この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。

神倉神社は、熊野三山に残る貴重な自然崇拝の祭祀場跡
速玉神社【目次】
「新宮」で最初に行くべきは、神倉神社

熊野三山の中で、原点とされる自然崇拝の痕跡を現代に伝えているのが、熊野大神が一番最初に降臨したと伝わる聖地「天ノ磐盾(あまのいわたて)」にある神倉神社で、熊野速玉大社から1キロほど南の山上にある。
参拝者を出迎えてくれるのは、源頼朝が寄進したという、急勾配の「鎌倉積み」と呼ばれる538段の仰ぎ見るような石段だ。
それを登りつめたところに、御神体のゴトビキ岩が鎮座している。
霊感にはおよそ縁のない筆者でも、さすがにここではパワースポットという言葉が使いたくなった(笑)。
神倉神社の創建は西暦128年頃といわれ、岩の根元を支える袈裟岩の下層から、銅鐸片や滑石製模造品が出土していることから、神倉神社の起源は山や石・岩などを依り代とする磐座信仰にあったと考えられている。
神倉神社には7台が停められる写真の第一駐車場と、13台が停められる第二駐車場があり、いずれも7時から19時まで無料で利用できる。
熊野速玉大社の歴史
社伝によると、熊野速玉大社は景行天皇58年に現在地に御霊を遷座し、速玉之男神の名から社名をとったという。
なぜ遷座したのかは分からないが、神倉神社があまりにも秘境すぎる場所にあったことと、無関係ではなさそうだ。
いくら怪力でも祭祀の度に、あの石段を通って荷物を上げ下ろしをするのは辛すぎる。たぶん苦痛は、1700年前の人と我々もさほど変わらないはずだ(笑)。
いずれにしても…
社殿のなかった神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、熊野速玉大社は「新宮」と呼ばれるようになった。
ちなみに景行天皇は、4世紀前期から中期の大王で、自ら日向の熊襲(くまそ)征討に出かけ、皇子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)にも、蝦夷や熊襲を討伐させるなど大和朝廷の勢力を拡張した人物とされ、奈良に御陵があることから、実在していた可能性が高いと云われている。
それからすると、西暦300年代半ばの大和王権には、既に神殿を建てる技術があったことになるが、それは邪馬台国があったと云われる奈良県の巻向遺跡から、出雲大社と同じ神殿様式を持つ遺構が発見されていることと符号する。
熊野三山はややもすると「神秘性」を持たせるために、神話や伝説で語られることが多いが、このように考古学的見地から見ても、十分興味を掻き立てられる。
さて。
熊野速玉大社に、現在と同じ12の社殿が建てられたのは平安時代初期だという。
その後の経緯を記した資料は見つけられなかったが、熊野速玉大社は1883年(明治16年)に、打ち上げ花火が原因で全焼。
現在の社殿は、1967年(昭和42年)に再建されたものになる。
熊野速玉大社の駐車場とアクセスマップ
熊野速玉大社は、境内に約20台が停められる無料の駐車場がある。
また年末年始やゴールデンウィークには、熊野川の河川敷に約100台が収容できる臨時の駐車場が開設される。

熊野速玉大社の周辺には道の駅が揃っているが、一番近いのは約7キロ・クルマで10分ほどのところにある三重県の「道の駅 紀宝町ウミガメ公園」になる。
ただ翌日に那智勝浦周辺を周るなら、温泉が併設している「道の駅なち」がお勧めだろう。
また「道の駅なち」にほど近い南紀勝浦温泉にも、居心地のいい無料の車中泊スポットがある。
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※記事はすべて外部リンクではなく、オリジナルの書き下ろしです。


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