【2023年4月更新】
車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、高千穂の天岩戸神社&天安河原の概要と車中泊に関する記述です。
この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

天岩戸神社&天安河原は、高千穂にある興味深い”天照大神ゆかりの神社”
天岩戸神社&天安河原の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2009.05.06
2018.01.03
2021.12.30
※「天岩戸神社&天安河原」での現地調査は2022年12月が最新になります。
天岩戸神社&天安河原【目次】
天岩戸神社の謂れ
「天岩戸神社」は、古事記・日本書紀に記された「天岩戸神話」を今に伝えている神社で、天照皇大神がお隠れになられた天岩戸(洞窟)を御神体としている。
天照大神(アマテラスオオミカミ)が、弟の素戔嗚命(スサノオノミコト)の乱暴に手を焼き、天岩戸に籠もられた話を知らない日本の大人はいないと思うが(笑)、それは天上界の”高天原”での出来事で、いくら神話とは云え、その舞台が、高天原から孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降臨した、地上界の高千穂にあるのというのは、さすがに強引なお話だ。
本当あるはずがないものを、物語に合わせ、いかにも真実のように演出する…
それはまるでUSJの中にある、「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」と同じだ(笑)。
ゆえに筆者は、高千穂をスケールのでっかい「日本神話のテーマパーク」と呼んでいるのだが、その話は以下の記事にもっと詳しく記載しているので、興味があればご覧いただきたい。
ゆえに「天安河原」を含めた「天岩戸神社」で、”パワースポットがどうのこうの”なんて書いているサイトは、信じられないというか、悪く云えば「アホ丸出し」。
そんな情けない話を書かなくても、観光客を「天岩戸神社」に行ってみたくなる気にさせるのが、プロ・アマにかかわらず観光情報を発信する人間の務めというものだ。
高千穂は、SNSに人を集めて小銭稼ぎをするためのネタじゃない。
そうなるためには、もっと”汗”をかき、高千穂を深掘りする必要がある。
さて。
「天岩戸神社」には、岩戸川を挟んで「東本宮」と「西本宮」がある。
東西両本宮は元来は独立した別の社だったが、昭和45年に合併。現在も別々に機能はしているが、御朱印などの庶務を「西本宮」の授与所で行っているため、「西本宮」が、”「天岩戸神社」の代表窓口”の役割を果たしている。
さらに注目すべき点は、ともに皇祖神である天照大神(アマテラスオオミカミ)を祀っていながら、創祀以来、皇室や朝廷からではなく、住民からの信仰を主としてきたことにある。
つまり「天岩戸神社」は、宮内庁が認めたオフィシャルな皇室の神社ではない。
ということは、やっぱり「テーマパーク」になるわけで(笑)
お金を払ってもよく見えない「西本宮」の御神体とされる「天岩戸」や、インスタ映えと、あわよくば願いを叶えたいと訪れる観光客の煩悩が、周囲一面に広がる「天安河原」は、そのアトラクションと思っておけばいいだろう(笑)。
だが、
そんな「天岩戸神社」がここまで長らく続いて来られたのは、ただ面白いという理由からだけではない、”何か特別なワケ”があるはずだ。
注目すべきは天岩戸神社の”東本宮”
ウィキペディアによると、「天岩戸神社」は昭和45年に合併する以前は、「西本宮」が「天磐戸神社」、「東本宮」は「氏神社」と呼ばれていたという。
ちなみに、公式サイトに書かれた両者の違いは以下の通り。
【西本宮】
祭神:大日霎尊(おおひるめのみこと) ※天照皇大神の別称
天照皇大神がお隠れになられた天岩戸(洞窟)を御神体として、お祀りしている。
【東本宮】
祭神:天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ) ※天照皇大神の別称
天照皇大神が天岩戸からお出ましになられた後、最初にお住まいになられた場所をお祀りしている。
そして何より「東本宮」には、本殿が存在する。
実は筆者は2009年に「天岩戸神社」を初めて訪ねた際に、宮司さんから”興味深い話”を聞いている。
宮司曰く、アマテラスには実在したモデルがいる。その人物は人望が厚く、特殊な能力を持っていたため、後に神様として祀られるようになった…
この話が史実であれば、”アマテラスは高千穂にいた!”ということになり、神話は根底から崩壊してしまうのだが、筆者はそれが”まんざら嘘”だとは思わない。
歴史学者の中には、アマテラスのモデルとして驚くべき人物を挙げる人もいる。
「邪馬台国」の女王であった卑弥呼は、アマテラスの別名である「日孁(ひるめ)」と名前が似ている、ともに独身だった、さらにシャーマン(宗教的職能者)で、実在したと予測される年代が重なる等々、共通点が多いとされており、実は同一人物との見方をする研究者は少なくない。
ということは、高千穂が邪馬台国だってってこと?
考古学からすると、それはどうやら違うようだが、この話は長くなるので、別途違う記事にまとめている。
ただ、
いずれにしても「東本宮」の存在がなければ、歴史学者は高千穂にあまり興味を示さなかったかもしれない。
神話では孫とされる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)との関連性が強い高千穂に、なぜ天照大神(アマテラスオオミカミ)のゆかりの地がポツンと残り、伊勢神宮に比べると、まったくに近いと云っていいほど取り扱いが低いのか…
興味が湧くと、高千穂はミステリアスで面白いところであることに気がつく。
ひとつヒントを云うなら、天皇家はどちらかというと、伊勢神宮ができるまでの天照大神(アマテラスオオミカミ)の話には触れられたくないのだと思う(笑)。
天安河原とは…
最後に、天岩戸神社の「西本宮」から歩いて10分程度で辿り着ける天安河原の話をしておこう。
まず、このおびただしい数の積み上げられた小石に、歴史的な意味はない。
戦前の写真に石積みが見当たらないらしく、戦後に参拝客(観光客)たちの間で自然発生的に生まれた「願いを込めて小石を積むと願いが叶う」という、もっともらしい流布の成果とされている(笑)。
神話では、「天安河原」は天照大神(アマテラスオオミカミ)が岩戸にお隠れになった際に天地は暗黒となり、八百万(やおよろず)の神が、この河原に集まって神議をされたと伝えられている。
それはあまり重要な話だとは思わないが、「東大宮」で触れたように、もし天照大神(アマテラスオオミカミ)のモデルが高千穂にいたとするなら、まったく無関係な場所だったとも思えない。
写真は天安河原にある高さ40メートル・奥行き30メートルの洞窟「仰慕窟(ぎょうぼいわや)」で、その中に天安河原宮の小さな祠がある。
もしここが考古学的な価値を持つところなら、何らかの発掘調査の資料が見つかりそうなものだが、ネットで確認できなかったことを考えると、やはり後世に作られた「アトラクション」の可能性が高そうだ。
でも、インスタ映えする写真は狙えると思うよ(笑)。無料で行けるのもいい。
天岩戸神社の駐車場と車中泊事情

出典:天岩戸神社
まず天岩戸神社の公式ホームページによると、天岩戸神社には4つの無料駐車場があり、緑の文字はGoogleマップで使われている同じ駐車場の名称だ。
ただ今となっては、天岩戸神社サイドにホームページの記載を改めてもらうほうが、旅行者にとってはありがたい(笑)。
天岩戸神社西本宮前
天岩戸神社東本宮下
西本宮まで徒歩5分
西本宮まで徒歩10分、東本宮まで徒歩5分
西本宮まで徒歩15分
この中で車中泊に適しているのは、場内にトイレがあり、周辺にスーパーのAコープや商店街が揃う、第1駐車場「参拝者駐車場」だろう。
そのためここは、「道の駅 高千穂」が夜間も満車で駐められない場合の”代替地”として覚えておけばいい。
なおその場合でも、優先順位は道の駅から近い「高千穂神社」の駐車場のほうが高いといえるだろう。