この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
出雲大社の巫女だった出雲阿国には、興味深い秘話がある。
「出雲阿国(いずもの おくに)」は、約400年前に京都で一際目を引く踊りを演じた「現在の歌舞伎の始祖」とされている女性。
それを顕彰するこのモニュメントは、京都四条の川端通りに立っている。
伝承によると、阿国は出雲大社の近くに住む鍛冶職・中村三右衛門の娘で、長じて出雲大社の巫女となり、修繕費用などの寄進を求めて各地を踊りながら巡っていたところ、京で評判となり、伏見城に参上して度々踊るまでになったという。
「かぶき踊」と呼ばれた阿国の踊りは、女性である阿国が「かぶき者」の姿に男装し、反対に茶屋の女に扮した男と戯れるという、エロチックな一面を持つ踊りだったらしい。
京都での人気が衰えると江戸を含む東国に進出するが、「かぶき踊」は「遊女歌舞伎」というかたちに進化を遂げて、各地の城下町にある遊女屋に取り入れられる。
一説によると、それはお客にとって「遊女の品定めの場」であったらしく、みるみるうちに全国に広まっていったという。
だがあまりに人気ぶりに、風紀の乱れを恐れた幕府に睨まれ、その後は男性がすべての役を担う現在の歌舞伎へと変わっていった。
阿国は1607年(慶長12年)、江戸城で勧進歌舞伎を上演した後、消息が途絶える。
晩年の阿国は出雲に戻って尼になったと云われており、生家である中村家の墓の隣に、阿国のものと伝わる墓がある。
そしてここには、今でも多くの芸能関係者が、足を運んでいるようだ。
さて。出雲阿国には興味深い秘話がある。
古代の出雲王国には、国が滅びた後に、王家の血を引く家系が作った「財筋(たからすじ)」という秘密情報組織があったという。
その配下の者たちは、日本中に散らばり、「きたる日」のために中央政府の動向を旧出雲王家に報告してきたのだが、なんと「出雲阿国」もその仲間で、毛利家から秀吉の情報収集を求められた旧出雲王家が、踊りの巧い女性たちを集めて京に送り込んだというのだ。
たしかに「名もなき女ダンサー」が、話がうますぎるくらいの「出世」を果たし、実際に天下人や将軍の前で踊りを披露するまでに至るのだから、これは「ただの噂」ではないかもしれない(笑)。