日本で最初の上皇が住職となった「門跡寺院」のルーツで、遅咲きの御室桜で有名な世界遺産・仁和寺の歴史と見どころ及び、駐車場に関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
~ここから本編が始まります。~
江戸時代初期の御所の建物が移築されている「仁和寺」は、日本で最初の上皇が住職となった別格の「門跡寺院」
仁和寺 DATA
仁和寺
〒616-8092
京都市右京区御室大内33
☎075-461-1155
拝観時間
3~11月:9時~17時
12~2月:9時~16時30分
拝観料
仁和寺御所庭園:おとな800円
霊宝館(期間限定):おとな500円
御室花まつり 特別入山料:おとな500円
駐車場:自家用車100台
1回500円
9時~17時
※受付最終16時30分
御室花まつり期間中
8時30分~17時30分
※受付最終16時30分
仁和寺の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2011.11.27
2022.04.09
※「仁和寺」での現地調査は2022年4月が最新で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2024年6月に更新しています。
仁和寺 目次

仁和寺の歴史
金閣寺から約2.5キロ・徒歩なら30分。
京都北山にある「きぬかけの道」の西端に位置する「仁和寺」は、真言宗御室派の総本山だ。
元号から「仁和寺」と命名されたこの古刹は、54歳で即位し、和琴や和歌の才に恵まれながら、わずか3年で崩御した第58代「光孝天皇」の勅願により、平安時代の886年に創建され、その意思を継いだ息子の「宇多天皇」の手で、2年後の888年に落成を迎えている。
その後、数々の積極的な政治改革を推し進めた「宇多天皇」は、899年に出家し、歴代天皇で初めての「上皇(法皇・院とも呼ぶ)」となる。
さらに「仁和寺」の住職に着任したことから、ここは別名「御室御所(おむろごしょ)」と呼ばれるようになった。
こうして誕生した我国最初の「門跡寺院」(皇族が出家して住職を務める寺院)は、鎌倉時代まで代々受け継がれて隆盛を極めていくが、1468年の「応仁の乱」により、境内のほとんどを焼失した。
再建が進んだのは、江戸時代初期の3代将軍「徳川家光」の時代(1624~1644年)で、その際に時を同じくして行われた御所の建て替えに伴い、「紫宸殿」「清涼殿」「常御殿」などの一部が「仁和寺」に下賜され、境内に移築されている。
宇多天皇

出典:Wikipedia
後世に学問の神様となる「菅原道真」を重用しながら、奈良時代から続く権門(有力貴族・寺社)を抑制し、農民を保護する律令制への原点回帰を強く志向した名君。
必ずしもうまくはいかなかったようだが、その徳政は後年になって「寛平の治」と称されている。
ただ「宇多天皇」が「法皇」となったことで、後ろ盾を失った「菅原道真」は、次の「醍醐天皇」の時代に、その才能を妬む左大臣「藤原時平」の政略にはまり、901年に突如「太宰府」に左遷させられ、そこで失意のまま帰らぬ人となった。
その後に「太宰府天満宮」と「北野天満宮」が造られ、「菅原道真」が神様になるこの話の続きは、以下の記事に詳しく記載しているので、興味があれば最後にぜひ。
筆者も「宇多天皇」と「菅原道真」にこういう繋がりがあることを知らなかったが、
いずれにしても「宇多天皇」の人徳と功績が、「御室御所」として「仁和寺」が後世にわたって大切にされてきたことと、無関係であるとは思えない。
云い換えれば「宇多法皇」の存在が、「仁和寺」が世界遺産に登録された理由の大元にあるとも云えそうだ。
ちなみに「菅原道真」を取り立ててくれた「宇多天皇」ゆかりの「仁和寺」から、「菅原道真」を祀る「北野天満宮」までは、わずか2.2キロ・クルマなら3分ほど行くことができる。
両者の因縁がそのことに意味があるのかどうかまでは分からないが、「きぬかけの道」で結ばれた「龍安寺」と「金閣寺」は、いずれも室町時代に関連の深い寺院で、平安時代に建立された「仁和寺」との関係は極めて薄い。
ゆえに本来は、時代が重なる「北野天満宮」と抱合せで拝観するのがお勧めだ。
「仁和寺」に到着したら、最初に驚かされるのは、何をおいても幅18.7メートル、高さが20.5メートルを誇る、この巨大な「仁王門」だと思う。
門の左右に「金剛力士像」を安置している「仁王門」は、「南禅寺三門」「知恩院三門」とともに、京都三大門のひとつに数えられ、重要文化財にも指定されている。
ちなみに「三門」は、仏教の修行で悟りを得るために通らなければならない「空門」「無相門」「無願門」の三解脱門を略した呼び方で、主に禅宗のお寺で使われることが多いようだ。
なお「仁王門」をくぐった境内の中は広いので、そちらから撮ると圧倒されるようなインパクトのある写真を撮るのは難しい。
インスタ映えを狙うなら、門の外から撮る方がいいと思う。

出典:仁和寺
さて。
こちらが「仁和寺」の境内マップだが、「仁王門」をくぐった後の見どころは、左の勅使門の中の「仁和寺御所庭園」と、それを除く境内に大きく分けられる。
「仁和寺御所庭園」の拝観には800円が必要で、それ以外の境内は「御室花まつり」以外の時期は無料で見て周れる。
なので伽藍に紅葉が絡む写真が撮りたいのであれば、そちらに時間をかけよう。
のちほど詳しく紹介する「仁和寺御所庭園」については、”観る価値あり”だと思うが、「仁和寺」に桜や紅葉絡みの写真を求めに行きたい人には、あえて勧めない。
ということで、まずは無料のエリアから説明をしていく。
「仁和寺」で「仁王門」と同じくらい目立っている建物が、高さ36メートルの「五重塔」だ。
1644年に再建された重要文化財の「五重塔」は、同じく世界遺産に登録されている「東寺」の「五重塔」と同時期に建てられたもので、各層の屋根がほぼ同一の大きさに造られ、江戸期の「五重塔」の特徴をよく表しているという。
そのため「鬼平犯科帳」などの時代劇にも登場しているのだが、それは「仁和寺」が「東映太秦映画村」に近いことと、少しは関係があるのかもしれない(笑)。
そしてこちらが、境内の一番奥に建つ「仁和寺」の「本堂」にあたる「金堂」だ。
現在の「金堂」は、江戸時代初期の1613年に造営された、「京都御所」の正殿だった「内裏紫宸殿(だいりししんでん)」を移築したもので、当時の宮殿建築を伝える現存最古の「紫宸殿」として、国宝指定されている。
堂内には「仁和寺」の本尊である「阿弥陀三尊」のほか、「四天王像」や「梵天像」が安置されているが、通常は非公開だ。
ちなみにこちらが幕末の1855年に建て直された、現在の「御所」の「紫宸殿」。
2024年に放送中のNHK大河ドラマ「光る君へ」には、これが何度も登場しているので、見覚えのある人も多いと思う。
一番違うのは屋根で、仁和寺の「紫宸殿」も移築前は檜皮葺だったかもしれない。
境内には他にも建物はあるが、押さえておきたいのはこの3つだろう。
あとはこれらに桜や紅葉などの季節感をどう味付けしていくかが、写真好きには腕の見せどころになる。
無料でここまで楽しめるのは、「京都御苑(御所)」と「南禅寺」、そしてこの「仁和寺」くらいだと思うので、そちらもついでに載せておこう。
御室桜(おむろざくら)
「仁和寺」の境内には、「ソメイヨシノ」も「しだれ桜」も植えられているが、なんといっても有名なのは、中門内の西側一帯に植えられた約200本の「御室桜」で、遅咲きであることから”古都の桜の見納め”ともいわれている。
「御室桜」は、淡いピンク色の花をつける「アリアケ」の一種で、「ソメイヨシノ」より、花弁は大ぶりで肉厚だ。
さらに「仁和寺」では、土壌の影響で根が深くまで伸びることができず、木の高さが2メートルほどまでしか成長しない。
おかげでこういう景色が見られ、大正時代の1924年に国の名勝に指定されている。
御室桜の開花時(4月)には「御室花まつり」が行われるが、その期間は境内への入場にも500円の拝観料が必要となる。
今は檀家も減り、他の世界遺産では境内でフリーマーケットが行われている時代だけに、名刹と云えども”過去の栄光”にばかり頼ってはいられないのだろう。
筆者が訪ねた時は「御室ツツジ」も満開で美しく、500円は良心的に感じた。
仁和寺御所庭園

出典:仁和寺
ここから先は、800円の拝観料が必要だ。
「二王門」をくぐってすぐ西側にある「仁和寺御所庭園」は、「宇多天皇」が出家後に「御室」と呼ばれる僧坊を建てた場所で、現在は御所風の建物が建つことから、「旧御室御所」とも呼ばれている「仁和寺」の本坊(僧侶の住居)だ。
”薬医門”の形状をした入口に立つ「勅使門」も、江戸時代初期の御所にあった「御台所門」を移築したものになる。
儀式や式典に使用される「宸殿(しんでん)」は、「仁和寺御所庭園」の中のもっとも重要な建物で、かつては「勅使門」と同じく、御所から下賜された「常御殿」がその役割を果たしていたが、1887年に焼失したため、1914年に再建されている。
御所の「紫宸殿」と同様に檜皮葺・入母屋造で、内部は西から東に向けて、上段の間・中段の間・下段の間の三室によって構成され、東端には車寄が設けられている。
室内の襖絵や壁などの絵はすべて、禁中(宮中)絵師をつとめる原家四代目の「原在泉(1849〜1916)画伯」の手によるもので、四季の風物をはじめ、牡丹・雁などが見事に描かれ気品に満ちていた。
さらにこの「宸殿」を挟むようにして、「南庭」と「北庭」が広がっている。
左近の桜・右近の橘、白砂と松などで構成された「南庭」。
対して「北庭」は、石橋が架けられた池越しに、「飛濤亭(ひとうてい)」や「五重塔」を望むことができる。
最後に。

出典:デジタル茶の湯マップ
「仁和寺御所庭園」には、江戸時代最大の大和絵師と称される「尾形光琳」が好んだという「遼廓亭」と、江戸時代後期に即位し、学問や和歌を愛する多才な人物として、公家や臣下から厚く信頼された「光格天皇」が、自ら設計に関わり生涯愛したと伝わる「飛濤亭」の、ふたつの重要文化財に指定された茶室もあるのだが、いずれも現在は非公開となっている。
ただ45年ほど前、筆者はアルバイトで「仁和寺」のこの2つの茶室のガイドをしていたおかげで、間近というより中まで見せてもらった経験がある。
もっとも今は完全にその説明内容を忘れてしまったが、唯一、当時案内した外国人がくれたチップが、その日のバイト料の10倍だったことは覚えている。
というわけで、懐かしい思い出とお世話になったお礼を込めて、「仁和寺」の紹介には少し”忖度”をしておいた(笑)。
仁和寺の駐車場
「仁和寺」の拝観者専用駐車場は、「きぬかけの道」に面しているので分かりやすく、キャパも普通車100台と大きめだ。
1回500円
9時~17時
※受付最終16時30分
御室花まつり期間中
8時30分~17時30分
※受付最終16時30分
ただし「御室桜」のシーズンは、8時30分の開場前から入庫待ちの行列ができる。
これは筆者が撮影に訪れた時の写真で、当時は駐車場が9時開門だったせいか、30分前には「仁和寺」の「仁王門」を超えて西に行列が伸び、渋滞の原因になっていた。
そのため反対車線になる「金閣寺」方面からアプローチすると、簡単には駐車場に入れないかもしれない。
それを想定した対策は、次項の「きぬかけの道」の中に記している。
Ps
満車を避けるひとつの方法として、次の「きぬかけの路」を利用する手がある。
きぬかけの路

出典:きぬかけの道
ここからの内容は、「金閣寺」「龍安寺」の記事と重複する。
「きぬかけの路」とは、衣笠山の麓を走る「市道衣笠宇多野線」のうち、「金閣寺」から「龍安寺」を経て「仁和寺」へと至る約2.5キロの区間につけられた愛称のこと。
3つの寺院はいずれも世界遺産で、「金閣寺」から「龍安寺」までは徒歩約18分、さらに「龍安寺」から「仁和寺」までは徒歩約11分で行くことができる。
金閣寺
室町幕府三代将軍「足利義満」が築いた「東山文化」のシンボル。義満の生存中は「北山殿」と呼ばれる別荘だったが、没後に禅寺となり、「義満」の法号から二字をとった「鹿苑寺(ろくおんじ)」と名づけられた。
龍安寺
室町幕府の管領で「応仁の乱」の東軍総帥であった「細川勝元」が、1450年(宝徳2年)に創建した「枯山水の石庭」で知られる臨済宗の禅寺。
ただし「きぬかけの路」は周辺住民の生活道路なので、「遊歩道」というよりは「3つの世界遺産を徒歩で訪ねることができるルート」と呼ぶほうが実勢に即している。
「金閣寺」と「龍安寺」の間には、回転寿司やファストフードの店もある。
もちろん「仁和寺」以外の寺院にも駐車場は完備されているが、ハイシーズンは一度駐車場を出てしまうと、次の目的地でも停められるどうかは分からない。
そのため特に桜や紅葉の季節は、この道を歩いて3つの名刹をまわるほうがスムーズだと思う。
ただし前述したように、「御室桜」のシーズンは「仁和寺」の駐車場が朝早くからもっとも混み合う。逆に「金閣寺」では桜の見頃が終わりかけていると思うので、狙い目はそちらになるだろう。
なお、「龍安寺」の無料駐車場から「仁和寺」にアプローチするのはルール違反。
せっかくの好意を踏みにじるような行動は控えよう。
京都の市内観光では、2.5キロなどたいした距離ではないし、「きぬかけの路」には京都の市バスが走っている。
「古都京都の文化財」ベストテン
車中泊で旅する京都
車中泊でクルマ旅 総合案内
クルマ旅を愉しむための車中泊入門

この記事がよく読まれています。




