「道後温泉」周辺の見どころとして、「松目漱石」と小説「坊っちゃん」ゆかりの地を、経験豊かな「車中泊旅行家」が紹介しています。
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この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づき、全国各地の「クルマ旅にお勧めしたい観光地」を、「車中泊旅行者目線」からご紹介しています。

~ここから本編が始まります。~
松山(道後温泉)は、若き日の夏目漱石ゆかりの地

夏目漱石と松山、そして正岡子規との関係
「夏目漱石」は、1984年から2007年まで千円札に描かれていた、日本を代表する作家のひとり。
その後千円札は「野口英世」に代わり、現在は「北里柴三郎」なので、すっかり忘れていた人も多いと思うが、昭和生まれなら作品は知らなくても、間違いなく一度はお目にかかっているはずだ(笑)。
「夏目漱石」は、複雑な少年期を経たものの、17歳の時に「大学予備門(のちの第一高等中学校)」に入学。
そこでのちに文学的・人間的影響を受ける「正岡子規」と出会い、友情を深める。
「漱石」は成績優秀で、英語が際立って優れていたことから、1890年(明治23年)に東京帝国大学英文学科へ入学し、卒業後に高等師範学校の英語教師になった。
しかし悩んだすえに辞職し、なにをする気も起きず気力が萎えて、いわゆる神経衰弱の症状に見舞われてしまう。
そんな「漱石」に、転機が訪れたのは1895年(明治28年)。
友人「菅虎雄」の斡旋で、学友だった「正岡子規」の故郷である、愛媛県松山の尋常中学校の英語教師として赴任した。
「漱石」が松山で暮らしたのはわずか1年間にすぎないが、時を同じくして、結核の静養のため帰郷していた「子規」と再会。
ともに俳句に精進し、「子規」のもとを訪ねてくる人々ともつながりを深めている。
その松山での経験をもとに執筆し、10年後の1906年に発表された作品が、のちに大ヒットとなる「坊ちゃん」だ。
なお、詳しい夏目漱石のプロフィールは、大人にも分かりやすいこちらのサイトで。
道後温泉に残る「坊っちゃんの間」
これで「漱石」と「松山」「正岡子規」、また「坊っちゃん」と「松山」の関係がつながったと思う。
「道後温泉本館」には、その「漱石」が湯上りに寛いでいた部屋が、「坊っちゃんの間」として今も残されている。
中には「漱石」の見合写真や胸像などが飾られており、入館者は自由に見学できる。
といっても、「坊っちゃんの間」という名前は、昔からあったわけではない。
「坊っちゃんの間」と呼ばれるようになるのは、1966年(昭和41年)以降で、「漱石」の没後50年を経てからの話だ。
それにしても…
地元出身の「正岡子規」を差し置いて、「道後温泉」がこうも「夏目漱石」というか、「坊っちゃん」を大きく取り上げるというのは、よほどその宣伝効果が大きかったことがうかがえる。
坊っちゃん

出典:手製本工房 O塾
1906年(明治39年)に雑誌「ホトヽギス」に掲載された「坊っちゃん」は、翌年に春陽堂から単行本として出版される。

出典:Amazon.co.jp
タイトルは「鶉籠(うずらかご)」で、「二百十日」「草枕」がともに収録されており、定価は1円30銭。
現在の貨幣価値なら1万円を超える高価な書籍だったが、初版の3000部から重版を繰り返し、1913年(大正2年)までに1万2171部の販売数を記録した。
ちなみに「日本経済新聞」の2011年8月31日夕刊に掲載された、「新潮文庫・累計発行部数トップ10」では、こちらが4位にランキングされており、販売数は412万3000冊となっている。
さらに「坊っちゃん」はこれまで5度映画化されており、1935年版・1953年版・1958年版・1966年版・1977年版がある。
また近年では、フジテレビが2016年1月3日に『新春ドラマスペシャル』の第14弾で、「夏目漱石没後100年」を記念して「二宮和也」を主演に起用し、初の地上デジタル放送を行っている。
なお、すぐ分かる「坊っちゃん」のあらすじはこちら。
ストーリーそのものは大して難しくないので、キャラクターを覚えると、次の『「放生園」 のカラクリ時計』の意味がよく分かるようになる。
「放生園」 のカラクリ時計
「道後温泉駅前」にある「放生園」は、伝説に残る「鷺石」と「足湯」に加え、「坊っちゃんカラクリ時計」が観光客を和ましている人気のスポットだ。
「道後温泉本館」の「振鷺閣(しんろかく)」をモチーフにした時計台が、定刻になると軽快なメロディにのってせり上がり、箱の中から小説「坊っちゃん」の登場人物が次々に現れる。
ちなみに、この「坊っちゃんカラクリ時計」は、故「竹下元首相」の発案で、全国の市町村地域活性化のために配られた「ふるさと創生1億円」を使って作られたことでも知られている。
上演時間は午前8時から午後10時のジャストタイム。何も考えなくても楽しめるので、一度はそのカラクリを見てみよう。
特にライトアップする夜が美しい。
坊っちゃん列車
本来の「坊っちゃん列車」は、かつて伊予鉄道で使われていた蒸気機関車とその客車のことで、小説「坊っちゃん」に「マッチ箱のような汽車」として登場する。
松山中学に赴任する主人公の「坊っちゃん」がこれに乗ったことから、後に「坊っちゃん列車」と呼ばれるようになった。
写真は2001年から伊予鉄道により松山市内の路面電車として復元運行されているディーゼルの「坊っちゃん列車」で、「道後温泉駅」から乗車できる。
正岡子規との思い出の場所「愚陀仏庵」
「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」と呼ばれるこちらの座敷は、松山中学英語教師として赴任した「夏目漱石」の下宿住居を再現したもので、「子規記念博物館」内に1階部分のレプリカが展示されている。
「愚陀仏(ぐだぶつ)」は「漱石」の俳号だが、その名付け親は「正岡子規」。
「子規」は日清戦争従軍後に結核で喀血し、療養のために松山へ帰郷するが、その際にはここに52日間滞在し、多くの句を書き残している。
本物の「愚陀佛庵」は、現在繁華街になっている二番町にあったが、太平洋戦争の空襲を受けて焼失している。

出典:松山市
そのため市は、1982年(昭和57年)に、松山城南麓の「萬翠荘(旧久松家別荘)」の裏手に、木造二階建ての「愚陀佛庵」を復元していた。
だが、2010年7月の集中豪雨で発生した土砂崩れにより、それも全壊してしまう。
その後、再建計画が何度か話し合われたようだが、松山市は一方で築100年を超える「道後温泉本館」の老朽化に伴う保存修復工事を迫られており、財政的に困難な状況にあったようだ。
そのため長らく再建の目処が立たず、この「子規記念博物館」内にあるレプリカが唯一、当時を偲ばせる場所になっていた。
だが、「道後温泉本館」の保存修復工事が終了した2024年12月に、ビッグニュースが飛び込んできた。
松山市は2024年12月24日、「夏目漱石」の小説「坊っちゃん」発表120周年に合わせ、子規を輩出した松山市立番町(ばんちょう)小学校のプール跡地に、2026年夏を目処に「愚陀仏庵」を再建することを明らかにした。
そうなると今度は、「子規記念博物館」内のレプリカは撤去される可能性が高い。
新しい「愚陀仏庵」が完成する前に「道後温泉」に行かれる方と、なくならないうちに写真を撮っておきたいSNS投稿マニア(笑)は、「子規記念博物館」にも足を運んで見ておこう。
道後温泉本館からなら、歩いて行けるところにある。
松山市立子規記念博物館
〒790-0857
松山市道後公園1-30
☎089-931-5566
おとな400円
65歳以上のシニアは半額
※2025年4月以降500円
5月~10月:9時~18時
(受付最終17時30分)
11月~4月は17時閉館
(受付最終16時30分)
火曜定休
駐車場27台(30分100円)
番外編 旧松山中学校跡
最後は「道後温泉」からは少し離れているが、現在のNTT愛媛支店のビルの前に、「正岡子規」や「坂の上の雲」に登場する「秋山真之」が学び、「夏目漱石」が教鞭を執った「松山中学校跡」をご紹介。
松山市内にある「坊っちゃん」と「坂の上の雲」のゆかりの地では、おそらくここがマニアック度では一番だと思う。
なお「松山中学校跡」については、以下の記事にエピソードを添えてもう少し詳しく触れている。