーチ型欄間などの特徴が見られ、日本瓦や土壁など日本の建築技術もあわせて用いられている。
中では往時の晩餐の様子が再現されており、豊かな暮らしぶりがよく分かる。
一方、残りの6棟は明治中期に長崎市内に建てられた洋風建築をグラバー園へ移築復元したもので、各建物に当時を思わせる特徴があり、明治時代の長崎を知る貴重な建物とされる。
その中の筆者のお勧めは「旧三菱第2ドックハウス」。写真は西日を浴びてピンクがかっているが、本当は白い建物だ。
ドックハウス(DOCK HOUSE)とは、船が修理のためにドックに入っている間、乗員が宿泊する施設のことで、三菱造船所第二船渠(ドック)の建設に伴ない、その傍らに建てられたものを、昭和49年にグラバー園に移築している。
グラバー園では、この2階テラスからの眺望が一番いい。
ちなみに「グラバー園」は、期間限定でライトアップされる。
「グラバー園」から見下ろせる長崎港には、年間200~300隻ものクルーズ客船が入港するので、運良くその日に当たれば、このような光景も見られる。
なお、もし日没まで時間が余るようなら、日本で初めての西洋料理レストラン「自由亭」で一息つくといい。
「自由亭」では、長崎にゆかりの深いオランダ人が考案した、24時間かけて水で一滴ずつ抽出する、薫り高く濃厚なダッチコーヒーを味わうことができる。
「グラバー園」の入園料はおとな620円、通常営業時間は8時~18時、ライトアップの詳細は公式サイトで確認を。
グラバー園のロケーション
「グラバー園」がある長崎市内の南山手・東山手地区は、1858年(安政5年)に江戸幕府とアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスとの間で締結された通商条約(安政五カ国条約)以降、外国人居留地としての造成が始まり、主に住宅地として利用されてきた。
1991年(平成3年)4月には、重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、「グラバー園」の近くには、2018年に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつで、国内最古の教会「大浦天主堂」もあることから、長崎でもっとも異国情緒あふれる風光明媚な観光エリアと云われている。
しかし、隣接して異なる類の世界遺産があるというのも珍しい。予習して行かなければ、そのことに気づくこともないだろう。
「大浦天主堂」の拝観料は1000円(大浦天主堂キリシタン博物館の入場料含む)。残念ながら中は撮影禁止になっている。
「グラバー園」駐車場ガイド
「グラバー園」に専用駐車場はない。
最寄りの駐車場は、グラバー園まで徒歩6分、大浦天主堂まで徒歩4分のところにあり、50台が収容できる「グラバー園・大浦天主堂下駐車場」だが、立地がいいぶん、1時間500円と駐車料金は割高だ。
プラス5分ほど離れるが、安いのは1時間300円の長崎市営「松が枝町駐車場」、もしくは同じく長崎市営の「松が枝町第2駐車場」で、97台が収容できる第2駐車場は、混雑時でも駐められる可能性が高い。
なお、「松が枝町駐車場」の高さ制限は2.0メートルだが、「松が枝町第2駐車場」は車高3.7メートルの車両まで入庫できる。
また筆者イチオシの車中泊スポット、「長崎水辺の公園」からでも歩いて行くことができる。
Ps:なぜこんなに詳しい話が書けるのか…
実はこの記事は、2017年に軍艦島に渡るために長崎を訪ねた時の取材記録に、それまでのストックフォトと、ネットで調べたり電話で確認した2021年12月時点の最新情報を上乗せしている。
筆者はすべてではないが、重要なところでは取材記録を残すようにしている。せっかくなので、ここではその取材記録をあわせて披露しよう。
このくらいのことをしないと、リアルな記事は生まれない。「アラ還」のおじさんが汗を書いているのに、写真も撮れない若造がパソコン一丁で「提灯記事」を書いているのは、実に嘆かわしい…
「おんし、要領だけでこの世界は生きていけんぜよ!」ってなもんだ。ちょっとは勉強してグラバーを見習え(大笑)。
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