25年のキャリアを誇る車中泊旅行家がまとめた、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ「弘法大師三大霊跡」のひとつ、香川県の「善通寺」の見どころと周辺の車中泊スポットに関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「善通寺」は、京都の「東寺」、和歌山の「高野山」と並ぶ、「弘法大師三大霊跡」のひとつ
善通寺(ぜんつうじ) DATA
善通寺
〒765-8506
香川県善通寺市善通寺町 3-3-1
☎0877-62-0111
堂舎の開扉時間
本堂:7時~17時
境内散策自由
戒壇めぐり拝観料
おとな500円
駐車場
有料 普通車1回300円
「善通寺」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2012.11.22
2018.05.08
「善通寺」での現地調査は2018年5月が最新で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2025年2月に更新しています。
善通寺【目次】

「善通寺」のロケーション
京都の「東寺」、和歌山の「高野山」と並ぶ、「弘法大師三大霊跡」のひとつに数えられている「善通寺」は、お遍路さんはもちろん、「弘法大師」をリスペクトしている人間なら、一度は足を運んでみたい“聖地”だと思う。
ただそういう日本人は、思っているより少ないかもしれない。
なぜなら観光客の多くは、由緒ある「善通寺」より、約8キロ離れたところにある、芸妓とのお座敷遊びの伴奏曲として有名な「金比羅船々」でお馴染みの、「こんぴらさん」にお参りする(笑)。
まあNHKの『みんなのうた』で、2回に渡って放送されている「国民的民謡」なので、知名度は絶大。そりゃしかたないね!
「善通寺」の歴史と概要
四国が生んだスーパースターと云えば、「坂本龍馬」も間違いではないと思うが(笑)、その「龍馬」よりも1000年以上前に生まれ、仏教のみならず、文化、教育、土木に及ぶ多大な業績を残した人物が、「空海」こと「弘法大師」だ。
「善通寺」はその「弘法大師」の誕生地にして、「真言宗善通寺派」の総本山で、「弘法大師」ゆかりの国宝や大楠があり、創建当時の伽藍配置を残している。
「善通寺」は平安時代初頭の807年に、唐から帰国した「弘法大師」が先祖の菩提を弔うため、807年(大同2年)から6年の歳月をかけて建立した真言宗最初の根本道場(伽藍)で、父の文君「佐伯善通」公の名をとって寺号とした。
「善通寺」の広大な境内は、創建地である東院「伽藍」と、「弘法大師」の生誕地とされる西院「誕生院」に分かれているが、東の「伽藍」、西の「誕生院」という形式ができあがったのは、「誕生院」が建立された1249年(建長元年)以降になる。
というのは、「善通寺」が本格的な興隆を迎えたのは、鎌倉時代に入り、天皇や上皇からの庇護や荘園の寄進を受けるようになってからで、背景には、平安時代の後期に広まった「弘法大師」信仰があり、誕生の地に伝わる大師自筆とされる「瞬目(めひき)大師像」への崇敬があるという。
「瞬目大師像」は、御影堂の本尊で50年に1度、「弘法大師遠忌」の際に開帳されるということで、次回は2034年になる。
「善通寺」は室町時代に兵火に遭い伽藍を焼失しているが、1588年(天正16年)に「生駒親正」から28石、「生駒一正」から35石の寄進を受けたて立ち直る。
さらに江戸時代は、「高松松平家」や「丸亀京極家」の庇護を受けて大いに栄えた。
明治に入ると付近に陸軍基地が置かれ、軍都として発展する。
江戸時代までは、現在の東院である「善通寺」と現在の西院である「誕生院」は別の寺院だったが、明治元年に単一の寺院となった。
ご承知のように、「弘法大師」は、四国・京都・和歌山のみならず、伊豆の「修善寺」や神奈川の「川崎大師」など、日本各地にゆかりの場所がたくさんある。
それもあって、旅人には親しみを抱かせる人物だけに、ここまで来たらお遍路さんでなくても、「善通寺」に足を運んでみる価値はあるだろう。
なお「善通寺」は、「四国八十八ヶ所霊場」では1番ではなく75番目の札所だ。
「善通寺」の車中泊事情
「善通寺」からいちばん近い車中泊スポットは、7キロほどのところに建つ温泉施設を併設した「道の駅 ふれあいパークみの」になる。