観光資源を活かすも殺すも、人次第
シルバーウィークには下関まで足を伸ばし、そこから広島県を経て岡山県の倉敷まで取材を行ったが、今日はその下関から続く、剣豪「宮本武蔵」の話をしようと思う。
筆者の歴史好きは今に始まったことではない。
この本はたぶん中学生の時に買って読んだのだが、もはや40年前… 記憶は既に文字がかすれて読めないほどに劣化していた。
それを再生してくれたのが、2014年3月15日・16日に、2夜連続でテレビ朝日開局55周年記念番組として放送された、このスペシャルドラマだった。
さて。宮本武蔵ゆかりの地で、もっとも有名な場所といえば、佐々木小次郎と戦った関門海峡に浮く小さな無人島の「舟島」だろう。
今は「巌流島」と呼ばれ、下関の唐戸市場から出ている渡船に乗って行くことができる。
ただ下関は実に見どころの多い町で、過去に3度足を運んでいるのだが、なかなか巌流島までは時間が回らず、この日は4度目にしての初上陸だった。
いっぽうこちらは、武蔵の終焉の地となった熊本にある島田美術館で、宮本武蔵ゆかりの武具・遺品、書画などを展示していることで知られている。
生涯で60余戦・無敗という驚異的な戦績を残した宮本武蔵だが、29歳で佐々木小次郎と戦って以降は、どちらかといえば武芸よりも芸術に日々を費やしていたようだ。
57歳の時に熊本の細川藩主・細川忠利公の客分として熊本に身を落ち着かせるが、そこでは細川忠利・光尚の相談役と、剣や兵法の指南役として働き、余暇には、書画や工芸をたしなんでいたという。
武蔵が熊本市近郊の金峰山にある、霊巌洞にこもって、その死の直前まで書いていたという「五輪書」はあまりにも有名だ。
さて。宮本武蔵の出生には、兵庫県の播磨生誕説と岡山県の美作生誕説の2つの説があるのをご存知だろうか。
未だその決着はついていないようだが、美作生誕説は吉川英治の小説「宮本武蔵」に採用されたため広く知られ、岡山県および美作市(旧大原町)は、宮本武蔵生誕地としての観光開発を行ってきた。
それがまた素晴らしいのだ。
史跡は実在する宮本武蔵の生家を筆頭に、分骨された墓地、そしてその顕彰を記して建立された神社や記念館など、宮本武蔵のちょっとしたテーマパークのようなかたちにまとめられている。
そのうえ、トイレ付きの無料駐車場と日帰り温泉まで揃っている。
ここまで史跡が整備されている一番の理由は、2003年に放送された大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」にあるのだろう。
NHKテレビ放送開始50周年、大河ドラマ40周年記念作品にあたるこのドラマは、主演の七代目市川新之助(今の海老蔵)ほか、武蔵の幼馴染みの本位田又八に堤真一、恋人のお通役には米倉涼子、宿敵・佐々木小次郎にはTOKIOの松岡昌宏が演じている。
さらに小次郎の恋人・琴役は仲間由紀恵、琴の死後に小次郎の恋人となるお篠に宮沢りえを配するなど、いつも以上の豪華キャストが登用されている。
もっとも… 脚本には厳しい批評もあるようで、視聴率もさほど好調ではなかったようだ。
だがそのチャンスを生かして、湯郷温泉からクルマで1時間近く離れたこの山村を「観光地」に仕立てた地元の人達の功績は大きい。
もっと恵まれた環境にありながら、まったく素地を活かせていない地方の観光協会が多い中では、間違いなくサクセス・ストーリーと呼べるひとつだ。
歴史知識・マーティング力・政治力うんぬん… 背景には様々な要素が絡んでいると思うが、とどのつまり「観光開発は人で決まる」。
それは長年日本を旅してきた筆者が肌で感じる結論だが、「高知の梼原」や「浜松の井伊谷」同様、作州武蔵もまたそれを確信するに足るところだった。