【2023年2月更新】
車中泊旅行歴25年の歴史に精通するクルマ旅専門家がまとめた、大分県・国東(くにさき)半島にある、杵築(きつき)城下町の駐車場・マイカーアクセスと周辺車中泊事情に関する情報です。
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
「杵築」は無名に近いが、お城と城下町がセットで残るお勧めの観光スポット
「杵築城下町」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2017.04.29
※「杵築城下町」での現地調査は2017年4月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2023年1月に更新しています。
杵築城下町/国東半島 マイカーアクセス・駐車場・車中泊情報
「杵築」は「きつき」と読むのだが、九州の人を除くと読み方はもちろん、「それ、どこにあるの?」という人は多いと思う。
「杵築」は、国東半島の別府温泉に近い東岸にある。
白塗りの天守と端正な武家屋敷がある、まるで”手付かずのような城下町”には、今も江戸時代の面影が色濃く残されており、時代劇のロケ地にも時折使われている。
メジャーな史跡や、著名な出身人物がいないため、未だ「知る人ぞ知る場所」のままだが、別府市内からわずか20キロほどしか離れていないため、何かの拍子で一躍有名になる可能性は十分にあるだろう。
杵築城
杵築城は、室町時代初期に大友氏の家臣・木付氏により、八坂川の河口にある台山(だいやま)の上に築かれた。
台山はご覧の通り天然の要害で、戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となり、大友氏側が強敵である島津氏の攻撃を籠城の末に退けた。
この時に島津軍の猛攻に2ヶ月間も耐えたことから、「勝山城」とも呼ばれている。
また「関ヶ原の戦い」の同時期には、西軍に組する大友宗麟の嫡男・義統(よしむね)の攻撃を受け、細川氏が守る杵築城は陥落寸前に陥ったが、黒田官兵衛の軍勢が駆けつけ、事なきを得ている。
この杵築城の攻防戦は、後年に”九州の関ヶ原”とも呼ばれる有名な「石垣ケ原の戦」の前哨戦となった。
その後、天守は1608年(慶長13年)に落雷で焼失したが、再建された。
ただこの再建時に、“木付”と命名しながら、幕府朱印状に誤って“杵築”と記されてしまい、以来「杵築城」となる。
しかし1615年(慶長20年)に江戸幕府から「一国一城令」が発せられると、台山の主郭部は破却され、城郭機能は台山北麓の居館(後の藩主御殿)に移された。
そんなわけで、我々が見ている現在の天守は、1970年(昭和45年)に「古絵図」で「天守台」と描かれた断崖絶壁の上に再建された、鉄筋コンクリート造りの「模擬天守」になる。
ちなみに、現在日本にある天守は以下の3つにグループ分けされている。
模擬天守
天守は存在したが、実際にあった天守とは全く違うものを建ててしまった、あるいは史実では天守がなかったはずなのに建ててしまったものなど。
建造には「町おこしのために、シンボルとなるものが必要」といった事情が、背景に絡んでいる場合が多い。
再建天守
古い写真や図面などの資料に基づき、当時建っていた天守を忠実に再建したもの。
現存天守
江戸時代までに建てられて現在まで残っているもの。
明治の「廃城令」と、第二次世界大戦の空襲を免れた天守で、現在は国宝5城、重要文化財7城の合わせて12城が残っている。
「杵築城」の天守の内部は、他の模擬天守と同じように、歴代藩主ゆかりの品々や郷土資料を展示する資料館になっている。
ただ何より面白かったのは、最上階から見たこちらの眺めだ。
驚くような天然の岩壁が、他では見ることのできない杵築の城下町を形成していた。
杵築城
☎0978-62-4532
天守入場料:大人400円
営業時間:10時~17時
※受付最終16時30分
年中無休
駐車場: 17台(無料)
杵築城は高台にあるので、体力に不安がある中高年は城下町を散策した後、クルマで移動するほうがいいかもしれない。
城下町
「杵築の城下町は日本一」と評する歴史研究家がいるくらい、ここには武士の時代の”日本の原風景”が残されている。
それを顕著に感じさせてくれる場所が、”サンドイッチ型城下町”と呼ばれる、この「塩屋の坂」と「酢屋の坂」のあたりで、前後の高台に屋敷を構える武士たちは、その狭間にある商人町を見下ろすように暮らしていたが、このように凹凸のある形状の城下町は、杵築が日本で唯一と云われている。
同じような坂は、城下町中に20ヶ所ほどあるようだが、それらを歩いて周るのは大変で、杵築では城下町の中の「北台武家屋敷群」と「杵築城」にエリアを絞って観光するするのがお勧めだ。
ここでは武家屋敷にも立ち寄りたい。
写真は「北台武家屋敷群」にある能見氏の屋敷で、建築様式などから幕末期のものとされているが、2008年(平成20年)から2年にわたる大規模改修を受けて、建築当初の姿が蘇っている。
また改修に伴い、喫茶スペースやお土産品の販売コーナーも設けられるなど、屋敷を多目的に楽しめるようになった。
ちなみにこちらは、「能見邸」の向かいに江戸時代から残る「藩校学習館」の「藩主御成門」。
現在は「藩校の門」と呼ばれ、”杵築小学校の校門”として子供たちを迎えているからおもしろい。
時代が変われば、「お殿様」専用の門を「お子様」が普通に通る。
少子化はこんなところにも反映している(笑)。
ちなみに藩政時代から学問に力を入れてきた風土が、現代にまで引き継がれている歴史遺産は、全国でも珍しいそうだ。
さて。
この写真は、筆者がたった一度しか足を運んでいない杵築で、なぜこういうフォトスポットを見落とさなかったかというタネあかし(笑)。
実は杵築ではボランティアガイドを予約していた。
見知らぬ町を短時間で理解するには一番の良策で、筆者は好んでこの手を使う。
ちなみに料金は夫婦で2時間・1000円(有料施設の入場料は別途)。詳細は以下のページで確認を。
なお、杵築城下町の詳しい見どころ等は、このサイトで確認できる。
杵築城下町の駐車場&アクセスマップ
広い杵築城下町には、あちこちに駐車場が点在しており、駐車で困ることはないと思うが、”どこに駐めたらいいのか”で迷うはずだ(笑)。
上はこれまでに紹介してきた杵築城下町のメインにあたる「北台武家屋敷群」付近のマップで、★をつけた「ふるさと産業会館前駐車場」が、このエリアを歩いて観光する際のベスト駐車ポイントのように思う。
航空写真でみるとこうなる。
Googleの表示では「ふるさと産業館前駐車場」はバスと大型専用のようで、普通車用はその下のスペースになっているようだ。
ふるさと産業館前駐車場
無料・24時間利用可・10台
なおここは無料だが、市営駐車場は場所によって有料になるところもある。
筆者が杵築に行った時には、こんな親切なサイトに出会えず、200円くらい損してしまった。あなたは本当に運がいい(爆)。
杵築城下町の車中泊事情
道の駅で「杵築城下町」に一番近いのは、約24キロ・クルマで30分ほどのところにある「道の駅 くにさき」だ。
また前日に別府温泉周辺で泊まりたい人には、スマートインターのある「別府湾SA」がいいだろう。
ただ、車中泊クルマ旅における「宿」選びは、必ずしも目的地に近いからいいとは限らない。
もし国東半島全域を観光するつもりなら、中津方面から”時計回り”に海岸沿いを進み、真玉海岸で美しい夕景を見た後、そこから近い「道の駅 くにみ」で泊まり、翌朝から国東半島の内陸部を縦断して、杵築城下町に入られることをお勧めする。