四国を車中泊で旅する人に向けた、愛媛県松山市の見どころと車中泊事情を、経験豊かな「車中泊旅行家」が紹介します。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づき、全国各地の「クルマ旅にお勧めしたい観光地」を、「車中泊旅行者目線」からご紹介しています。

~ここから本編が始まります。~
松山観光の拠点にお勧めなのは、道後温泉。
「松山」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2010.07.08
2011.01.23
2012.03.17
2012.11.23
2013.10.13
2014.01.16
2016.01.01
2018.05.10
2019.02.05
2025.02.10
※「道後温泉駐車場」での現地調査は2025年2月が最新です。
「いで湯と城と文学のまち」松山

「いで湯と城と文学のまち」の意味
「いで湯と城と文学のまち」は、40年近く前から松山市の観光PRで用いられてきた、馴染みの深いキャッチコピーだが、端的にポイントを言い表したいい表現だと思う。
「いで湯」とは「日本三古湯」のひとつとされる「道後温泉」、「城」は「現存十二天守」と「日本100名城」に名を連ねる「松山城」、そして最後の「文学」には、『松山が発信源』と『松山が描かれた』の2つの意味が込められている。
ただし文学には、ともに「ある人物」が絡んでいる。
おそらく、このキャッチコピーに記された本来の文学は、『松山が発信源』の「俳句」を指しているのだろう。
なぜなら松山は、その「中興の祖」と呼ばれる「正岡子規」の故郷だ。
しかし松山をそれ以上に世に知らしめた文学は、稀代の歴史小説作家「司馬遼太郎」の名作「坂の上の雲」だと筆者は思う。
もちろん「夏目漱石」の「坊っちゃん」も松山が舞台だが、登場人物は架空だ。

出典:NHK
いっぽうの「坂の上の雲」には、3人の主人公が登場するが、いずれも松山生まれの実在人物で、その中のひとりが「香川照之」の扮する「正岡子規」になる。
「正岡子規」と「坂の上の雲」については詳しく後述するが、いずれにしても、この「いで湯と城と文学」が松山観光の柱になることは確かだろう。

出典:MAP&NEWS
加えて松山はコンパクトにまとまった町で、「道後温泉」の観光スポットは、「松山」のそれとほぼ重なっている。
そもそも日本で、県庁所在地にこれほど大きな温泉地があること自体が珍しい。
であれば、夜は「道後温泉」で泊まり、そこを拠点に松山の町を堪能するのが、ベストな作戦であるのは明らかだ(笑)。
幸いにも「道後温泉」には、車中泊に好適と云える「市営駐車場」がある。
道後温泉の魅力を徹底解説!

出典:共同通信社
というわけで「道後温泉」の話から進めていくが、さすがにここでそれをツラツラ書くには長すぎる(笑)。
というわけで別記事を用意した。
「道後温泉」の記事は全部で4部作となっており、歴史と泉質の話はもちろん、2024年7月に長期に及んだ保存修理工事を完了した、「道後温泉本館」の『行く前に知っておきたい入湯の秘訣』や、その界隈にあるグルメスポット、さらには「夏目漱石」が松山中学の英語教員だった経験をもとに描いた、「坊っちゃん」ゆかりの見どころなどを、”旅行者目線”から余すことなく綴っている。
まるで「金太郎飴」の如く、「当たり障りのないこと」ばかりを繰り返している数多のサイトとは、ひと味もふた味も違う内容にご注目を(笑)。
江戸時代の天守が残る「松山城」は、日本100名城のひとつ
かつての「豊臣秀吉」の子飼衆であった「加藤 嘉明」が、「関ヶ原の戦い」の功により、「徳川家康」から伊予の地を拝領。
1602年に本格的な築城に着手し、その後を「蒲生氏」が引き継いで、「総構え」の壮大な平城を完成した。
しかし「蒲生氏」は跡継ぎに恵まれず、在藩7年で”お家断絶”となったため、1635年に「徳川家康」の甥にあたる「松平定行」が伊勢桑名から入城する。
以降、明治維新までの235年間にわたり、松山は四国の親藩大名としての重責を担ってきた。
「国の重要文化財」「現存十二天守」「日本100名城」に名を連ね、江戸時代から引き継いできた天守や石垣に、1966年から総木造づくりで30棟もの櫓や門・土塀などを復元してきた「松山城」は、それらが見事に融合する美しい姿を見せ続けている。
「坂の上の雲」と、ゆかりの人物ゆかりの地
日本が近代国家へと歩み始めた明治時代。松山に3人の男がいた。
後に「連合艦隊参謀」として、無敵と飛ばれたロシアの「バルチック艦隊」を撃破し、「日本海海戦」を勝利に導いた「秋山真之(さねゆき)」、その兄で同じくロシアの「コサック部隊」を打ち破って「日露戦争」の勝利に貢献し、後に「日本騎兵の父」と呼ばれる「秋山好古(よしふる)」、そして俳句・短歌の「中興の祖」となった「正岡子規」。
彼らはただ前のみを見つめ、明治と言う時代の坂を上ってゆく…
歴史作家「司馬遼太郎」の代表作のひとつである「坂の上の雲」は、1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)にかけて「産経新聞」に連載され、その後単行版全6巻(文藝春秋、初版1969年~1972年)、文庫版全8巻(文春文庫、初版1978年、島田謹二解説)で刊行された。
しかし、日本人の多くが「坂の上の雲」という作品を知ることになったきっかけは、テレビだろう。
2009年11月29日から2011年12月25日まで足掛け3年にわたり、NHK「スペシャルドラマ」として放送された「坂の上の雲」は、3部構成の全13話。
NHKの「プロジェクトJAPAN」の一環に位置づけられ、国内では、愛媛・長野・茨城・奈良・福島・愛知・神奈川・静岡・広島・岡山・滋賀・熊本など、さらに海外は日露戦争の舞台となった中国やロシア、さらにはアメリカ、イギリス等で3年に及ぶロケが行われた。
また、戦闘シーンは、CG(コンピューター・グラフィックス)をフル活用し、映画さながらのリアリティーを実現している。
配役は、主役の本木雅弘(秋山真之)、阿部寛(秋山好古)、香川照之(正岡子規)のほか、西田敏行、石坂浩二、高橋英樹、渡哲也、伊東四朗、加藤剛、小澤征悦、竹下景子、松たか子、菅野美穂などの豪華キャスト。
もちろん制作費は大河ドラマを上回るケタ違いの規模であった。
松山に残る「坂の上の雲」ゆかりの地は以下にまとめてあるので、ご覧になっていた方、あるいは興味を覚えた方は、一度目を通してみていただきたい。
さらにプラスしたい松山の見どころ
さすらいの俳人・種田山頭火、臨終の地「一草庵」
松山市内に、正岡子規とは全く作風の異なる昭和の俳人、種田山頭火の終焉の地が残されてることをご存知だろうか…
愛媛県指定無形文化財 砥部(とべ)焼
「道後ハイカラ通り」で見かける「砥部焼(とべやき)」は、道後温泉から30分ほどの、松山市郊外にある砥部町生まれの陶磁器だ。
今でも多くが手作りのため、一大産地や有名産地にはなっていないが、素朴で独特の風合いが、「質実剛健・質素倹約」を重んじた江戸時代に培われてきた、伝統工芸品らしさを醸し出している。
国号33号線沿いにある「砥部焼観光センター炎の里」に行けば、数百点にもおよぶランナップの中から、気に入った砥部焼を購入できるだけでなく、その製造工程のすべてが見学できる。
車中泊で楽しむ、道後温泉
車中泊でクルマ旅 総合案内
クルマ旅を愉しむための車中泊入門

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