この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

南宗寺の境内に残る、家康の墓と東照宮の名残
真田丸とは全く別の理由で、大阪府堺市に残る史跡のことを調べていたら、実にタイムリーで驚くような話に遭遇した。
「大阪夏の陣」の激戦地である茶臼山から、10キロほど離れた場所に立つ南宗寺(なんしゅうじ)というお寺には、なぜか徳川家康のお墓があるという。
「南宗寺史」に残る、徳川家康埋葬伝説
「南宗寺史」に書かれた話を要約すると、茶臼山の戦いで真田幸村の猛攻を受けた家康は、駕籠で逃げる途中に後藤又兵衛の槍に突かれる。
家康は辛くも堺まで落ち延びたが、駕籠を開けてみると既に事切れており、家臣たちは遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬したという。
開山堂跡に残る無名塔の隣には、幕臣・山岡鉄舟の手で刻まれた「この無名塔を家康の墓と認める」文言が埋められている。
ただ、槍で突いた後藤又兵衛は、その前の「道明寺の戦い」で討ち死にしているというのが定説だ。
しかしいっぽうで、豪傑だった又兵衛には「生存説」も残されている。
南宗寺に徳川家康が埋葬されたとされる別の根拠
義経伝説に代表される通り、通常この手の話には眉唾な根拠が付きものなのだが、南宗寺の場合は少し様子が違っている。
東照宮跡に残る唐門
日光や久能山など「家康埋葬の地」にある「東照宮」が、この地にもあったことが判明している。
太平洋戦争の戦禍で本殿は消失したが、残された国の重要文化財である唐門の屋根には、あの「葵の御紋」の瓦がある。
東照宮跡に建てられた「家康の墓」
東照宮の本殿があった場所に、1967年(昭和42年)に建てられたもの。墓石の裏側には、賛同者として松下幸之助氏を筆頭に、何名かの著名人の名前がある。
坐雲亭内の板額
開山堂跡の近くに建つ坐雲亭内の板額には、1623年(元和9年)7月10日に徳川秀忠、8月18日に家光と、代替わりした両将軍が相次いで南宗寺を訪れた記録が残されている。
「歴史は勝者が作るもの」と云われるが、大河ドラマで描かれていた通り、「大阪夏の陣」の徳川方の勝利は、まさに紙一重だった。
それを考えると、この話はまんざら「なかった話」ではない気もする。
南宗寺は裏手に無料の駐車場があるので、クルマで行っても大丈夫だ。
南宗寺(なんしゅうじ)
〒590-0965 大阪府堺市 堺区南旅篭町東3丁目1
電話: 072-232-1654
拝観時間:9時~16時
拝観料:大人400円
ちなみに、2019年に世界遺産登録された「大仙古墳(仁徳天皇陵)」は、南宗寺から約2.5キロ、クルマなら10分ほどのところにある。
車中泊で行く、真田丸ゆかりの地
車中泊でクルマ旅 総合案内
クルマ旅を愉しむための車中泊入門

この記事がよく読まれています。




