車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、京都を車中泊で旅する前に心得ておくべきポイントを、写真を多用して分かりやすく解説しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊スポットガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
~ここから本編が始まります。~
観光の基本はセルフ・パーク&ライド。そのためには、京阪電車・地下鉄・JRのいずれかの駅から近い車中泊スポットを利用するのがベスト
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クルマは「宿泊手段」で、電車と徒歩が「移動手段」
今さら云うまでもない話だが、桜や紅葉の時節と、祇園祭りや五山送り火を迎えた京都市内は、人とクルマでごった返し、目抜き通りや駐車場周辺では、それはひどい渋滞が発生している。
近頃では「オーバーツーリズム」と呼ばれているが、京都府全体で年間およそ8000万人、市内だけでも5000万人は下らないといわれる数の観光客が、国内のみならず海外からも訪れるのだから、もはやそれは「避けることのできない」現実だ。
ちなみに8000万人という数がどのくらいすごいかは、世界遺産の白川郷と比べれば一目瞭然だ。
人気観光地と呼ばれる白川郷でさえ、年間の訪問者数は約170万人と推定されており、実にその50倍以上の人が、狭い京都の町に押し寄せてくる。
ゆえに京都市内を車中泊で旅することは、行く前から無理…
特にキャブコンやバスコンのオーナーは、最初からそう諦めているか、するなら最近一部のマスコミがネット上で持て囃している、RVパークやCarstayしかないと思っている人が多いと思う(笑)。
しかし、だからといって京都市内に足を向けないのは、ずいぶん後ろ向きな話だ。
別にRVパークやCarstayを利用しなくても、いつもと少しやり方を変えれば、車中泊で京都を観光するのは、さほど難しいことではない。
今の京都は鉄道の環境が整備され、移動の不自由さがかなり緩和されている。
つまり、クルマを「宿泊手段」として割り切り、電車か地下鉄を「移動手段」として活用できる旅行プランを組めばいい。
セルフ・パーク&ライドという発想
耳慣れないセルフ・パーク&ライドは、筆者が作り出した言葉だが、
要は人気の観光地や遊園地によくある、行政や民間企業が用意した「乗り換え駐車場」ではなく、自分の旅行プランに合う「駐車場」を探し出し、そこにマイカーを置いて公共交通機関に乗り換え、京都の市内や郊外にでかけることを意味する。
京都市内でクルマを持て余す理由は、「渋滞」と「駐車場の空き待ち」が主な原因だが、行政が指定している駐車場には、車中泊ができそうなところは見当たらないため、自力で見つけるしかない(笑)。
ちなみにバスやタクシーの利用は、単純に乗る車両が変わるだけで、渋滞を避けることにはつながらないし、効率が悪すぎるので勧めない。
さて問題は、
近くに道の駅がない京都市内における理想の車中泊スポットは、駅前でトイレがあって、24時間最大料金設定や夜間料金設定などがある割安なコインパーキングになるわけが、そのような都合の良い場所が本当に実在するのかどうかだ。
答えはYes。
夜桜見物までできるところもある(笑)。
京都探訪のセオリー
泊まれるところが分かったところで、今度は京都探訪の話に進もうと思うが、
その前に
なぜ人は、京都に惹かれるのか?
寺社仏閣の庭や小路を飾る桜と紅葉に加え、時代劇で見るような町並み…
京都の魅力を端的に云うなら、「日本の伝統的な文化や景観を、今もなお維持している町」ということになると思う。
これらは国籍や年代を問わず、多くの人が観たいと思う「日本らしさ」そのもので、京都は自身が住んでいる国や街とは違う文化を、鮮烈に感じさせてくれる一種のテーマパークのような存在なのだろう。
ゆえにその表面的な美しさを好む外国人や若者が、インスタ映えする場所を訪ね歩くのは致し方ないと思うのだが、それが中高年にとっても「京都を旅すること」というのでは、さすがにちょっと虚しく思える…
しかし視点を変えると、
京都は少し気をつけて歩けば、聞いたことのある史跡や遺構とすぐにぶつかる。
そこで「史跡」というものを、少し深堀りしてみたい。
京都の史跡と云えば、ややもすると古い寺社仏閣を連想しがちだが、本来の史跡は古墳に代表される古代の遺跡や、戦国時代に築かれたお城(趾)などを含めて範疇が広く、昔の人々の政治・経済・生活・宗教など、あらゆる活動によって作られ、現在も残されているところを総じて云う。
ただそれにいちいち気を取られていたら、なかなか先には進めない(笑)。
加えて、
京都の市内観光は「歩き」が基本だが、名所を周ろうと思えば、石段・石畳が次から次へと現れる。
場所によっては想像以上に足が疲れ、半日で嫌になることも少なくない。
ぶらり京都。
聞こえはいいが、土地勘のない旅行者に、行きあたりばったりで満足を与えてくれるほど、京都の町は優しくない。
そうなると、特に中高年には予習と計画が必要ということになるわけだ。
必要なのは、骨太のテーマ
そもそも5000件近い京都の寺社仏閣を、しらみつぶしに見て周れる人はいない。
そう考えると、京都探訪に何らかの「テーマ」が必要なのは明白だろう。
「テーマ」に桜や紅葉を選ぶこと自体は悪くない。
ただ宗派も由緒も知らないまま、闇雲に有名な寺社仏閣を訪ね歩くような観光は、理性ある車中泊の旅人がすることだとは思わない。
そもそも京都の史跡に足を運べば、桜や紅葉は付き物だ。
ゆえに季節を変え、趣向を違えて、来るたびに日本人としての教養を積み上げて帰る… それが筆者の想う京都の旅だ。
ちなみに教養とは「学問・知識をしっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ」と辞書には記されている。
ならばいっそう「骨太のテーマ」を掲げてみてはどうだろう。
たとえば「幕末の京都」は、江戸幕府の体制が弱体化し、近代国家形成の契機となった明治維新へと向かう「最前線の地」で、御所に籠もる天皇をめぐって、佐幕派と倒幕派が激しくしのぎを削っていた。
そしてついに尊皇攘夷の実行を目指す長州藩は、この「蛤御門(はまぐりごもん)」の前で京都守護職の会津藩と、それを助太刀する薩摩藩との激しい戦闘に突入する。
それが世にいう「禁門の変」だ。
その「蛤御門」には、今も当時の弾痕がそのまま生々しく残っている。
それから160年を経た、現在の御所…
勉強熱心なのは、どちらかといえば外国人というのも現実(笑)。
しかし、こういうエピソードから改めて見直すと、実は京都が興味深い史跡だらけであることに、日本人も気がつくと思う。
さらに「蛤御門」から徒歩10分足らずのところには、”幕末のキーマン”であり、「禁門の変」で長州藩を叩きのめした薩摩藩の藩邸があった。
明治維新後、その跡地は旧会津藩の重臣で、「西郷隆盛」によって救われた「山本覚馬」が購入し、それを妹の八重の夫となった「新島襄」に譲って建てられたのが、現在の同志社大学になる。
さらに薩摩藩邸から10分ほどのところには、激闘を演じた薩摩藩と長州藩が、「坂本龍馬」の仲介で、まさかの「薩長同盟」を締結した場所も見つかっている。
このように同じ時代の関連性が高い史跡を続けて周れば、位置関係や距離感から、当時の臨場感までが垣間見えてくる。
そしてそれを追うことが、筆者の云う「骨太のテーマ」だ。
ツアーコンダクターは、大河ドラマ
「骨太のテーマ」を辿る旅の、ツアーコンダクターに相応しいのは、何と云っても「大河ドラマ」だと思う。
歴史に目を向ければ、まつりごとの中心であった京都御所、天下統一を目前にする織田信長が急襲された本能寺、源義経が若き日を過ごした鞍馬山、さらに近世では大政奉還が宣言された二条城等々、大河ドラマに京都が関連しなかったことはないと云っても過言ではあるまい。
ちなみに近年の我々は、「平清盛」と「光る君へ」を通して平安時代を、「軍師官兵衛」と「麒麟がくる」では戦国時代から安土桃山時代を、そして「龍馬伝」「八重の桜」「西郷どん」から、幕末の京都を学び直している。
歴史の授業と違い、大河ドラマは主人公の生き様をオーバーラップさせながら、時代を描いているからおもしろい。
おかげで視聴者は、「史跡」というよりはむしろ、ドラマに登場する人々の「ゆかりの地」を見てワクワクする。
しかもNHKと京都の観光協会は、そのことを過去の経験から熟知している(笑)。
ゆえにドラマに合わせて、ファンをくすぐる資料をちゃんと作成する。
またそれまでは曖昧だった場所も再調査し、きちんと石碑まで用意してくれる。
最後に。
欧米では「よく行くところ」をリゾートと呼ぶ。
その意味からすると、「京都が自分のリゾート」だと云う旅行者がいても不思議ではないし、海や山とは一味違う「癒やし」になるものも揃っている。
むしろ何度も行きたいから「車中泊という宿泊手段」を選んでいるというほうが、理にも適っているだろう。