【2022年12月更新】
車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、佐賀県有田の観光と車中泊に関する記述です。
この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

佐賀県の有田は、日本で最初に「磁器」が焼かれた町
有田の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2009.05.08
2014.01.19
2021.12.28
※「有田」での現地調査は2021年12月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2022年10月に更新しています。
佐賀県・有田 車中泊旅行ガイド
有田の歴史と主な史跡
今でこそ佐賀県の有田が、日本の伝統工芸品のひとつに数えられる「磁器」発祥の地であることは有名だが、豊臣秀吉がこの世を去り、江戸時代に佐賀藩領となった当初は、もっぱら「陶器」を生産していた基盤の脆弱な窯業地域で、それもいつ途絶えてしまうかもしれない状態だったという。
その有田を変えたのが、1616年に有田に移り住んだ朝鮮人陶工・李参平。
李翔平は、豊臣秀吉が企てた「朝鮮出兵」から引き上げる際に、佐賀藩の藩祖・鍋島直茂とともに佐賀へ渡ってきた、陶工の中のひとりだ。

泉山磁石場
1630年頃、李参平は仲間とともに泉山で、念願だった良質の陶石を発見する。

天狗谷窯跡
その後、佐賀藩のもとで「磁器」の生産が本格化し、谷あいに「有田千軒」と呼ばれる町並みが形成され、有田は繁栄を極めていった。
その背景には、当時欧州で高い評価を得ていた、中国の「景徳鎮」産の磁器が、中国国内の内乱で生産が衰え、日本生まれの磁器がヨーロッパの王侯貴族を中心に広がっていったことが挙げられる。
ただ当時は有田の皿山で作られていた磁器が、伊万里港から積み出されたため、海外ではそれを「伊万里焼」あるいは「伊万里」と呼ぶようになったという。
すなわち、この時代の「伊万里焼」とは「有田焼」を指している。
そのため、日本でも江戸時代の有田焼を、「古伊万里」と呼ぶこともある。

陶山神社
リーダーとして磁器生産を本格化させ、有田の窯業繁栄の礎を築いた李参平は、有田の総鎮守とされる陶山神社で、「藩祖」鍋島直茂とともに、後世まで「陶祖」として祀られる存在となった。

トンバイ塀のある裏通り
有田には現在も歴史的価値の高い建物が数多く残っており、1991年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
有田焼の特徴
歴史的視点から見ると、骨董価値を持つ有田焼には高級ブランド品的なイメージを抱いてしまいがちだが、世の中どんなものにも「ピンとキリ」はある(笑)。
そもそも有田焼に代表される磁器は、陶器よりも堅く丈夫で、日常使いの食器に適している。
陶器と磁器の違い
陶器と磁器の根本的な違いは素材にある。
粘土から作られる陶器は、唐津焼のようにキメが荒く渋い色目が特徴だが、陶石を砕いた粉から作る磁器は、白いガラスのような滑らかさを有している。
有田焼は他の産地の磁器より、その白さが透き通るほど際立っている。
そうなった理由は明快だ。
前述したように、有田焼は中国の景徳鎮の模倣により、日本が鎖国していた江戸時代にも、オランダの東インド会社を通じて、ヨーロッパへの貿易品として発展してきた経緯を持つ。
絵柄のモチーフとして、龍や鳳凰などの伝説上の生き物や、唐子からこ(中国の子供のこと)、吉祥紋などが用いられ、赤や金などの派手な色使いが多いのは、そのことに起因している。
そして「描かれた絵が映えて見えるように」という、東インド会社からの厳しい要求に応えるため、陶工が余多の苦労を重ねた結果、雪のように白い素地をつくることに成功した。
ちなみに、文化財保護法で1975年(昭和50年)に「人間国宝」の称号が用いられるようになってから、現在までに有田焼で4名もの「人間国宝」が誕生している。
写真は、その中のひとりである「十四代酒井田柿右衛門」の作品。
歴代の柿右衛門が受け継いだ「濁手」と「赤絵」に日本画的な要素を取り入れ、余白を活かした作品で人気を博したとのことだが、陶磁器に疎い筆者には、何のことだかさっぱり…(笑)。
「凡人には、そこまでの教養は要らない」ってことにしておこう。
有田のお勧め観光スポット
基本的に、佐賀県外から有田まではるばる足を運ぶのは、陶器が好きで窯元をじっくり見て周りたい人が多いと思うが、残念ながら筆者はそれに応えられるだけの、窯元に対する知識を持ち合わせていない。
だが九州をめぐる車中泊の旅人に、有田のおもしろいところは紹介できる。
観光客には観光客なりの「有田の楽しみ方」があっていい。
まずは以下のカフェとミュージアムを訪ね、時間があるようなら、それから上に紹介した「史跡」に足を運ぼう。
有田焼で食事と休憩、そして買物まで楽しめるカフェ
ギャラリー有田
一言で云うと、「理屈抜きに有田焼を楽しませてくれるお店」。
しかも団体客がよく利用するような、昔ながらの観光センターではなく、洒落た雰囲気のカフェだから驚きだ。
店内には所蔵している2500客以上の磁器製コーヒーカップが並べられており、その中から好きなカップを選んで、コーヒーを注文することができる。
カップ選びに理屈は不要。フィーリングを大事にしよう。
さらに料理もカラフルな磁器に盛り付けられて配膳されるので、いかにも有田に来たという旅情が湧く。
写真は洋食の「伊万里牛カレー」だが、和食の定食もラインナップされている。
併設されたセレクトショップでは、大小さまざまな形状の日常食器を買うこともできるが、圧巻だったのはこちらのミニ。
さすがに欲しいとまでは思わなかったが(笑)、有田焼の未知なる可能性を見た気がした。
ギャラリー有田
レストラン&カフェ:0955-42-2952
有田焼ショップ:0955-42-3911
営業時間:11時~17時 (不定休)
詳細は以下のオフィシャルサイトで。
筆者がイチオシするミュージアム
佐賀県立九州陶磁文化館
歴史的に価値がある作品を見るなら、ここが一番だと思う。九州各地の古陶磁器を体系的に展示しており、常設展示数だけでも1,300点を誇る。
しかもそれを無料で見せてくれるのだから、佐賀県は太っ腹だ(笑)。
中でも輸出伊万里101点を一堂に展示した、蒲原コレクションは圧巻。
またここには、貴重な唐津焼の骨董も展示されている。
さらに館内の撮影がOKというのもいい。
まったく仰るとおりで、これを実施したスタッフは年収の数倍にあたる広告宣伝費を捻出したようなものだ(笑)。
佐賀県立九州陶磁文化館
☎0955-43-3681
入場無料 (常設展のみ)
開館:9時~17時(受付最終16時30分)
休館:月曜日(祝日・休日の場合は翌日)
年末12月29日~年始1月3日
なお、他の有田紹介サイトでよく見かける「有田ポーセリンパーク」だが、一度バブル崩壊後にポシャった後、現在は地元の「宗政酒造」が引き継いで運営している。
古い有田焼の展示と、絵付けや陶芸の体験教室があるテーマパークとのことだが、「ファミリー向き」で、大人にはさほど魅力のある施設とは思えない。
たしかにドイツ・ドレスデンのツヴィンガー宮殿を再現した建物は、インスタ映えするかもしれないが、「有田」らしさとは無縁のもので、筆者にはむしろ違和感のほうが大きかった。
それに何より、敷地が広すぎて歩く気にならない(笑)。
そのせいか人の姿も疎らで、とても採算が合っているようには見えなかったが、かといってこのまま続くものとも思えず、残された将来は「道の駅」か?(笑)。
神戸のフルーツフラワーパークがそうであるように、道の駅として再整備すれば、知名度があって車中泊スポットの乏しい有田なら、蘇生する可能性はありそうだ。
最後に。
窯元は伊万里の大川内山に行けば、歩いて周れる。
伊万里についても有田と同じように、詳しい紹介ページを作成しているので、興味があればぜひ。
有田の車中泊事情と車中泊スポット
まず有田のロケーションだが、東からアプローチするには、
❶九州自動車道または大分自動車道で、佐賀市内を経由する
❷西九州自動車道で、唐津から伊万里を経て南下する
この2つが主流になる。
そしてそれぞれのルート上には❶「道の駅 山内」、❷「道の駅 伊万里」があるので、そこで前泊して翌日朝から有田を観光するのが、オーソドックスな車中泊での周り方と云えそうだ。
いっぽう有田の町中には、複数の無料観光駐車場がある。
その中でトイレがあることが分かっているのは、写真の「有田町役場東出張所 」の駐車場だが、24時間開いているかどうかまでは確認できていない。
なので確実に車中泊ができると云えるのは、「RVパーク有田温泉」になる。
ここは温泉を併設しており、電源と炊事場もあるので、長旅で九州を周りたい人にはありがたい。料金も電源とゴミの処分込みで、普通車2000円と良心的だ。
また近くには「RVパークsmart 有田焼 幸楽窯」もあるが、こちらは利用台数が1台となっている。
有田と伊万里 車中泊旅行ガイド
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「アラ還」からの車中泊


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