【2022年11月更新】
車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、佐賀県伊万里の大川内山(鍋島藩窯公園)の観光・駐車場・車中泊に関する記述です。
この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
伊万里のランドマーク・スポットと云える大川内山(おおかわちやま)は、江戸時代の鍋島藩御用達の「秘窯の里」
大川内山(鍋島藩窯公園)の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2009.05.08
2014.01.19
2021.12.30
※「大河内山」での現地調査は2021年12月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2022年10月に更新しています。
大川内山(鍋島藩窯公園)【目次】
プロローグ
伊万里焼と有田焼はどう違う?
伊万里を紹介している大半のサイトが、その見どころの筆頭に挙げている大河内山(鍋島藩窯公園)は、江戸時代に現在の佐賀県と長崎県の一部を支配していた佐賀藩(鍋島家)の、御用窯(ごようがま)が置かれていたところで、今は「秘窯(ひよう)の里」とも呼ばれている。
そう云われると、「なぜ佐賀藩は藩窯(はんよう)をここに隠さなければならなかったのか?」ということが気になるのが、ドラマ「相棒」の杉下右京、
いや中高年の旅人だろう(笑)。
というより、そもそも「伊万里焼」ってどんなもの?「有田焼」とどう違うの?
そこから入らないと、「大河内山」の本当のおもしろさは見えてこない。
江戸時代の有田焼は伊万里焼?
この話は有田の記事でも詳しく触れているので、ここでは簡単に要点だけを記しておこう。
伊万里からほど近い呼子にあった名護屋城を拠点に、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役、1592年 – 1598年)が行われたことをご存知の人は多いと思う。
加藤清正や小西行長らの九州を治める大名とともに、ご当地である佐賀藩の藩祖・鍋島直茂も朝鮮に出兵したわけだが、その引き上げの際に、朝鮮から多くの陶工が生活のために共に佐賀へ渡ってきたという。
その中にいた「李参平」が、有田で原料となる陶石を掘り出し、日本で始めての磁器となる「有田焼」を生み出した。
その頃欧州では、中国の「景徳鎮」産の磁器が高い評価を得ていたが、中国国内の内乱で生産が衰え、日本生まれの磁器がヨーロッパの王侯貴族を中心に広がっていく。
ただ当時は有田の皿山で作られていた製品が、伊万里港から積み出されたため、海外ではそれを「伊万里焼」あるいは「伊万里」と呼ぶようになったという。
すなわち、この時代の「伊万里焼」とは「有田焼」を指している。
そのため、日本でも江戸時代の有田焼を、「古伊万里」と呼ぶこともある。
ちなみに同行してきた陶工たちを、「捕虜」と記している資料もあるようだが、「有田焼」を生み出した「李参平」は、有田の総鎮守とされる陶山神社で、「藩祖」鍋島直茂とともに「陶祖」として祀られており、「捕虜」扱いを受けていたというのは、腑に落ちない。
なお有田地区の製品を「有田焼」、伊万里地区の製品を「伊万里焼」と呼び分けるようになったのは、船に代わって鉄道が輸送手段の主力になってからだ。
鍋島藩窯公園の歴史と概要
江戸時代に、日本のみならず世界で高い評価を得るようになった「古伊万里」の卓越した技法を守るため、鍋島藩は大川内山に優秀な技術を持つ細工人や画工を集めて、製陶にあたらせた。
それが「鍋島藩窯」の始まりだ。
鍋島藩は大川内山の入口に関所を設け、人の出入りを厳しく規制するとともに、できあがった焼物は、将軍家及び諸大名への献上贈答品、もしくは藩庁用品として用いることを、廃藩置県に至るまで守り続けた。
その時代に藩窯で創られた採算度外視の焼物は、民間の窯で焼かれた磁器と一線を画し、「鍋島」と称されている。
また現在の大川内山で焼かれた作品は、鍋島の系譜を引き継ぐ「伊万里鍋島焼」と呼ばれている。
現在の大川内山
現在の大川内山は、麓に「伊万里・有田焼伝統産業会館」と「伊万里鍋島焼会館」があり、山に向かって左側に23軒の窯元のアトリエ、右側に江戸時代の鍋島藩窯の遺構が保存された「鍋島藩窯公園」がある。
大川内山の歴史及と景観は、文化庁から2016年(平成28年)に日本遺産「日本磁器のふるさと 肥前~百花繚乱のやきもの散歩~」に認定されている。
また外国人観光客に向けて、星の数で観光地の魅力を紹介している「ミシュラン・グリーンガイド佐賀・WEB版」でも、大川内山は「寄り道する価値がある」を意味する二つ星を獲得している。
確かに…
自然の中に佇むレンガ造りの煙突と気品のある窯元のアトリエは、黙々と焼物に向かい合ってきた人々の歴史と伝統を感じさせ、それと相まった石畳の坂道を歩けば、京都東山のような風情で、日本人の心に響く景観に出会える。
行くなら、人が少ない朝一番がいい。
そりゃ~財布の軽い筆者でさえ、小皿のひとつも買いたくなる(笑)。
鍋島藩窯公園に残る遺構
せっかく大河内山まで行くのなら、「鍋島藩窯公園」にも足を運びたいものだ。
静かな林の中には、300年余り前に使われていた古窯跡などの歴史的遺構と、様々な磁器のオブジェがある。
古窯跡は「お経石窯跡」と「清原窯跡」の2ヶ所が発掘調査されている。
鍋島藩が御用窯を開いた江戸時代の延宝年間(1673〜1680年)頃に使われていたことが判明している「お経石窯跡」は、13の窯室からなる連房式の登り窯で、出土品の刻名から商品性の高い陶器を作っていたことが推測される、やきものの歴史を知る貴重な古窯跡とされている。
もうひとつの「清原窯跡」では、窯床と出土した陶片をシェルターで覆い、自然のまま展示されている。
こちらは江戸時代に陶工が住んでいた家を再現したもの。御用職人だけあって、その暮らしぶりは悪くなかったようだ。
散策を続けると、ポケットエリアにある伊万里焼の高台皿などをはめ込んだユニークなオブジェと出会う。
「鍋島藩窯公園」の頂上にある、陶片とトンバイで描かれた藩窯公園の大壁画。
階段の上の展望台は、2021年12月に訪ねた時は老朽化により閉鎖中だった。
「鍋島藩窯公園」のハイライトは、この「登り窯」だろう。
驚いたことに今でも現役で、年に1度の「鍋島献上の儀」で納める献上品を焼く時のみに使用され、藩窯時代の伝統に従い、36時間かけて焼き上げるという。
ちなみに「鍋島献上の儀」では壺が2つ焼かれ、献上品と同じものを「伊万里・有田焼伝統産業会館」で見ることができる。
入館無料(特別展を除く)
9時~17時
年末年始(12月29日~1月3日)休館
無料駐車場有 450台(窯元市開時は有料)
なお大河内山では、春(4/1〜4/5)には窯元市、夏(6/19~8/31予定)には風鈴まつり、秋(10/31~11/5)には鍋島藩窯秋祭りが開催される。
最後に。
日本の音風景百選に選ばれた、14個の伊万里焼の風鈴が鳴る「めおとしの塔」は、「伊万里・有田焼伝統産業会館」の道路を挟んだすぐのところにある。
最初から知っていないと、筆者みたいに見落としやすいのでご注意を(笑)。
鍋島藩窯公園の車中泊事情
どうしても空いている時間帯に大川内山を見たいという人には、「伊万里・有田焼伝統産業会館」に無料駐車場と館外にトイレがある。
ただし、トイレは24時間利用できるかどうかまでは確認できていない。
またコンビニからも5キロ近く離れており、一般常識のみならず利便性から見ても、ここでの車中泊はオススメしない。
車中泊場所で妥当なのは、約11キロ・クルマで20分ほどのところにある「道の駅 伊万里」だろう。