【2022年12月更新】
車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、唐津の見どころと車中泊に関する記述です。
この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

唐津の位置づけは、玄界灘沿岸を旅する際の「箸休め」

宝くじ高額当選のご利益が囁かれる、鷹島の宝当神社
唐津の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2014.01.16
2021.12.31
※「唐津」での現地調査は2021年12月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2022年10月に更新しています。
唐津 車中泊旅行ガイド
唐津のロケーション
佐賀県の北西部に位置し、玄界灘に面する唐津市は、佐賀県北部の中心都市で、現在は佐賀市に次ぐ第2位の人口を有している。

菜畑遺跡・末盧館(出典:唐津観光協会)
「日本の稲作発祥の地」とされる唐津の歴史は古く、中国の史書「魏志倭人伝」に、邪馬台国に至る「クニ」のひとつとして、末廬国(まつろこく)の名で登場する。
また唐津の「唐」は、朝鮮半島や中国の代名詞としても使われており、「唐へ渡る港」が地名の由来であることからも、古来よりその結び付きが強いものであったことが伺える。
そんな唐津の市街から、風光明媚な玄界灘沿いを走れば、今は博多駅まで1時間ほどで行くことができる。
ところが…
本州からクルマで初めて西九州にアクセスする場合、関門橋から続く九州自動車道で福岡県の内陸部を走り、鳥栖ジャンクションで長崎自動車道に合流する人が大半であるため、唐津一帯はスルーされてしまう。
しかし福岡県の宗像から長崎県の平戸にいたる玄界灘沿岸は、古代より国際交流が盛んで、その歴史と自然の豊かな恵みが楽しめる、リピーター御用達の「西九州セカンドルート」だ。
ゆえに、ぜひともお勧めしたいと思うわけだが、観光旅行では玄界灘沿岸の各地で重複するコンテンツを一度整理して、優先順位を決め、旅にメリハリをつけていかないと、オーシャンビューと海鮮料理漬けの毎日に陥ってしまう(笑)。
その意味では、糸島半島と呼子を有する東松浦半島に挟まれた唐津の町は、他にはない見どころを有した、西九州クルマ旅の「箸休め」に適した観光地と呼ぶことができるだろう。
唐津の見どころ
唐津のランドマークと云えば「唐津城」。
江戸時代には、お城から左右に広がる砂浜が、鶴が翼を広げたように見えたことから「舞鶴城」とも呼ばれていた。
ただお侍ではなく、観光客にとってのお城は、登るところより眺めるものだと思うので(笑)、まずはその姿が展望できる一等地の「鏡山展望台」を紹介したい。
あの名護屋城の解体資材を転用した
唐津城
現在の唐津の町の基盤を築いたのは、豊臣秀吉から1595年(文禄4年)にこの地に封ぜられた、家臣の寺沢広高だ。
だが広高は、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは東軍につき、肥後国天草郡4万石を加増され、江戸時代には12万3千石の外様大名になっている。
関ヶ原の戦い後の1602年(慶長7)年から、7年の歳月を費やして築城された唐津城は、九州諸大名の加勢を受けるとともに、名護屋城の解体資材も用いられたと云われ、その関連性を示す旗竿石が天守の前に置かれている。
ただ残念なことに、築城当初に天守閣があったことを示す証拠は見つかっておらず、1966年(昭和41年)に観光のシンボルとして、この「模擬天守」が造られた。
唐津城の天守は2017年にリニューアル工事を終えているが、2008年から始まった石垣の膨らみや欠落の修復作業は、2022年現在も継続中で、予定よりも2年近く遅れる見通しだという。
ちなみに壁が白い天守は徳川方の証。
豊臣方のお城は、加藤清正の熊本城や黒田官兵衛の中津城のように黒塗りだ。
城の中は「郷土博物館」として唐津藩の資料や唐津焼などを展示するミュージアムになっており、最上階からは玄界灘、虹の松原の雄大な景観、松浦川と城下町唐津の風景を一望することができる。
ただ見える景色は、前述した「鏡山展望台」のほうが格段にいいと思う。
唐津城 天守
入場料 おとな500円
9時~17時(受付最終16時40分)※季節によって変動
12月29日~31日は休館
なお駐車場(東城内駐車場)は有料で、詳細は以下の通り。
普通車料金
1時間以内100円
1時間~2時間300円
2時間以上400円
(夜間料金300円)
収容台数 170台
駐車場の中にはトイレもあるので、車中泊もできなくはないと思うが、ちょっと走れば無料でできるところがある。
その話は後ほど(笑)。
「一楽・二萩・三唐津」。
唐津焼は、茶の湯では3本の指に格付けされる名器
佐賀県は「やきもの」の産地で有名だが、有田と伊万里が、砕いてすり潰した陶石を原料とする「磁器」であるのに対し、唐津は粘土から創る「陶器」になる。
歴史には諸説あるようだが、近年の研究では、寺沢広高が唐津に封ぜられる前の1580年代頃に、この地を支配していたに岸岳城(きしたけじょう)の城主・波多氏の領内で焼かれていたのが、そのルーツであるという説が有力なようだ。
その後、豊臣秀吉による朝鮮出兵から引き上げる際に、日本へ渡ってきた朝鮮人の陶工によって、「登り窯」「蹴ロクロ」「釉薬(ゆうやく)」などの技術がもたらされ、唐津焼はそのクオリティーを高めていった。
唐津焼の特徴は、粗い土を使った素朴な風合いと、多彩な装飾技法にある。
当初は日用使いの食器の域を出なかったが、次第に茶人から認められるようになり、桃山時代には「一楽・二萩・三唐津」と呼ばれるほど、茶の湯の名器としての地位を確立した。
江戸時代は藩の御用窯として、その伝統を守り続けた唐津焼も、明治以降は庇護を失い、衰退の一途を辿る。
しかし人間国宝に認定された中里無庵(1895~1985年)が、桃山時代から江戸時代初期に培われた、「古唐津の技法」を復活させたことで再び息を吹き返し、作り手の数は増加に転じる。
今は現代的な感覚を取り入れた作家も現れ、市内約70の窯元が点在している。
隆太窯(りゅうたがま)
その中で、中里太郎右衛門陶房とともに、唐津焼の双璧をなすと云われる、中里隆氏と長男の太亀氏の工房を紹介しよう。
唐津市郊外の静かな環境にあり、誰でも窯やギャラリーを無料で見学できる。
ただ平民には買うというより、本物の唐津焼と出会う場所という感じ。
唐津焼はどれもが「いいね」。
もちろん筆者の場合、「ね」には「値」という字が充てがわれる(笑)。
最後に。
唐津焼の真髄は「用の美」を備えることだという。
「作り手8分、使い手2分」とも云われ、料理を盛る・茶を入れるなど、使ってこそ作品が完成するという思想から、近年では酒器(ぐい呑み)の人気が高いらしい。
唐津の車中泊事情と車中泊スポット
一番アタマが痛いのは、唐津には近くに車中泊に適した道の駅がないことだ。
最寄りにあたる呼子の「道の駅 桃山天下市」は、唐津城から約18キロ・クルマで30分ほどのところにあるが、駐車場には驚くほどの傾斜がある。
ただ海水浴場や公園の無料駐車場に目を移せば、車中泊ができるところは見つかる。
ここでは前述した「鏡山公園(鏡山展望台)」と、その麓にある「浜崎海水浴場 多目的駐車場」を紹介しておこう。
車中泊で行く、唐津と呼子
佐賀 車中泊旅行ガイド




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