「正真正銘のプロ」がお届けする車中泊スポットガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、現地取材を元に「車中泊旅行における宿泊場所としての好適性」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、現地取材を元に「車中泊旅行における宿泊場所としての好適性」という観点から作成しています。
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クルマ旅専門家・稲垣朝則の主な著書
車中泊の第一人者と呼ばれる稲垣朝則が、これまで執筆してきた書籍・雑誌と出演したTV番組等の紹介です。
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司馬遼太郎が「竜馬がゆく」の取材と執筆で訪問
写真の「つたや旅館」の場所には、かつて「松本屋」という旅篭があり、 京都で起きた「蛤御門の変」の後、桂小五郎が身を隠していたことで知られている。
桂小五郎とは、後の木戸孝允 (きど たかよし)。幕末から明治時代初期にかけて活躍した長州藩士である。
若き日に吉田松陰から学問と思想を学び、幕末には尊王攘夷派の中心人物として、土佐の脱藩浪士であった坂本龍馬の仲介で、西郷隆盛率いる薩摩藩との薩長同盟を締結した人物で、藩政時代には、幕府側から常時命を狙われていたにもかかわらず、果敢に京都で活動し続けた。
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桂は「禁門の変」で長州軍が敗れたあと、恋人の幾松の伝手を頼り、広戸甚助・直蔵の助けで但馬に落ち延び、しばらく出石に潜伏していた。
しかし追っ手の追及が厳しく、9月には母と娘タキが営む城崎の松本屋に身を移し、一身なる世話を受けたと云われている。
その松本屋で桂小五郎が隠れていた部屋と板戸は、大正14年の北但大震災で焼失し、現在は「つたや」の玄関横に、広戸直蔵の息子正蔵が建てた記念碑が残されている。
また昭和41年春には、司馬遼太郎が「竜馬がゆく」の取材と執筆のため、つたやに滞在したという。
歴女歴男の聖地。司馬遼太郎記念館
歴女歴男の聖地。司馬遼太郎記念館に関する記述です。
つたや旅館
兵庫県豊岡市城崎町湯島485
☎0796-32-2511