【2022年11月更新】
歴史に詳しいクルマ旅のプロがまとめた、呼子の名護屋城のおすすめ見学法と駐車場及び車中泊場所に関する記述です。
この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
呼子の名護屋城は、「リアル侍ジャパン」が布陣した幻の名城
「名護屋城跡」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2014.01.16
2018.01.01
2020.12.31
※「名護屋城跡」での現地調査は2021年12月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2022年10月に更新しています。
名護屋城【目次】
名護屋城のプロフィール
ご承知の通り、戦国時代は「川中島の戦い」や「桶狭間の戦い」など、日本の有力武将同士が領地の覇権をかけた戦いを、長きにわたって繰り返していたのだが、豊臣秀吉が天下人となったことで情勢は大きく変わった。
戦地は日本から朝鮮半島へと舞台を移すことになる…
「名護屋城」は、文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)に際して築かれた平山城で、五重の天守や御殿を擁し、その規模は当時の城郭では大坂城に次ぐ広壮なものであったという。
それがたったの5ヶ月で築城され、さらに周辺には全国から招集された大名の陣屋が130以上並び、人口20万人を超える城下町が呼子に出現したというのだから、絶頂期の豊臣家の力は想像するに余りある。
だが秀吉の死後、大陸進攻が中止されたために城は役目を失い、主な建物は唐津城に移築された。
この幻ともいえる巨城跡は、国の特別史跡に指定され、2006年(平成18年)には日本100名城にも選定されている。
名護屋城は、「サムライ・ジャパン」の痕跡
歴史好きの旅人にとって「名護屋城」の着目すべき点は、まさに唯一無二ともいえる真の「サムライ・ジャパン」の陣屋跡が、今も遺構として残されていることだろう。
もちろん主だった武将の陣屋跡を訪ね歩くのもいいと思うが、思っているほど楽じゃなかった(笑)。
なので玄界灘を眺めながら、この武将総動員が招いた結末に、思いを馳せるほうが中高年にはいいと思う。
なぜなら2度にわたる朝鮮出兵は、秀吉亡き後の豊臣家の分裂に大きく関わっており、天下分け目の決戦となる「関ヶ原の戦い」の導火線は、ここに端を発していると云っても過言ではないからだ。
大河ドラマの「軍師官兵衛」と「真田丸」を見ていた人は分かると思うが、なぜ石田三成が、幼なじみである福島正則や加藤清正、そして黒田長政からも、あれほど嫌われるようになってしまったのか…
もしかすると家康は、江戸から遠く離れた呼子の陣屋で、ほくそ笑みながら将来の展望を描いていたかもしれない(笑)。
文禄・慶長の役
1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて、「戦国サムライ・ジャパン」が死闘を繰り広げた文禄・慶長の役は、16世紀における世界最大の戦争とされるが、大学受験に日本史を選んだ人以外、たぶんその内容をよく知らないと思う。
ただ冒頭の布陣を見て、日本が「負けるわけがない」と思ったのは、秀吉だけではなかったようだ。
日本に滞在していたキリスト教の宣教師たちは、侍の戦闘能力を高く評価しており、弾薬の調達など隠れた面から、この戦いを支援していたとも云われている。
佐賀県立名護屋城博物館
現在その「名護屋城跡」には、「佐賀県立名護屋城博物館」が建てられている。
そこでは「名護屋城」の模型から、「文禄・慶長の役」に関する詳しい解説を見ることができるので、「名護屋城跡」に足を運ぶなら先にこちらを見ていこう。
また「名護屋城跡」の散策も、下のマップに★マークをつけた「佐賀県立名護屋城博物館」の無料駐車場に、クルマを置いて出かけるのが一番便利だと思う。
なお車中泊で行かれる方は、以下の記事を参考に。ここでは3つのスポットを掲載している。

名護屋城跡の散策には、「バーチャル名護屋城」がお勧め!
これまでの説明で、「名護屋城」がいかに巨城であったかがお分かりいただけたと思うが、やはり「城跡」は「城跡」。
大坂城のように、たとえ鉄筋コンクリートの再建天守であっても、実際にあればリアルにそれが伝わるが、石碑や基礎だけを見て想像が広がるのは、お城マニアくらいのものだろう(笑)。
しかし2015年、待望の「名護屋城」が見られるようになった。
それがこちらの「バーチャル名護屋城」。
といっても現在は特別珍しいものではなく、「岐阜城」や「姫路城」、あるいは「関ヶ原」「一乗谷朝倉氏遺跡」などでも、同じようにバーチャルリアリティ(VR)を駆使している。
ただ広大な城郭を誇った「名護屋城」には、縄張りの中に様々な場所があっただけに、実際にその場に足を運び、こうしてリアルとバーチャルを対比できるのはおもしろく思えたし、なにより疲れを忘れさせてくれる(笑)。
タブレットをお持ちの人は、ぜひこちらのサイトからアプリをダウンロードして、この天守台をめざしてみていただきたい。
もちろんダウンロードは無料。また名護屋城博物館でも、無料でスマートデバイスの貸し出しを行っているほか、中のシアターで見ることも可能だ。
車中泊で行く、唐津と呼子
佐賀 車中泊旅行ガイド





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