25年のキャリアを誇る車中泊旅行家が、2021年春に出かけた「東北桜前線追っかけ旅」の足跡を旅行記にまとめています。
なおこの記事は、2025年5月に一部情報をアップデートしてお届けしています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行記

この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、これまでの中で特に印象に残った旅の足跡をまとめた旅行記です。

~ここから本編が始まります。~
平泉から奥州「えさし藤原の郷」へ。
車中泊旅行記「2021年・東北桜前線追っかけ旅」/第6話 岩手編
平泉の桜スポット
岩手県の桜といえば、盛岡地方裁判所の敷地内にあるこの「石割り桜」が有名だが、既に2014年に撮影していたこともあり、今回は前記事の宮城編で記した通り、あえて平泉の桜を狙った。
加えて山形編でふれたように、平泉は「奥の細道」で松尾芭蕉が訪ねた、最北の目的地でもある。
達谷窟毘沙門堂
昨日車中泊した「道の駅 厳美渓」から来ると、この「達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)」が最初に現れる。
「達谷窟毘沙門堂」は、藤原清衡が平泉に居を構える以前からあった、達谷西光寺の境内に建つお堂で、坂上田村麻呂が蝦夷を平定した折りに、毘沙門天の加護に謝して、京の清水寺を模したお堂を建立し、鞍馬寺にならって108体の多門天を奉ったのが始まりと云われている。
その西側の岩壁には、大日如来あるいは阿弥陀如来とも云われる大きな磨崖仏が刻まれているのだが、この季節はその磨崖仏が、しだれ桜の衣を羽織る。
中尊寺
こちらは金色堂がある中尊寺の表参道、月見坂の入口。
元来、中尊寺はこの山全体の総称で、本寺である「中尊寺」と、山内17の塔頭(大寺の中にある小院)で構成されている。
事前の下調べで、中尊寺にはそれほど桜の木がないことは分かっていたが、清々しい朝の空気に誘われ、改めて参拝してみようという気になった。
筆者が中尊寺に足を運ぶのはこれが5度目。直近では昨年の夏にも訪れている。
参道を少し逸れた脇道から見える、平泉の田園風景。
ここは中尊寺を紹介しているサイトにもあまり紹介されておらず、そんな場所を偶然見つけられたのはラッキーだった。
中尊寺の本堂。ただ、ここの見どころは桜よりもこちらだろう。
中尊寺の本尊は、藤原清衡が「丈六皆金色釈迦」像を鎮護国家大伽藍の本尊として安置したことにならい、2013年に造顕・開眼供養された真新しい仏像だ。
注目したいのは、本尊の両脇にある灯籠。天台宗東北大本山の中尊寺には、伝教大師最澄以来灯り続ける「不滅の法灯」が護持されている。
延暦寺ではもちろん撮影禁止だが、ここではそれが許される。
さて。
松尾芭蕉が平泉を訪ねたのは、源義経が平泉で自害し、奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる1689(元禄2年)のこと。
江戸をたって44日後の5月13日、「奥の細道」最北の地となる平泉に到着した芭蕉と曽良は、まず義経の居館があった高館の丘に向かった。
そこに佇み詠んだのが、この名句だ。
夏草や 兵どもが 夢の跡
「国破れて山河あり、城春にして草木深し」という、杜甫(とほ)の句を思い起こしながらのことだったという。
続いて中尊寺を訪れた芭蕉は、金色堂に参詣。鎌倉北条氏によって建てられた覆堂の中で、朽ち果てた金色堂を見てまた一句。
五月雨の 降り残してや 光堂
金色堂を光堂と称しているところに、侘び寂びの境地に達した、芭蕉の深い想いが込められているのだろう。
さて。こちらが現在の覆堂。この日は拝観終了後にテレビの撮影が行われるのか、カメラクルーが前で準備をしていた。

出典:中尊寺
金色堂と奥州藤原家については、とてつもなく話が長くなるため、また後日詳しい紹介記事を用意する。
本当はそこを抑えてから世界遺産・平泉に行かないと、たぶんどこを見ても、さほど感動を得ることはできないと思う(笑)。
なお、金色堂の近くに桜の木はない。
この写真は、どこかのサイトに出ていたアングルを真似て撮影したのだが、さも間近に桜の木があるように錯覚させる、云ってみれば「まやかし」の写真。
テクニックとしては面白いのだが、こういうカットを載せるサイトがあるから、ネット情報の信頼度が下がる。
そして筆者も見事にしてやられた(笑)。
最後は境内ではなく、表参道・月見坂の入口に植えられている、こちらの桜を紹介して終わろう。
ここはあの武蔵坊弁慶の墓と伝えられており、主君の義経とともに平泉で最期を遂げた、伝説的武僧の遺骨が葬られている。
西行桜の森
実は松尾芭蕉が平泉を訪ねた理由は、もうひとつあったと云われている。
「きゝもせず 束稲やまのさくら花 よし野のほかに かゝるべしとは」
この歌碑は、さきほど紹介した中尊寺から平泉の田園地帯が見える展望地に立てられているのだが、平安時代を代表する歌人「西行法師」も、平泉を2度訪れている。

出典:NHK
大河ドラマ「平清盛」で俳優の「藤木直人」が好演した「西行法師」は、佐藤義清という名を持つ武士だったが、23歳のとき出家し、和歌づくりの道を旅に求める文化人となった。
時代的には源頼朝や義経と同世代で、平清盛はもとより、彼らの父親である源義朝とも面識はあったようだ。
その憧れの先人が和歌に詠んだ平泉の光景を、芭蕉が見たいと思ったとしても不思議ではあるまい。
これが、さきほどの和歌に登場する「束稲やま」から見た風景。
ただ芭蕉が平泉を訪れた時には桜がなく、ここへ足を運んだかどうかはわからない。
西行が訪れた時代には1万本もの桜があり、薄桃の花で山が霞んで見えたとも云われているが、現在は3000本ほどしかなく、残念ながら吉野とまではいかなかった(笑)。
それでも京都の東山になぞらえられ、大文字焼が行われる束稲山の展望台からは、中尊寺、毛越寺、高館など平泉文化の中心地が一望できる。
「歴史公園 えさし藤原の郷」は、大河ドラマファン必見の地
平泉での撮影は順調に進み、午後からは30キロほど北上した奥州市の江刺にある「歴史公園 えさし藤原の郷」へと向かった。
平泉を創設した奥州藤原氏初代・清衡が居住した豊田館跡に造られた「歴史公園えさし藤原の郷」は、日本で唯一の平安建築群が再現されたテーマパークだ。
中には平泉の世界遺産構成要素のひとつで、宇治の平等院を模して造影されたという「無量光院」の再現建造物も建つ。
これは当の平泉にはないものなので、まさかここで見られるとは思わなかった。
同時に、ここにはもうひとつの顔がある。
実は「えさし藤原の郷」は、1993年(平成5年)に放送されたNHK大河ドラマ第32作「炎立つ(ほむらたつ)」の撮影の為に作られた大規模なオープンセットで、撮影終了後も存続できるよう歴史公園として整備されたもの。
それもあり、数々のNHK大河ドラマのロケ地としても知られている。
最近の大河ドラマをざっと並べただけでも、「天地人」「龍馬伝」「平清盛」「軍師官兵衛」「真田丸」「おんな城主直虎」「麒麟がくる」…
こりゃ大河ドラマファンなら、筆者ならずとも一度は訪ねてみたいと思うミュージアムに違いない(笑)。
「歴史公園 えさし藤原の郷」からは、2020年にできたばかりの「道の駅 はなまき西南」に立ち寄り、そこから頑張って一気に秋田でお気に入りの「道の駅十文字」までクルマを走らせ、この日はそこで車中泊。
B1グランプリで名を馳せた「横手やきそば」が食べられるこの道の駅は、秋田県の中のよくできた道の駅だと思う。
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