この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

「大坂冬の陣」で家康が本陣に使用した場所を改修
世に云う「真田丸」は、現在の大阪環状線「玉造駅」に近い「心眼寺」付近に築かれていた出城で、「大阪冬の陣」ではそこを起点に徳川軍を撃破している。
「大阪夏の陣」の真田丸
しかし「大阪冬の陣」の後、豊臣方は家康の巧みな和睦戦術にはまり、「真田丸」はあっけなく取り壊されてしまった。
そこで幸村が目を付けたのが、茶臼山(現在の天王寺公園の一角)だ。
機能の面から見れば、それが「真田丸」といえるかどうかは疑問だが、この茶臼山が「大阪夏の陣」における幸村の本陣であったことに間違いはない。
「大坂冬の陣」で家康が本陣として築いた砦を再利用し、徳川の大軍を迎え撃つという作戦は、父・真田昌幸が家康の命を受けて築城した上田城にたてこもり、徳川軍を撃退した戦を思い起こさせる、いかにも真田らしい切り返しだ。
徳川軍15万5千に対し、残った豊臣軍は5万5千。
茶臼山周辺が舞台となった「天王口の戦い」は、毛利勝永の活躍で、徳川軍は先鋒の本多忠朝、後方の小笠原秀政が次々と討ち取られ、豊臣有利の展開となる。
幸村は陣形を崩した徳川軍の隙を突き、一気に家康の本陣へと切り込んだ。
それは孤立状態に追い込まれた家康が、自害を覚悟したと伝えられるほどの猛攻だったが、惜しくも一歩及ばず、家康はかろうじて難を逃れた。
というのが「定説」だが、もしかすると真実は別にあるかもしれない。
幸村終焉の地 安居神社
総攻撃の末、満身創痍となって疲れ果てた幸村は、近くの安居神社で休んでいるところを松平隊の越前兵に討たれ、49年の生涯を静かに閉じた。
下のマップで分かるように、茶臼山から安井神社までは1キロもなく、歩いても10分ほどで行ける。
エピローグ
大河ドラマ「真田丸」の良かったところは、幸村の父・真田昌幸と家康の確執を、上田城築城から九度山幽閉に至るまで、きちんと描いてきたことにある。
その伏線がなければ、あの「黒田官兵衛」さえもが見限った、秀吉亡き後の豊臣家に、幸村がなぜここまで尽力したかが見えてこない。
徳川方に実兄と叔父がいる幸村には、再三にわたって、家康から謀反の誘いがあったことは云うまでもないし、仮にその誘いに乗ったとしても、誰も幸村を咎めることはできなかったと思う。
幸村にとって大阪の陣は、「父の弔い合戦」であった。
それを肌で感じるには、幽閉地の九度山に足を運ぶしかないのだが、その前にぜひ立ち寄ってほしいところがある。
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