この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
日本最古の模擬天守。偽物が功を奏して、国の史跡に。
洲本城には3つの見どころがあるが、ひとつはこの野面積みの石垣だ。
洲本城の石垣には適度に荒れた感じが残り、当時の雰囲気が漂っている。とりわけ本丸南側の虎口と大石段、そして本丸西側の高石垣は見事なものだ。
ふたつめは景観。天守のある展望所からの見晴らしは抜群で、大浜を一望する光景は、洲本八景のひとつだ。
そして最後が模擬天守。明治維新の「廃城令」により、洲本城は廃されたが、1928年(昭和3年)に昭和天皇御大典記念として、鉄筋コンクリート製の模擬天守が建造された。
ちなみに、この模擬天守は江戸時代の天守を復元したものではないにも関わらず、模擬天守としては日本最古のものであることから、1999年(平成11年)に国の史跡に指定された経緯を持つ。
お城ファンには、どこかやるせなさが残る裁量かもしれないが(笑)、それはそれで面白い。
ちなみに洲本城の模擬天守は、2013年に改修工事が行われ、今はきれいに化粧直しされている。
ここからは洲本城の歴史を振り返ろう。
室町時代の末期にあたる1526年(大永6年)、洲本城のある三熊山に最初の築城を果たしたのは、三好氏の重臣・安宅治興だが、当初の洲本城に石垣がなかったという。
その後洲本城は、織田信長・豊臣秀吉の支配下に置かれるが、今に残る素晴らしい石垣の始まりは仙石秀久にあるようだ。仙石氏は秀吉による有名な四国攻めの水軍の城として、石垣の要塞を築き始めた。
しかし秀久は秀吉の九州攻めの際に軍律違反を犯して失脚し、淡路国は脇坂安治が新たな城主となる。脇坂安治は淡路水軍を吸収し、豊臣水軍の中核を形成。後にこの水軍が北条氏の小田原城攻めで海上封鎖作戦を行い、戦果を挙げた。
脇坂安治は洲本城を改修して水軍の本拠地にすべく、天守の造営、石垣の拡張などを進めた。現在も残る洲本城の石垣は、この時代に築かれたものだという。
ちなみに九州で失脚した仙石秀久は、家康の計らいにより小田原城攻めで名誉挽回の手柄をあげて、しぶとく大名に復帰。
関ヶ原の戦いでは恩義のある家康につく。
江戸時代になり、秀久は長野県の小諸から出石に転封されるが、その時に連れてきたのがそば職人だ。それがやがて、但馬の有名な「出石そば」を育むことになる。
洲本城
入場料:無料
駐車場:無料
山頂部大手門跡脇(馬屋曲輪跡)に無料駐車場あり。(約20台)