25年のキャリアを誇る車中泊旅行家がまとめた、徳島県と高知県にまたがる室戸半島の概要と車中泊に関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づき、全国各地の「クルマ旅にお勧めしたい観光地」を、「車中泊旅行者目線」からご紹介しています。

~ここから本編が始まります。~
徳島県と高知県にまたがる室戸半島は、日本一周に避けては通れぬ”四国の修行先”
室戸半島の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2011.05.05
2018.05.13
2024.11.22
「室戸半島」での現地調査は2024年11月が最新です。
室戸半島一周 車中泊旅行ガイド

室戸半島の概要
北海道を旅したことがある人は、このマップを見て、どこか似たような場所を思い出さないだろうか…
吉田拓郎が作り、森進一が
♪なにも~ない、春です~♪
と歌った「襟裳岬」は、「室戸岬」と地形が似ているだけでなく、
「何もなさ」というか、岬に到着するまでの『観光密度の低さ』が共通している。
分かりやすく云ってしまえば、『岬に着けばそれなりに楽しめるが、それまでの道中が、長く退屈でつらい』(笑)。
しかしここを走らなければ、「四国一周」はもちろん、多くの車中泊の旅人が夢見る「日本一周」は完結できない。
ご承知の通り、「室戸岬」は「空海」が修行を積んだ地だ。
さすがに車中泊の旅人が、洞窟に籠もってお経を唱える必要はないが、「室戸半島」を『長くやっていれば紆余曲折もある「クルマ旅」の修行の場』と置き換えれば、多少は我慢もできるだろう(笑)。
筆者が規定している「室戸半島」の範囲は、「紀伊水道」に面した徳島県側の「日和佐(ひわさ)」から、「土佐湾」に面した高知県側の「安芸(あき)」までで、その最南端に「室戸岬」がある。
「室戸岬」ついては、上の記事に相当詳しくまとめているのでここでは割愛するが、問題はそこまでの道のりを、ただの「移動」にしてしまうか、「旅」にするのか…
『車中泊クルマ旅の醍醐味は、ロード・トリップにある』と自負する筆者にとって、それを「旅」にしないという答えはない。
徳島県側の見どころと車中泊事情
大まかに云えば、「室戸半島」の東岸は、「見どころ」と「道の駅」がほぼ重なっていると思っていい。
つまり最初のポイントは、ウミガメが産卵に訪れるという風光明媚な「大浜海岸」と、「お遍路さん」から親しまれてきた道の駅を有する「日和佐」になる。
その次には、日帰り温泉があって、目の前のビーチでサーフィンが見られる「宍喰温泉」が挙げられるが、今は高知県との県境を超えたもう少し先にある、「海の駅 東洋町」のほうが、マイカー旅行者なら食事も休憩もゆっくりできると思う。
「海の駅 東洋町」を超えれば、文字通りあとは”一本道”。
「室戸世界ジオパークセンター」が見えたら、もう「室戸岬」はすぐそこだ。
高知県側の見どころと車中泊事情
いっぽう「室戸半島」の西岸には、若干見飽きた感のある「海」とは関係しない観光地が幾つか点在する。
その中で気になるのは、やはり「室戸岬」に立っていた「中岡慎太郎」の生家だ。
その紹介の前に、簡単に「中岡慎太郎」のプロフィールを記載しておこう。
中岡慎太郎
1838年(天保9年)、現在の安芸郡北川村に大庄屋の息子として誕生する。
幼い時から優秀だった「中岡慎太郎」は、「武市半平太」が結成した尊王攘夷運動を目的とする「土佐勤王党」に参加するが、京都で起こった政変で尊王攘夷派が失脚したため、身の危険を察して土佐藩を脱藩し、長州藩に身を寄せる。
「中岡慎太郎」が、後に運命をともにする「坂本龍馬」と出会うのは、同郷の土佐ではなく、ともに土佐藩を脱藩した後の上方で、『長州藩と薩摩藩の連合』こそが、新しい国づくりを進展できるという共通認識が、ふたりを強く結びつけるきっかけとなった。
念願だった「薩長同盟」成立後の1867年(慶応3年)、土佐藩支援のもとに「龍馬」は「海援隊」を、「慎太郎」は謀報機関と軍隊を兼ねた「陸援隊」を結成する。
しかし「大政奉還」後の新しい国家を築く前に、京都の近江屋で「龍馬」と会談中に刺客に襲われ、わずか30歳でその生涯を閉じている。
国民的ヒーローの「坂本龍馬」とともに、衝撃的な最期を迎えてしまったこともあり、「中岡慎太郎」を「龍馬」の脇役のように感じている人も多いようだが、「慎太郎」が「龍馬」と行動を共にしたのはわずか2年半ほどにすぎず、それ以前は志士として独自の活動を行っている。
また歴史上、「龍馬」の功績とされることが多い「薩長同盟」も、「慎太郎」なくしては成立しえなかった。
安芸に残る生家には、そんな「中岡慎太郎」の貴重な資料が保存展示されている。
ちなみに
安芸にはもうひとつ、「坂本龍馬」と深い関わりを持つ人物の生家がある。
その人物とは、日本の実業家で「三菱財閥」を創業した「岩崎弥太郎」。
のちの明治の動乱期に政商として暗躍し、巨万の利を得た有名な人物だが、さすがにそのプロフィールと「坂本龍馬」との関係は別記事にしている(笑)。
その「岩崎彌太郎 生家」の見どころは2つある。
ひとつは西側と後方にある土蔵の鬼瓦で、そこに現在の三菱マークの原型とされる、岩崎家の「三階菱」の紋がつけられていることから、ここが『三菱グループ源流の地』と呼ばれている。
もうひとつは、小さな庭に配置されたこの「石組み」だ。
こちらは少年時代の「弥太郎」が、天下雄飛の夢を託して、日本列島を模して自分で作ったものだと伝えられている。
たださすがにこれは、「後付け」臭い気がしないでもない(笑)。
「岩崎彌太郎 生家」には公式サイトが見当たらないが、ここでは「三菱グループ」の制作しているホームページをリンクしておこう。
もっとも…
この2ヵ所は『歴史好き・龍馬好き』にはいいと思うが、そうでなければ、筆者に云われなくても“行かない”だろう(笑)。
そこで、誰もがもっと気軽に楽しめる場所を加えておこう。
写真の「北川村モネの庭マルモッタン」は、印象派を代表するフランスの画家「クロード・モネ」が描いた連作、「睡蓮」をモチーフにするフラワーガーデンだ。
「モネ」が1883年以降に暮らしたジヴェルニーの「モネの庭」を、北川村の自然を生かして再現したもので、2000年4月19日に開園した。
開園に際して、フランスの「モネの庭」の顧問(前管理責任者)「ジルベール・ヴァエ」氏の指導を受け、同庭園を管理するモネ財団から、「モネ」を冠することを公式に認められた唯一の庭園になる。
確かにここは穏やかで、本当によくできた癒やされる空間だった。
最後は車中泊スポットについて。
「中岡慎太郎生家」と「モネの庭」に近いのは「道の駅 田野駅屋」で、「日和佐」をスタート地点にするなら、時間的にはここがその日の宿泊地になりそうだ。
日帰り温泉にもコンビニにも近く、「旅の宿」としては申し分ないと思う。
ただ翌日に高知市内を周りたい人には、時間があるなら「道の駅 やす」まで行っておくと、翌朝が楽になるだろう。
室戸半島(岬)車中泊旅行ガイド
車中泊で旅する高知県
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