【2023年2月更新】
車中泊旅行歴25年の歴史に精通するクルマ旅専門家がまとめた、大分県にある国東(くにさき)半島の、観光の秘訣とお勧めスポット及び車中泊事情に関する記述です。
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
仏教に関心がない人は、「六郷満山」には深入りしないほうが無難。国東半島で磨崖仏だけを見ても何も分かりはしない。
「国東半島」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2017.04.30
2022.12.30
※「国東半島」での現地調査は2022年12月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2023年2月に更新しています。
国東半島 観光の秘訣とお勧めスポット
国東半島のロケーション
別府湾の北側で、ポコンと周防灘(瀬戸内海)に突き出た丸い部分が「国東半島」だが、ここはフェリーで別府に上陸し、九州めぐりをスタートする旅人にとっては、ずいぶん悩ましいところだと思う。
なぜなら初めての人でもリピーターでも、別府からはマップにブルーで示した「やまなみハイウェイ」を走り、阿蘇を目指して進むのが、車中泊クルマ旅の「王道」であるからだ。
九州の中央に位置する阿蘇に出れば、あとは北にも南にも、そして西の天草にも進路は広がる。
しかし云い換えるとそれは、最低でも3度は「やまなみハイウェイ」を走らないと、九州全土の旅が完結しないということだ。
大半の旅行者はそれを終えてから、ようやく「国東半島」に目が行き、
ところで「国東半島」には何がある?
果たして行く価値はあるのか?
とネットで検索し始める。
しかし多くはその答えに辿り着く前に、旅立ちの日を迎えていると思う(笑)。
それほど「国東半島」の見どころは、雲をつかむが如くで分かりにくいのだが、そうしているのは、どのガイドも異口同音に「六郷満山」という耳慣れない言葉を、初っ端からぶつけてくるからだ。
その経験を持つ筆者は、あなたが途中で「や~めた」にならないよう、どう解説すればいいかを知っている(笑)。
なるほど!納得。国東半島の土地柄
国東半島は、ヤマト政権が成立した4世紀の古墳時代から、中国・朝鮮半島と日本を結ぶ重要な海上交通の要衝にあり、遣隋使や遣唐使の時代も、大陸を出発した船は博多に到着後、瀬戸内海を経由して奈良や京都の都に戻っていた。
国東半島はその際の寄港地にあたっており、最澄も803年に乗った第16次遣唐使船が難破した際には、宇佐神宮にて渡航安全の祈願をした。
その後無事に唐に渡り、天台の教えを持ち帰ることに成功した最澄は、そのお礼として中国から持ち帰った仏具や経典を宇佐神宮に奉納した。
ご承知の通り最澄は、後に比叡山に天台宗の総本山となる延暦寺を開く。
いっぽう陸地としての国東半島は、中心部にそびえる両子山に近づくにつれて、尾根が高く険しくそびえる地形になっている。
そこに山全体を信仰の対象とし、修験を伴う山岳宗教が芽生えたことと、仏教だけでなく、その修行のために道なき道を切り開き、トンネルをも掘削できる、中国の高い土木技術を習得した僧侶の出入りがあったことに、相関関係があるのは当然だろう。
「神仏習合 発祥の地」と呼ばれる所以
国東半島が「神仏習合 発祥の地」と呼ばれる理由のひとつが、大陸との交流の歴史に彩られた、その土地柄にあることはご理解いただけたと思う。
しかし「六郷満山」の話に進む前に、もうひとつ押さえておくべきことがある。
それが「宇佐神宮」の存在だ。
「神宮」とは、天皇・国津神・神器を祀っている神社を意味している。
「宇佐神宮」は「伊勢神宮」とともに、皇室が先祖に対して祭祀を行う「二所宗廟(にしょそうびょう)」のひとつとされており、「神宮」の中では日本で2番目、いや、この時代にはナンバーワンの位置づけだった可能性すらうかがえる。
なぜそれが九州の、それも国東半島の付け根にあるのか?
なぜ山岳信仰が、国津神の信仰に変わってしまったのか?
それも含めて、のちほど以下の記事をご覧いただくと、間違いなく「ウソ~!」と呟かれるに違いない(笑)。
ただ話が長くなるうえに脱線するので、ここでは一気に先へ進む。
さて。
今も昔も人というのは、権威あるものに巻かれるのがお好きらしい(笑)。
神様に仏様が加わったら、アメリカと中国が手を結ぶようなもの…
さすがにそうは思わなかっただろうが、とにかく朝廷は「無敵」の守護を得るべく、「宇佐神宮」の境内に天台宗の「弥勒寺」を創建した。
「弥勒寺」は廃仏毀釈で明治に廃寺となったが、「宇佐神宮」の祭神である「八幡神」は、「弥勒寺」ではご本尊の「八幡大菩薩」となり、ともに国東半島を舞台にしながら共存共栄を遂げる。
よくエルサレムとメッカのようにはならなかったものだ。
日本人は本当に温厚で協調性があると、つくづく感心するばかり(笑)。
かくして国東半島には、「宇佐神宮」が祀る「八幡神」の格式に、厳しい地形での修行を好む天台密教と山岳宗教が三つ巴で融合した、後に「六郷満山」と呼ばれる独特の信仰形態が花を咲かせることになった。
神様にも仏様にも、たいした願い事のない幸せな観光客にとって、知っておいたほうがいい話はここまで(笑)。
日本史のテストのように「六郷満山」を説明できなくても、国東半島がどういう道を歩んできたかが把握できれば上出来だ。
ただせっかくなので、その「六郷満山」にも簡単にふれておこう。
六郷満山とは
「六郷満山」は、国東半島にある両子山を中心に、来縄・田染・伊美・国東・武蔵・安岐の6つの郷に開かれた寺院群の総称。
「満山」は山全体を表す言葉で、ここが「神仏習合」で生み出された独自の信仰を、具体的に実践する場となってきた。
「宇佐神宮」が創建される725年より一足早い718年(養老2年)に、仁聞菩薩という僧がこの地に入山し、法華経の巻数に合せた28のお寺を建てて整備し、一大組織を作り上げたという。
「六郷」は「本山」「中山」「末山」の3つにグループ分けされ、「本山」は僧侶が学問をする場所、「中山」は修行をする場所、「末山」は布教をする場所と、それぞれ明確な役割を担っていたという。
ただこの話だと、神と仏の時代考証が逆になってしまう(笑)。
ってことは…
別記事に記したように、真実は「宇佐神宮」の社がどうであったかは別として、おそらく紀元300年あたりから、この地には「神宮」というより、天皇家に相当深いゆかりを持つ人物の、「御廟(お墓)」が存在していた可能性が高い。
磨崖仏は「六郷満山」のひとつの象徴
なるほど~、これが「六郷満山」というものか…
もしあなたがそういう感動を覚えたいのなら、寺院に足を運ぶよりは、磨崖仏を見に行くほうがいいかもしれない。
「六郷満山」は本来、岩峰が信仰の対象であり、岩肌や石に神仏を刻むという行為は、その修行のひとつと云われている。
偶然にも国東半島は、安山岩・凝灰岩の両方が採れる石材の宝庫で、全国にある磨崖仏の6~7割が、国東半島周辺に集中している理由はそこにもある。
そもそも「六郷満山」は奥行きが深く、マニアックと呼ぶべき視点から、その価値を感じる類のコンテンツだ。
しかも前述したように、信仰を具体的に実践する場なので、観光的要素が希薄なのは当たり前(笑)。
ゆえに筆者は、「六郷満山」を見て周ることと、クルマ旅による「国東半島」めぐりは別々にするほうがいいと考える。
ただその中で、写真の「熊野磨崖仏」には駐車場があり、車中泊の旅人が行きやすく、また着眼点さえ抑えて行けば感動が得やすいため、お勧めしている。
国東半島のお勧めスポット
さて、ここからはそれほど予習を必要とせずに楽しめる、国東半島の観光スポットを紹介する。
神仏を除いても、国東半島はなかなかに面白いところだ。
真玉海岸
ここは「干潮の時刻と黄昏時が合えば」という条件付きになるものの、他ではちょっと見られない絶景が楽しめる。
杵築城下町
九州にも中津城のように天守が残る城はあるのだが、往時の城下町がしっかり見られるところは極めて少ない。
国東半島の別府側の付け根に位置する杵築(きずき)は、その希少な城下町を歩ける穴場の観光スポットだ。
豊後高田 昭和の町
全国各地に、「昭和」をテーマにした資料館のような施設はたくさんあるが、豊後高田のように、町ごと映画やドラマのセットとして利用されるところは珍しい。
規模も大きく、イベントもよく行われているようで、若い女性に人気があるようだが、「三丁目の夕日」世代には、また違った楽しみ方があると思う(笑)。
国東半島の車中泊事情
まず「国東半島」には、「道の駅 くにみ」と「道の駅 くにさき」の2つの道の駅が用意されている。
両者には一長一短があるものの、車中泊地にどちらかを選ぶとするなら、多少は駐車場の傾斜が気になるものの、筆者は「道の駅くにみ」を選択する。
一番の理由は、前述した夕景の美しい「真玉海岸」に近いからだ。
その「真玉海岸」の夕景を見る場合に重要なのは、前泊地をどこにするかだが、中津側から時計回りに国東半島を周回するのがロスなくスムーズなので、「道の駅 なかつ」か、少し北九州寄りの「道の駅 しんよしとみ」がお勧めだ。
なお、どうしてもスケジュール上、別府温泉で前泊になる場合は、そのまま反時計回りで国東半島に進むのではなく、一度、国東半島を突っ切って中津か宇佐まで進み、それから「真玉海岸」を目指す方がいい。
遠回りでも、得られるものは多いと思う。
ついでに別府の車中泊事情も紹介させていただこう。これで完璧!だね(笑)。