日本史と大河ドラマ好きの車中泊旅行家が、高知の桂浜に残る坂本龍馬のエピソードをまとめて紹介しています。
桂浜は、坂本龍馬が少年時代に外国への夢を膨らませた思い出の地

坂本龍馬と桂浜の意外な関係
月の名所で名高い「桂浜」は、龍頭岬と龍王岬の間に弓状に広がる砂浜で、松林と砂浜と紺碧の海が、まるで箱庭のように調和する独特の景観を見せている。
その裏山には戦国時代に四国統一を果たした、「長宗我部元親」の居城であった「浦戸城跡」があり、そこには現在「高知県立坂本龍馬記念館」が建っている。
とまあ、「桂浜」と云えば「坂本龍馬」が登場してくるわけだが、高知のまちなかにある「龍馬」の生家から、「桂浜」までは約13キロ。
いくら「龍馬」が健脚だったとは云え、「天気がいいから、ちょっと海まで行って来るぜよ」っと出かけるには、さすがに距離がありすぎる(笑)。
なのに、なんで桂浜=龍馬なんだ?
実は龍馬と桂浜の接点には、継母「川島伊与」の存在が隠れている。
「龍馬伝」では「松原智恵子」が「伊与」を演じていたが、実家は「桂浜」の近くにあった「下田屋」という、木材などを扱う大きな廻船問屋で、「坂本家」と「川島家」は昔から付き合いがあったそうだ。
そんな関係で、「龍馬」は幼い時から姉の「乙女」と近くの鏡川から船に乗り、「川島家」に遊びに来ていた記録が残されている。その際にたぶん「桂浜」にも立ち寄っていたのだろう。
ちなみに「龍馬伝」で、子役の「龍馬」を演じたのは「濱田龍臣」君で、「乙女」役はなんと「土屋太鳳」ちゃんだった… そりゃ14年前だもの!(笑)。
ちなみに当時の「川島家」の当主「伊三郎」は、「ヨーロッパ」という異名を持つほどの外国通だったようで、「龍馬少年」は珍しい外国の話を聞いたり、世界地図などを観るのを楽しみにしていたという。
どこまで本当かわからないが(笑)、話としては実におもしろ~い!
坂本龍馬像にまつわるエピソード
桂浜の龍頭岬に立つ「坂本龍馬」の銅像は、国でも県でも市でもなく、地元の青年有志によって建立された。
本来なら戦時中の金属類回収令により、鉄砲の玉か何かに替わっているところだが、「龍馬」が海軍創設に関わっていたことから、供出を免れたという。
ちなみに1928年(昭和3年)に行われた「龍馬像」の除幕式には、旧日本海軍の軍艦が「桂浜」に来航し、祝砲を撃ったという逸話も残る。
それからおよそ80年。南国の強い日差しと潮風にさらされる場所に立ち続けてきた「龍馬像」も、さすがに老朽化が目立つようになってきた。
そこで今度は全国の「龍馬ファン」に募金を呼びかけ、集まった寄付金により1999年に大規模改修が行われた。
つまり今僕らが桂浜で見ている「龍馬」は、若干25歳の若者だ(笑)。
龍馬に大接近
高さ13.5メートル、像だけでも5.3メートルある「龍馬像」は、銅像としては日本で一番大きいと云われている。
ただそのせいで、普段は見上げるアングルの写真しか撮ることができない。
そこで始まったのが、「龍馬に大接近」というイベントだった。
例年、「龍馬」の誕生日であり命日でもある11月15日を挟んだ約2ヶ月間、「龍馬像」の隣に特設展望台が組まれ、「龍馬」の目線で太平洋を眺めることができる。
詳しくは高知市観光協会のホームページで確認を。
なお「桂浜公園」には、「桂浜水族館」や「土佐闘犬センター」があるほか、すぐ近くに前述した「高知県立坂本龍馬記念館」もあるので、終日のんびり過ごすことができる。