「院政」の舞台 鳥羽離宮

鳥羽離宮 平清盛
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この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
テーマはディスカヴァー・ジャパン 「日本クルマ旅先100選」
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平安時代から栄えていた伏見界隈

歴史的観点からすると、伏見界隈の見どころといえば、豊臣秀吉がその晩年を過ごした桃山時代から江戸時代への移行期と、坂本龍馬が暗躍し、西郷隆盛率いる新政府軍が、ついに「倒幕」を成就する幕末の史跡や遺構が有名だ。

だが、実はそれよりもっと興味深く、日本史上で圧倒的にメジャーな場所が存在することをご存知だろうか…

鳥羽離宮

今から1200年ほど前の「鳥羽」は、平安京から3キロ南に下ったところに位置し、鴨川と桂川が合流する交通の要衝として注目され、もともと桓武天皇が都にしようとしていた長岡京にも近かった。

そのため、平安京造営時には朱雀大路を延長した「鳥羽の作り道」が敷かれ、平安京の外港としての機能を誇っていた。

また同時に貴族達が狩猟や遊興を行う「リゾート地」としても有名で、古くから別邸が建ち並ぶ郊外都市としての側面も有していた。

そこに目をつけたのが、白河院だ。

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白河院といえば、大河ドラマ「平清盛」を見ていた人には懐かしい人物だと思う。伊東四朗が魔王のような形相で好演し、清盛に向かって「この世はワシの世じゃ!」と言い放つシーンは鮮烈だったが、当時は実際にそうだった。

出典:NHK

白河院(白河天皇・白河上皇)とは

白河天皇は、後に上皇として「院政」と呼ばれる日本独自の政治機構を造り上げた人物で、父・後三条天皇の意思を継ぎ、それまでの藤原家による「摂関政治」を終焉させることに成功した。

摂関政治

長年に渡って藤原氏は一族の娘を天皇家に嫁がせてきた。そして生まれた男子を早々に天皇に仕立て、幼少の間は娘の父親が摂政、成人してからは関白として政治の実権を握り続けていた。

摂関政治はその「摂政」「関白」の頭文字からつけられた呼び名だが、天皇に嫁がせた娘に男子ができなければ、藤原氏の権力の基盤は失われる。

それが170年ぶりに生じたのが、藤原頼通と白河天皇の父・後三条天皇の時代だった。

院政

天皇が皇位を後継者に譲って上皇となり、政務を天皇に代わり直接行う政治形態のこと。上皇は「院」とも呼ばれたので、その名が定着した。

「院政」は白河上皇-鳥羽上皇-後白河上皇の三代・約100年にわたって続くが、この時期に武家が力を蓄え、保元の乱・平治の乱が勃発する。

そして平清盛がついに武家政治への扉をこじ開けるのだが、そのいきさつは大河ドラマ『平清盛』でうまく描かれていた。

ちなみに、大河ドラマで清盛は白河院の落胤(らくいん)として描かれていたが、最近の調査では、清盛の実母が白河院が寵愛した祇園女御の妹であることが有力視されている。

その白河院が懐妊させた女性は平忠盛に与えられ、誕生した清盛は忠盛の嫡男として育ち、やがて平家の頭領となって絶大なる繁栄を手に入れる。

鳥羽離宮公園

その当時は東西1.5キロ、南北1キロの広大な敷地に、苑池・各殿舎・堂塔が建ち並んでいたという鳥羽離宮だが、今は安楽寿院、白河・鳥羽・近衛各天皇陵、城南宮、秋の山(築山)を残すのみで、跡地の大半は公園になっている。

見方によっては京都御所よりも遥かに面白い鳥羽離宮だけに、ちょっともったいない気がするのは否めない。

鳥羽離宮

実際、鳥羽離宮跡で見られるのは秋の山(築山)の石碑だけなので、わざわざ「ここ」には行くまでもないが、この隣には大いに行くべきところがある。

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見どころは城南宮

城南宮

話が長くなり過ぎるので、城南宮の詳細はこちらの記事で紹介する。

ただし、「大いに行くべき」と書いた理由のひとつはここで記そう。

熊野詣を有名にしたのは、鳥羽離宮の3上皇

熊野本宮

世界遺産に登録されて一気にメジャーになった「熊野三山」だが、参詣の歴史を辿ると、花山法皇による987年の熊野御幸が最初で、本格化するのは白河上皇の院政が始まってからだ。

ちなみに上皇たちが目指していたのは、この熊野本宮・大斎原(おおゆのはら)。当時は現在の熊野本宮大社がこの場所にあった。

鳥羽離宮近くにあった「鳥羽の湊」から舟で淀川を下り、難波津から四天王寺を経て泉州海南、田辺と陸路を進み、熊野本宮に至る長旅は、往復およそ750キロ、所要期間は1ヶ月ほどだったという。

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熊野詣出立の地

にもかかわらず… 白河院は9回もの熊野御幸を行い、続く鳥羽上皇は21回、後白河上皇に至っては、なんと33回もの御幸を行っているから驚く。

そりゃ、この看板があるのも当然だ(笑)。

ここで興味深いのは、天皇は熊野を参詣したことがないという話。

朝起きてから夜寝るまで様々なしきたりに縛られ、多忙を極める天皇には、一月も御所を留守にできる時間の余裕はなかった。それに行くなら、伊勢神宮になるはずだ。

熊野参詣は、そんな天皇職の職務から開放され、権力と富と自由な時間を手に入れた、上皇ならではの「特別な旅」だったのだろう。

命がけとはいえ、それでも上皇たちはきっとウキウキしながら城南宮で準備を揃え、旅の無事を祈願したに違いない。

城南宮のご利益は方除・家内安全。

もちろん上皇の熊野詣と無関係ではないだろう(笑)。

なお、クルマは城南宮の無料駐車場に停められる。

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