この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
吉野山の桜のルーツは、中腹に建つ世界遺産・金峯山寺の本尊「蔵王権現」にある。
吉野山に桜が多いのは、桜が「蔵王権現」のご神木であるとされたことに起因する。
その発端は今から約1300年前。
かつて「金峯山」と呼ばれた吉野山とその周辺の山々は、神が宿る聖域と信じられていた。
のちに修験道の開祖と呼ばれる「役小角(えんのおずぬ)※役行者とも記す」は、その「金峯山」に深く分け入り、一千日の難行苦行の果てに、憤怒の形相をした「蔵王権現」を感得して桜の木に刻み、それを山上ヶ岳と吉野山に祀ったという。
「蔵王権現」は、釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三尊を合体したものとされ、
インドに起源を持たない日本独自の仏様であることに意味がある。
これは「神仏習合」のひとつの例だが、役小角は634年~701年(伝)に実在した人物と云われており、考古学の見地からも、仏教が盛んに布教された飛鳥時代と時期が重なる。
もしかすると、この「大峰奥駈道」を通じて和歌山の熊野三山に「神仏習合」を伝播したのは、役小角と同時代に修行を重ねた、この吉野山の行者たちだったかもしれない。
さて。
その後、吉野山では役小角の神秘的な伝承と修験道が広まるにつれて参詣も盛んになり、「蔵王権現」を刻んだ桜こそが金峯山寺の「ご神木」に相応しいと唱える人が増え、献木として桜の植樹が広まっていく。
つまり吉野山の桜は、「花見」のためではなく、山岳宗教と密接に結びついた信仰を起源に持っている。
これは京都の寺社や全国の城跡にはない、吉野山独特のものだろう。
また吉野山の桜は、お城や公園で多く見られるソメイヨシノではない。
漢字では「染井吉野」と書くため勘違いしがちだが、平安時代から植えられてきた品種はヤマザクラだ。
理由は簡単。ソメイヨシノは明治時代に「人工栽培」で生み出されたもの。ヤマザクラとの一番の違いは、開花中に葉が伸びない。
世界遺産「金峯山寺」
実はここまでの説明は、吉野山が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産に認定された理由でもあるのだが、その中核になるのが「金峯山寺」の本堂にあたる「蔵王堂」だ。
安土桃山時代の1592年(天正20年)に再建された檜皮葺き(ひわだぶき)の国宝「蔵王堂」は、高さ34メートル、四方36メートルで、木造古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇っている。
なお中に祀られている「蔵王権現」は、いずれも高さ7メートルの巨像で、通常は国内最大級の厨子に納められている秘仏のために拝むことができないが、定期的にご開帳が行われている。
本堂とともに国宝に指定されているのが、2階建ての仁王門。
門の左右に立つ高さ5メートルの金剛力士像は日本で2番目の大きさだ。
仁王門の位置は熊野を結ぶ巡礼ルートに関係しており、熊野(南)から吉野(北)へ向かう際は本堂、逆に吉野(北)から熊野(南)へ向かう際は仁王門が、それぞれ正面で巡礼者を迎えられるように配慮された造りと云われている。
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紀伊半島全域に及ぶ、日本を代表する広大なる世界遺産の愉しみ方をご紹介。この世界遺産なくして、紀伊半島は語れない。
※記事はすべて外部リンクではなく、オリジナルの書き下ろしです。