【2022年12月更新】
車中泊旅行歴25年の歴史に精通するクルマ旅専門家がまとめた、佐賀県の吉野ヶ里歴史公園の歴史・見どころ及び周辺の車中泊事情に関する記述です。
この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
佐賀県にある「吉野ヶ里歴史公園」は、「魏志倭人伝」に記述されている「邪馬台国」の姿を、はじめて具体的に示した弥生時代のミュージアム
吉野ヶ里歴史公園 DATA
吉野ヶ里歴史公園
〒842-0035
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
☎0952-55-9333
利用料金
大人460円
シルバー(65歳以上)200円
駐車料金
普通車310円・大型車1050円
開園時間
4月1日~5月31日及び9月1日~3月31日:9時~17時
6月1日~8月31日:9時~18時
休園日は12月31日、1月の第3月曜日とその翌日
駐車場
大人200円
「吉野ヶ里歴史公園」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2010.04.30
2018.01.02
※「吉野ヶ里歴史公園」での現地調査は2018年1月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2023年1月に更新しています。
吉野ヶ里歴史公園 歴史探訪ガイド
吉野ヶ里遺跡とは
「吉野ヶ里遺跡」は、紀元前3世紀から紀元後3世紀までの、およそ600年間にわたって続いた弥生時代を通して、朝鮮半島経由で伝わった稲作文化や青銅器・鉄器文化を取り入れた「ムラ」が、「クニ」の中核集落へと発展していく姿を辿ることができる、”唯一無二”の国の特別史跡だ。
1986年(昭和61年)から始まった工業団地開発に伴う「埋蔵文化財発掘調査」により、その全貌がほぼ明らかになった。
卑弥呼が中国の魏に遣使し、「親魏倭王」の金印と銅鏡をもらったのは、弥生時代後期の紀元239年。
それと時代が重なる「吉野ヶ里遺跡」は、「魏志倭人伝」に記された日本史最大の謎とされる「邪馬台国」の在り処を紐解く、大きなカギになるのでは…
いや、もしかすると「邪馬台国」はここにあったのでは?!
「吉野ヶ里遺跡」は囃し立てるマスコミと、それに乗せられた人々の期待と注目を一身に浴び、まさに「時の人」となった。
発掘調査の結果、「魏志倭人伝」に卑弥呼のいるところとして記録されている、『30ヶ所の「クニ」を束ねる王が居住する中核的な集落』とは、このような構造だったのではないかという姿が浮かび上がる。
ただ残念ながら、「吉野ヶ里遺跡」が「邪馬台国」そのものだったという決定的な証拠は未だ見つかっていない。
そもそも発掘当初から、古代史を研究する歴史学者の多くは、吉野ヶ里に邪馬台国があったとは考えてなかったという(笑)。
しかし「邪馬台国」がどういうかたちで実在したのかは、「吉野ヶ里遺跡」に行けばよく分かる。
ちなみに、物見やぐらを複数配置し、さらに北内郭、南内郭が設けられた環濠集落の「吉野ヶ里遺跡」は、日本の城郭の「ルーツ」とも考えられており、日本100名城(88番)にも選定されている。
「吉野ヶ里遺跡」は歴史的価値から、現在は「吉野ヶ里歴史公園」として国に管理されており、発掘調査は今も断続して行われている。
吉野ヶ里歴史公園の歩き方
ここからは、本気で「吉野ヶ里歴史公園」に足を運びたい人に向けた話になる。
まず「吉野ヶ里歴史公園」の広さは、東京ディズニーランドとほぼ同じ。
しかも公園の中は「ミュージアム」化されており、遺跡だけでなく、出土品の展示ブースやシアター、さらに体験プログラムなどもあって、実に盛りだくさんだ。
ゆえに現地の地図もガイドもなく、ひたすら歩きまわっても、それは「さまよっている」のと同じで、たぶん見てきたことにはならないと思う。
ゆえに予習は不可欠だが、公式サイトを読むのは筆者でも苦痛だ(笑)。
そこで見つけてきたのが下の動画。
わずか2分間に要所をみごとに盛り込んだ、プロらしさの薫る秀作だ。これを見た後、素人のYoutubeは見られない(笑)。
さて。
動画でも最初に取り上げていたが、「吉野ヶ里歴史公園」の中で見逃してはいけないのが、下のマップの「北内郭(きたないかく)」だ。
特に体力に自信がない中高年は、「天の浮橋」を通って公園内に入ったら、「南のムラ」をパスして、ひたすら「北内郭」を目指し、その道中にあるものを「ついでに見ながら進む」感じでかまわない。
「北内郭」でシャーマンに無事に会えたら、今度は「北墳丘墓」のほうに進み、最後は「倉と市」を見てクルマに戻ればいいと思う。
その際には、音声ガイドが役に立つ。
これは実際に筆者も利用したが、パンフに書かれているように、自分のペースで動ける点がいちばん良かった。
きちんとしたガイドを受けることも可能なので、希望する人はこちらの詳細が記されているページを参考に。
ただ学術的な話を長々とは聞きたくないので、筆者は利用していない(笑)。
最後は余談になるが、
畿内説で「邪馬台国」跡と本命視されている、奈良の「纒向(まきむく)遺跡」にも筆者は足を運んでいるが、学術的見地ではなく、リアルな日本の歴史を知るうえでは、「吉野ヶ里遺跡」のほうが圧倒的におもしろかった。
中高年には行く価値ありの場所だろう。
吉野ケ里公園の車中泊事情
「吉野ヶ里歴史公園」から約9キロ、クルマで15分ほどのところに「道の駅 吉野ヶ里」がある。
ここは北九州あるいは西九州在住の人が、「吉野ヶ里歴史公園」の見学を目的に車中泊をするにはいいと思うが、数日かけて九州各地を旅したい人には、ロケーションから見て「道の駅 くるめ」のほうがお勧めだ。