25年のキャリアを誇る車中泊旅行家がまとめた、香川県にある「こんぴらさん」こと「金刀比羅宮」の由緒歴史と逸話及び、周辺の車中泊スポットに関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「金毘羅船々」でお馴染みの「金刀比羅宮」は、海上交通の守り神を祀る、江戸時代から人気の高い”おやしろ”
金刀比羅宮 DATA
金刀比羅宮
〒766-0001
香川県仲多度郡琴平町892-1
☎0877-75-2121
●参拝費用
無料
髙橋由一館:おとな500円、
表書院、宝物館:おとな800円
[3館共通券]:おとな1500円
●参拝時間
6時~18時
表書院・高橋由一館・宝物館は9時~17時(受付最終16時30分)
駐車場
近隣に町営駐車場有り
筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2009.10.10
2015.12.16
「金刀比羅宮」での現地調査は2015年12月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2025年3月に更新しています。
「金刀比羅宮」の由緒歴史とトリビア&車中泊事情

金刀比羅宮のロケーション
「こんぴらさん」の名で親しまれている「金刀比羅宮」は、香川県の観光スポットが集中している好立地に位置している。
高松城からは約34キロ・クルマで1時間ほど離れているが、「弘法大師」が生まれた「善通寺」まで約8.5キロ、「天空の鏡」で名を馳せた「父母ヶ浜」までは約21キロ、また大迫力の「銭形砂絵」が観られる「琴弾公園」にも約21キロと近く、クルマがあれば十分1日で観て周ることができる。
詳しい周辺情報は下の記事にまとめているので、ぜひ参考にしていただきたい。
金刀比羅宮の歴史と祭神
「金刀比羅宮」は、江戸時代までは真言宗「象頭山松尾寺」の堂宇のひとつとして、神仏習合の「金毘羅大権現」を祀っていたが、明治初年に神仏分離・廃仏毀釈が実施され、「大物主」を主祭神とする神社となった経緯を持ち、現在は全国に約600ある「金刀比羅神社」、「琴平神社」あるいは「金比羅神社」の総本宮として位置づけられている。
公式サイトによると、「大物主」は「出雲大社」に祀られている「大国主命」の「和魂神(にぎみたまのかみ)」で、農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持ち、海上に現れたことから、海の守護神としても信仰されている。
それを裏づけているのが、この「出雲大社」にある「ムスビの御神像」で、手前の波の上に乗った玉が「和魂神」、奥で両手を広げているのが「大国主命」になる。
また「大物主」は、奈良県桜井市三輪にある日本最古の神社とされる「大神神社(おおみわじんじゃ)」の祭神でもある。
かくのごとく昔から崇められてきた神様だけに、時代を超えて海上武人からの信仰は篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭や、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭が、今も毎年ここで開かれている。
また江戸時代には、お伊勢参りと肩を並べる人気を博し、「金毘羅講」と呼ばれる宗教的な互助組織も存在したという。
ただ由緒高き「大物主」の、分かったような分からぬような話より(笑)、旅行者にとって興味深いのは、
なぜ「金刀比羅宮」を題材にした民謡の「金比羅船々」が、こともあろうか、芸妓とのお座敷遊びに使われるようになったのか… ではないだろうか。
金毘羅船々
よくご存知ではないという方のために、動画を用意しておいた。
金比羅船々 歌詞
金毘羅船々 追手 に帆かけて シュラ シュ シュ シュ
まわれば四国は 讃州那珂の郡 象頭山金毘羅大権現
一度回れば で繰り返し
「金比羅船々」が「金刀比羅宮」を題材にしていることは確かだが、実はその発祥は分かっておらず、香川県で生まれたという確証もないという。
そんな中で、もっともらしいのは
江戸時代の中頃に、”金毘羅参り”の起点となる大阪港から讃岐に向かう船の中で唄いだされたという説で、実際に「金比羅宮」への参詣客を運んだ「こんぴら船」は、1744年から始まっている。
短く軽妙で覚えやすい「金比羅船々」は、宴会の騒ぎ唄から座敷唄に転じ、幕末頃から明治にかけて全国に広まったという。
そして昭和には、明るい曲調から学校教材として用いられ、NHKの「みんなのうた」でも2回に渡って放送されている。
『お座敷小唄を子どもに教えるなんて言語道断!』てな調子で、過剰すぎるほど「コンプライアンス」に怯える令和の今では、考えられない”大らかさ”ですな(笑)。
金刀比羅宮の見どころ
それはさておき、
「金刀比羅宮」のスケールと云えば、石段もまた、なかなかのもの。
「象頭山(ぞうずさん)」の中腹に建つ「金刀比羅宮」は、「参道口」から「御本宮」まで785段、「奥社」までは1368段の石段がある。
ということで、ここからは境内図に沿って見どころを簡単に紹介していこう。
まずは、階段の両側に店が軒を連ねる表参道から。
「一之坂」と呼ばれるきつい勾配を超えると、ようやく「大門」が見えてくる。
写真の彼女は既に足に乳酸が溜まってきている感じだが、「金刀比羅宮」の参拝は、この365段の石段を登り切ったところから始まる。
画像に残されたタイムデータから所要時間を割り出すと、表参道の最初の1段目からここまでで約7分。もっとも当時の筆者はまだ50代だった(笑)。
❶の「大門」。
「大門」は「金刀比羅宮」の総門で、江戸時代に「水戸光圀」の兄で高松藩主の「松平頼重」から寄進されたものが今も残る。
そしてその「大門」から先が、国の名勝・天然記念物に指定され、「瀬戸内海国立公園」に含まれている神域だ。
続いて紹介するのは、477段のところにある❷の「表書院」。
ここは有料だが、中では「円山応挙」の襖絵などが公開されている。
「日本写生画の祖」とも呼ばれる「円山応挙」は、江戸時代後期に活躍した絵師で、写生をもとに再構築した作品が多いのが特徴とされる。

出典:金刀比羅宮
七賢之間に描かれた「竹林七賢図」。撮影禁止だが、一見の価値はあると思う。
こちらは❸の「旭社」。
40年の歳月をかけて1845年に完成した旭社は、「金刀比羅宮」の旧神宮寺の金堂として建立されたお堂で、天保時代の芸術の粋を集めた建物と云われている。
天保は第12代将軍「徳川家慶」の時代で、「大塩平八郎の乱」 や 「アヘン戦争」に危機感を持った老中「水野忠邦」が、幕藩体制の維持存続を目ざして行った『天保の改革』を覚えている人も多いと思う。
そのため「旭社」には、江戸幕府の原点とも云える「質素倹約」「質実剛健」を反映した意匠や細部手法が施されており、随所に嵌め込まれた彫刻等に、その特徴がよく現れているという。
そして再び現れる133段の「御前四段坂」を登った先に、❹の総本宮が待っている。

「御本宮」の北東側は展望台になっており、讃岐平野が一望できる。
さて。
筆者の知る「こんぴらさん」はここまで。
残念ながら、❺の奥社までは足を運んでいないので、ここから先は公式サイトにお任せすることにしよう(笑)。
最後に、筆者が訪ねた日はかろうじて土産屋の青空駐車場が空いていたが、駐車場は表参道に近づくほど少なくなる。
ゆえに休日に行くなら、朝一番がいい。そしてそれには車中泊の”前泊”が有効だ。
金刀比羅宮周辺の車中泊事情
「金刀比羅宮」に最寄りの道の駅は、約5キロのところにある「道の駅 空の夢もみの木パーク」だが、ここは駐車場がすべからく傾斜しており、車中泊には適していない。
ただ幸いなことに、約11キロ・クルマで20分ほどのところにも「道の駅 たからだの里・さいた」があり、こちらは駐車場もフラットで、敷地内に日帰り温泉施設が併設している。