「クルマ旅専門家」・稲垣朝則が、10年以上かけてめぐってきた全国の温泉地を、「車中泊旅行者の目線」から再評価。車中泊事情や温泉情緒、さらに観光・グルメにいたる「各温泉地の魅力」を、主観を交えてご紹介します。
初代の「ありまサイダー」は、三ツ矢サイダーとリボンシトロンのルーツだった。
「ありまサイダー」のことを調べていたら、実に興味深い話に出くわしたので、それを整理して紹介しよう。
読売新聞の記事によると、有馬のサイダーの歴史は明治時代に遡る。
1908年に飲料メーカー「有馬鉱泉」が、温泉街周辺で湧き出る炭酸水を砂糖などで味付けし、清涼飲料水のサイダーにしたのが始まりで、どうやらそれが「日本のサイダーの草分け」になるようだ。
炭酸の圧力でコルク栓が勢いよく飛び出すことから「有馬炭酸鉄砲水」と名付けて売り出したところ、瞬く間に人気商品となったという。
だが、有馬鉱泉は後に別の飲料メーカーに買収され、有馬炭酸鉄砲水は20年足らずで姿を消した。
新聞記事では、そこから時代は一気に平成にジャンプし、現在の復刻版「ありまサイダー」の紹介へと続くのだが、筆者は別の飲料メーカーになった後の「顛末」を知って驚いた。
別の飲料メーカーとは「大日本麦酒株式会社」。
戦前の日本に存在したビールメーカーで、現在のアサヒビールとサッポロビールの前身にあたる。
大日本麦酒時代に製造されていた「有馬炭酸鉄砲水」の商品名は「シトロン」。
それが戦後の財閥解体で、アサヒの「三ツ矢サイダー」、そしてサッポロの「リボンシトロン」に受け継がれていった。
しかし、北海道でよく買って飲む「リボンシトロン」のご先祖様が、まさか近場の有馬炭酸鉄砲水であったとは!
それはサントリーのウイスキー「第一号・白札」の生みの親が、ニッカウヰスキーの創始者「竹鶴政孝」だったのと同じくらい、インパクトのある話だった。
さて。ここからは再び読売新聞の記事の引用に戻る。
「有馬炭酸鉄砲水」の消滅から70年余りが過ぎた2001年、“幻のサイダー”の復活を試みた男たちがいる。
かれらは「阪神大震災で観光客が激減した有馬を盛り上げる起爆剤」にと、再びサイダーに目をつけたという。
ただしこだわったのは、時流の「微炭酸」ではなく、当時と同じ「強炭酸」だった。ラベルには、有馬鉱泉が当時の看板に使っていたシンボルの大砲を描き、明治・大正のレトロな雰囲気を再現している。
「ありまサイダーてっぽう水」の初年度の出荷本数は2000本に過ぎなかったが、口コミで人気を呼び、翌年には一気に20万本近くまで急増し、各地の「地サイダーブーム」の先駆けになった。
外国人観光客にも好評で、アラブ首長国連邦(UAE)の王子が、240本を購入したこともあるそうだ。2015年度の出荷本数も約30万本を維持。一過性のブームに終わらず、今では有馬の名物としてすっかり定着している。
そんなわけで、もし喉が渇いた時は、「コカコーラ」ではなく「ありまサイダーてっぽう水」で、「スカッ!と爽やか」な気分になるのが「有馬通」。
ということにしておこう(笑)。
車中泊ならではといえる、有馬の愉しみ方をご紹介。