この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
道の駅あわじからクルマで約5分
淡路島の北端にある岩屋漁港の一角に位置する「絵島」は、別名「おのころ島」とも呼ばれている。
「記紀」の国生み神話に登場する「おのころ島」は、淡路島そのものを指すのかと思いきや、実は諸説諸々あるようで釈然としない。
それよりも、絵島に残る「平清盛の悲話」をご存知だろうか。
平清盛の野望と悲話
絵島の頂には、平清盛が「大輪田泊(おおわだのとまり)」を築造する際に、多くの若者の身代わりとして、自ら人柱となった小姓・松王丸を祀る社がある。
平家全盛を迎えた清盛は、日宋貿易を推進するため、海がある福原(神戸)に遷都する。そして現在の神戸市兵庫区に「大輪田泊」という港を築造したのだが、南東からの強風と大波に船の出入りを拒まれていた。
そのため港の沖に島を築いて防波堤にしようとするが、なかなかうまくいかない。そこで陰陽士に占わせたところ、海中の竜神の怒りを鎮めるために、30人の人柱を海に沈めよとのお告げが下る。
その時に清盛を諌め、自ら立ち上がったのが松王丸だ。
実はそれが、現在の神戸のチヌ釣りのメッカ「和田防」の元。大漁なのは、今でも龍神様が大人しくしてくれているおかげかもしれない(笑)。
清盛は淡路島、絵島の美しさについて松王丸とよく語り合ったことを思い出し、港の見える絵島の上に社を建て、心を込めて供養したと伝えられている。
ちなみに絵島は、地質学的にも珍しい約 2 千万年前の砂岩層が露出した小島で、岩肌の侵食模様が印象的。
それもあって昔から月見の名所として名高く、「平家物語」の「月見の巻」にも登場する。
また清盛と親しかった西行法師も、「千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな」(山家集)と、この地で詠んでいる。
「絵島」は「道の駅あわじ」からクルマで5分足らずのところなので、時間があれば合わせて訪ねてみるといい。ちなみに距離は片道約2キロ。気候の良い時期は行けないこともない。