25年のキャリアを誇る車中泊旅行家が、2021年春に出かけた「東北桜前線追っかけ旅」の足跡を旅行記にまとめています。
なおこの記事は、2025年5月に一部情報をアップデートしてお届けしています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行記

この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、これまでの中で特に印象に残った旅の足跡をまとめた旅行記です。

~ここから本編が始まります。~
嵐の弘前で奇跡が起こる!
車中泊旅行記「2021年・東北桜前線追っかけ旅」/第8話 青森編
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」が覆った、弘前ならではの「新発見」
雨上がりは突然に
2021年の弘前訪問は、天候回復待ちから始まった。
4月18日の日中に、秋田の角館の枝垂れ桜を撮影した後、天気は予報通り崩れ、夜半には風雨が強くなってきた。
4月9日に家を出て以来、初めての傘の出番だ。我ながら「どんだけ~」と思うほどの晴男ぶりを発揮し、ここまで順調過ぎる取材旅を続けてきたのだが、さすがにパーフェクトとは行かない。
だが秋田編でも書いた通り、これは「想定内の話」だ。
弘前は明日も終日雨模様で、夜半にはもっとも風が強まり、大荒れになるとの予報が出ていた。
そこでがっつり食糧を買い込み、温泉併設の「道の駅 いかりがせき」で、この「人生の空から」を書き進めるつもりでいた。
最終的には総括を入れて9話となった、今回の「旅の空から」だが、旅の途中にクルマの中で6話まで書き上げている。
今回は道の駅で車中泊をしながらの旅なので、サブバッテリー残量のコントロールに気を使ったが、もっとも効果を発揮したのが「ダウンシュラフ」だ。
おかげでFFヒーターの使用を最小限に抑えることができ、さらにパソコンもバッテリーで20時間近く使えるMac bookを持参するなど、新旧様々な節電方法を駆使して、2週間に及ぶ長期の取材旅を乗り切った。
もっとも…
振り返ればこの旅が、ディープサイクルのサブバッテリーによる最後の長旅だった。
リチウムイオンのサブバッテリーに積み替えたその後は、そういうことを気にする必要がまったくなくなり、旅先でも電子レンジや冷凍冷蔵庫に電気湯沸かし器まで、自宅と同じように使用している(笑)。
さて。
異変が起きたのは19日のお昼前。
どういうわけか雨が上がり、空も明るくなってきた。
「道の駅 いかりがせき」から弘前市街までは25キロほどしかなく、30分ほどで行けるし、できれば同じ道の駅での連泊を避けたいこともあって、移動することに決めた。
と云ってもこの時点での行き先は、弘前市内にある青森県のソウルフード「煮干しラーメン」の人気店だった。グルメの取材は天候に関係なくできるので、こういう時にしておくと時間が有効に使える。
「煮干しラーメン」と対面するのはこれが2度目で、今度は驚くこともなかったが、運ばれてきたのは、やはり香りからして濃厚極まりないスープで満たされた器だった。
「たかはし中華そば店」の中太ストレート麺は、コシのある筆者好みの食感で、最初は思ったより調子よく胃袋に送りこめた。
これなら最後まで行けるかと思ったが、やはりしつこすぎて完食には至らず。
寒い地方では総じて食事の味が濃く、薄味に慣れた関西人にはズシッとくる。
それは筆者が旅先での外食を避ける理由のひとつでもある。
店の外に出て驚いた。
あらま、これなら桜も撮れそうじゃん!
そこで1時間毎の天気予報を確認すると、あと2時間はもちそうな感じだ。
今夜の嵐で、せっかく咲いた桜の花が散ることを恐れていた筆者は、ダウンがいるほど冷たい北風に怯むことなく、ここで勝負に出ることに決めた。
城内では既に、枝垂れ桜もソメイヨシノもピークを迎えつつあった。
お城絡みのカットは、さすがに岩木山の山頂に雲がかかっていたものの、いざとなれば使えるレベルのものが撮れた。
そしてなんと、撮り終わってクルマに戻った途端に、大粒の雨が降ってきた。
まさに奇跡。
守護神アマテラスのご加護に、感謝感謝の2時間だった(笑)。
この日は、そのまま「道の駅 弘前」に直行して、隣接する温泉で冷えた身体を温め、ひとりでゆっくり鍋をつついた。
「道の駅 弘前」は高い建物が風よけになってくれるので、まともに風を食らうこともなく、嵐の夜でも快適に過ごせる。
そして翌朝、予報通りの晴天を迎えた。
まさかの「黄砂」で、黒石へ
ただ朝から青空は出ているものの、昨日と同じで岩木山には雲がかかったままだ。
そこで午前中に岩木山の様子が見える「道の駅いなかだて」に移動し、山頂が完全に見えるのを待った。
だが、お昼になっても雲は消えない。そこで先に黒石を取材することにした。
「津軽じょんから節」の発祥地である「黒石」は、江戸町風情を現在に伝える「こみせ」と呼ばれる和製アーケードのある、伝統的建造物群保存地区。
筆者は2012年に一度訪ねているのだが、その時よりも町の整備が進み、ちょっと観光地らしくなっていた。
「道の駅いなかだて」から、黒石のこみせ通りまでは3キロほどしかなく、クルマは市役所の駐車場を無料で利用できる。
また黒石には温泉郷があり、今回は時間の都合で行かなかったが、カーネルには弘前とあわせて、筆者お勧めの「ランプの宿・青荷温泉」を掲載するつもりだ。
さて。
午後からは回復すると思っていた天気に、思わぬ横槍が入った。
気温が15度しかないにもかかわらず、岩木山が霞み始めた。どうやら強い西風に乗って、黄砂が青森にまで飛んできたようだ。
こうなると、いよいよ昨日のラッキーが効いてくる。
そう思いながら、この日は近くのローカルスーパーで手に入れた、極上の酒の肴で一杯やりながら床についた。
なお「道の駅 いなかだて」についても、既に詳細ページを公開している。
電光石火の1時間
思いもよらないことでアドバンテージを失った昨日だったが、筆者はベストショットの撮影を、まだ諦めてはいなかった。
朝7時、ついに岩木山の頂上が顔を見せた。
この日は10時青森発・函館行きの津軽海峡フェリーを予約していたので、弘前に滞在できるタイムリミットは8時30分。
ということで、速攻で弘前公園にクルマを走らせ、再度本丸を目指した。
嬉しいことに、昨夜の風で桜の花が散り、外堀では一昨日とは違う光景が見られた。
だが幸いにも、お城周りの桜は風に耐え、満開を保っている。
しかし、またしても山頂には雲が…
時間ギリギリまで粘ったが、最後まで雲が切れることはなく、これが今回の最後の1枚となった。
やるだけやったので、雲があるのも風流ってことにしておこう(笑)。
弘前からは高速で青森へ。フェリーターミナルでは既に乗船が始まっており、筆者を載せて、まもなく出港となった。
桜の追っかけ旅は、いよいよ海峡を超えて北の大地へと向かう。
弘前公園の桜が「特別」なわけ
筆者はこれまで、ずいぶん各地の桜の名所を周ってきたが、その中でどこが一番良かったかと聞かれれば、月並みながらやはり「弘前公園」と答える。
ここからは弘前公園の桜が、なぜこんなに見事なのかについて話そう。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」が覆った、弘前ならではの「新発見」
弘前城の桜は江戸時代の1715年に、家臣が京都から25本の苗木を持ち帰ったのが始まりと云われている。
その後明治維新を迎え、荒れ果てた城内を見かねた旧藩士が、1000本のソメイヨシノを植栽するが、「神聖な城内で、平民がこぞって桜見物をするなど、許し難い」と一部の士族から迫害を受け、せっかくの苗木は、ないがしろにされた。
桜植栽の理解が得られたのは、それから15年を経た明治30年。
もちろん当時は、弘前でも桜の枝を切るのはご法度だったが、ある日、実家がりんご農家を営む作業員が、傷んだ枝垂れ桜の枝を切り落としてしまう。
作業員はこっぴどく叱られたが、なんと翌年、その切り口から新しい枝が勢いよく飛び出した。
特産品のリンゴで培った選定技術により、桜の枯れ枝や病気の枝を切り落とす弘前公園方式は、こうして偶然から生まれた。
それ以降、枝ぶりがよく、瑞々しい花を咲かせるようになった弘前の桜は、全国にその名を轟かせていくことになる。
弘前城が動く
ところで、この弘前城の写真を見て、違和感を覚えた人はいないだろうか?
普通、天守は石垣の上に建っているはず。
そう、この写真が正しい弘前城の姿で、上の写真は仮の姿だ。
実は弘前城は、本丸の石垣が外側に膨らむ「はらみ」がみられたことから、2015年に天守を本丸の中央寄りに水平移動し、その修復工事を現在も行っている。
ただ、ここにも新型コロナウイルス感染拡大による影響が及んでおり、移動制限等による作業の遅れで、元の場所に再移動する時期が、当初予定の2021年度中から、それより後にずれ込む見通しになったようだ。
はたして2022年は、どちらの写真が撮れるのか今のところ分からないが、おかげでこの特設展望台から、岩木山絡みの弘前城が撮れるチャンスが、もう一度ある可能性が出てきた。
ちなみに、2024年の秋に再び弘前を訪ねるチャンスに恵まれたのだが、石垣の修復工事はまだ終わっていなかった。
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車中泊で行く、”東北桜前線追っかけ”旅行記 2021

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