日本史と大河ドラマ好きの車中泊旅行家がまとめた、坂本龍馬・脱藩の地「梼原」の見どころと車中泊情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
行けば分かる。龍馬が梼原を脱藩の道に選んだ理由
「梼原」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2011.05.01
2015.12.29
2020.06.21
「梼原」での現地調査は2020年6月が最新で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2024年12月に作成しています。
坂本龍馬・脱藩の地 梼原の見どころ&車中泊事情

龍馬が梼原を脱藩の道に選んだ理由
龍馬が土佐を脱藩したのは28歳の時。
その事を聞いた「武市半平太」が、『龍馬は土佐の国にはあだたぬ奴だ』と語った話は有名で、「あだたぬ」とは土佐弁で包容しきれぬという意味を持つ。
「龍馬」が脱藩を決意した理由は、「土佐勤王党」の党首「武市半平太」を軽視する、「吉田東洋」の暗殺に反対だったからとする説や、長州主導の急進的な改革を目指す攘夷派の京都挙兵計画に魅力を感じ、郷里に見切りをつけたとする説など諸々囁かれているが、いずれにしても土佐藩の旧態然とした体質への嫌気が、その背景にあったことは確かだろう。
「坂本龍馬」の脱藩については、他にも面白い逸話が残されている。
それは松ケ峠の番所で、「坂本龍馬、まかり通る」と言い残し、堂々と番人の前を過ぎ去ったという話。
同時にその話は、ある疑問へと我々を導いてくれる。
そもそも、なぜ「龍馬」は「梼原(ゆすはら)」を脱藩の地に選んだのだろう。
実はこの道を通り、龍馬より先に土佐藩を脱藩した人物がいた。
それは「龍馬伝」で、「要潤」が好演した「澤村惣之丞(さわむらそうのじょう)」だ。「惣之丞」は京都挙兵計画に参加すべく、「吉村寅太郎」とともに既に脱藩を果たしており、同志を募るために再び土佐に戻っていた。
その誘いに乗ったのが「龍馬」だった。
二人は「土佐勤王党」を通じた旧知の仲で、その後「惣之丞」は「龍馬」の右腕として「海援隊」で大いに手腕を発揮する。
今も残る、坂本龍馬「脱藩の道」

出典:NHK
「坂本龍馬」の脱藩に同行した「沢村惣之丞」の口述記録によると、正式な「坂本龍馬・脱藩の道」は、土佐の高知から「梼原」、伊予の「大洲・長浜」、そして長州の「下関」に至る道のりになる。
そしてここがゴールとされ、後に「龍馬」が妻の「お龍(おりょう)」と短い至福の時間を過ごす「自然堂」のあった「白石正一郎邸跡」だ。
もちろん当時は船で最短距離を辿ったと思うが、国道優先でナビゲーションすると、その距離はなんと500キロ弱。
もっとも「坂本龍馬フリーク」には、このくらいの追跡は「序の口」だ(笑)。
梼原に残る「脱藩の道」の見どころ
モデルルートは以下の通り。
千枚田―(徒歩30分:3km)→道の駅ゆすはら―(徒歩20分:2km)→那須俊平・信吾邸跡―(徒歩10分:1km)→六志士の墓―(徒歩10分:0.5km)→旧掛橋和泉邸―(徒歩10分:1km)→神幸橋(みゆきばし)―(徒歩20分:2km)→ 維新の門群像 ―(徒歩40分:4km)→宮野々番所跡―(徒歩2時間:8.5km)→茶や谷の茶堂―(徒歩15分:0.5km)→松ヶ峠番所跡―(徒歩2時間10分:6km)→韮ヶ峠(愛媛県境)
これを合計すると片道28.5キロ、徒歩だと約7時間近くかかる計算になり、よほどの健脚でなければ完歩するのは難しい。
もちろん筆者はクルマで周った(笑)。
ただ肉体のしんどさよりも、「脱藩の道」の見どころは深い知識を要するため、自力ではなかなか理解しにくいと思う。
そこでお勧めしたいのが、梼原町役場が実施している「坂本龍馬脱藩の道 ウォーキング」と題したガイドツアーだ。
なおガイドツアーで行けなかった場所は、後からクルマで周ればいい。
写真は江戸時代に土佐と伊予の国境があった「脱藩の道」の梼原最終地「韮ヶ峠」で、現在でも高知県と愛媛県の県境になっている。
龍馬の同志が躍動する「維新の門」
和田城跡の広場にある「維新の門」には、梼原町にゆかりのある「六志士(吉村虎太郎・那須信吾・那須俊平・前田繁馬・中平龍之助・掛橋和泉)」に、「坂本龍馬」「澤村惣之丞」を併せた、八人の銅像が建立されている。
銅像は彫刻家・濱田浩造氏によるもので、屋外で雨ざらしにしておくのがもったいないと思えるほどの秀作だ。
濱田氏は「維新の門群像」以外に、「岩崎弥太郎像」「お龍・君枝姉妹像」、「長宗我部元親像」など、高知を代表する著名人の銅像を数多く手掛けており、その作風は見るものを圧倒する迫力に満ちている。
ちなみにこの銅像は、人間が服を着るのと同様に、甲冑の下の袴から重ね合わせて作り上げてある。
梼原の車中泊事情
市街地から3キロほど離れたところに、温泉が隣接する「道の駅 ゆすはら」がある。
梼原は他の観光地から孤立しているため、本気で「龍馬」の足跡を追うなら、最初からここで1泊するつもりで行くほうがいい。
ただ「道の駅 ゆすはら」は現在改修中で、2027年にリニューアルオープンの予定となっている。
車中泊で辿る、坂本龍馬ゆかりの地
高知市内編
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車中泊でクルマ旅 総合案内
クルマ旅を愉しむための車中泊入門

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