車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、明智光秀と羽柴秀吉が戦った「天下分け目の合戦」・天王山古戦場に関する記述です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」がまとめた、「一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台」を車中泊で旅するためのガイドです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
~ここから本編が始まります。~
”天下分け目の合戦”が行われたのは、天王山の山中ではなく淀川の河川敷だった。
山崎合戦古戦場 DATA
山崎合戦古戦場跡(天王山夢ほたる公園)
〒618-0091
京都府乙訓郡大山崎町円明寺松田
現地電話なし
開城時間:終日
入場料
無料
駐車場
普通車3台
無料
山崎合戦古戦場の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2017.11.13
2018.03.29
※「山崎合戦古戦場」での現地調査は2018年3月が最新で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2024年5月に更新しています。
山崎合戦古戦場 目次

山崎合戦古戦場跡
「天王山」と云えば、本能寺で「織田信長」を急襲した「明智光秀」と、その仇を打つべく、世にいう”中国大返し”で「備中高松城」から駆け戻った、「羽柴秀吉」による”天下分け目の合戦”で有名だ。
”天下分け目の合戦”は「関ヶ原の合戦」を指して云うこともあるが、時代からみれば「天王山」、戦の規模からみれば「関ヶ原」になるのだろう。
ところで。
ちょっと気恥ずかしい話だが、筆者は天王山に登るまで、この山中が”天下分け目の戦場”だと思っていた。
だがよく考えてみれば、こんな山道を両軍あわせて4万とも5万とも呼ばれる軍勢が登れるわけがないし、そもそも戦ができるような広いスペースもない(笑)。
「天王山」にあったのは「秀吉」の本陣で、”天下分け目の合戦”は、この展望台の眼下に広がる淀川河川敷一帯で行われた。
ここがその古戦場跡。
筆者のように勘違いをする人が多いせいか、昔は「天王山の戦い」と呼んだ戦を、今は「山崎合戦」と呼ぶらしい(笑)。
山崎合戦の顛末
1582年6月2日、京都の「本能寺」で「織田信長」が討たれた訃報は、2日後には「備中高松城」を水攻めしていた「羽柴秀吉」の元に届いた。
秀吉は軍師の「黒田官兵衛」に指示し、すぐさま「毛利」と和睦を結び、山陽道、西国街道を駆け抜けるように京を目指した。
いっぽう「信長」を討った後、京と近江を制圧した「明智光秀」は、予想外の「秀吉」の動向に驚き、急ぎ軍勢を天王山の麓へと進める。
”天下分け目の合戦”が始まったのは、1582年6月13日午後4時頃。
「秀吉軍」3万数千、「光秀軍」1万数千の軍勢が現在の淀川河畔で激突したが、戦いは短時間で決し、軍勢に勝る「羽柴」軍の一方的な勝利に終わる。
「明智」軍は方々に逃散し、「光秀」は本陣背後の勝竜寺城に一時退去した後、闇に乗じて僅かな手勢とともに近江へ逃れようとしたが、桃山丘陵を越えた小栗栖(おぐるす)付近で土民の襲撃を受け、波乱の生涯に終止符を打った。
合戦の後、「秀吉」は天王山の山頂に城を作り、大山崎から天下統一へと乗り出すことになる。
余談になるが…

出典:NHK
2020年に放送されたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、「明智光秀(長谷川博己)」が主人公であるにもかかわらず、「山崎合戦」のシーンはまったくなかった。

出典:NHK
逆に2022年の「どうする家康」では、直接的な関係がないにもかかわらず、「酒向芳」をキャストにそのシーンが描かれていた。
「本能寺の変」同様、さすがに見飽きた感のある場面だけに、「どうする家康」では不要に思えたが、「麒麟がくる」の演出は意外性があって筆者はおもしろく思えた。
近年の大河ドラマは昔と違い、脚本家によって大きくストーリーが変わる。
ゆえにその質が視聴率に大きく影響するようだ。確かにおじさんには「鎌倉殿の13人(三谷幸喜)」はおもしろく、「どうする家康(古沢良太)」はつまらなかった。
なお、古戦場の石碑はすぐ近くの「大山崎町立大山崎中学校の正門横」にもあるようだが、見学に行くなら駐車場がある「天王山夢ほたる公園」のほうがいい。
「天王山夢ほたる公園」には、3台分の駐車場と公衆トイレが用意されている。
ただし夜間は閉鎖されるため、車中泊はできない。
天王山には行く価値あり?
さて。
そうなると、わざわざ天王山に登る意味はあるのか? という疑問がわいてくる。
単純にメジャーな史跡をめぐりたいだけなら、あえてしんどい思いをする必要はないかもしれないが、標高約270メートルの天王山は登山道がよく整備されており、ご年配や子供連れでも気軽にハイキングを楽しむことができるので、「秀吉」の足跡を辿ってみるのも悪くはないだろう。
筆者のお勧めは、JR山崎駅からスタートして山頂までを往復するルートだ。
クルマはJR山崎駅のすぐ近くに写真のタイムスがあり、24時間800円で利用できる。
ただし料金精算機の屋根が張り出しているため、キャブコンは入庫できない。
大山崎町はこのハイキングコースを”「秀吉」の道”と名づけ、その天下取りの物語を解説する陶板製の案内板を設置している。
案内板の数は全部で6枚。原画は日本画家「岩井弘」が描いた屏風絵図で、解説文は経済評論家の「堺屋太一」が書いている。
なお、途中には「禁門の変(1864年)」に敗れ、天王山中で自刃した長州藩の隊長「真木和泉」以下17名の眠る墓がある。
京都御所の前で繰り広げられたクーデター「禁門の変」に失敗し、幕府軍の会津藩・新選組から追撃を受けた「真木和泉」らは、仲間に長州まで落ちのびて再挙を期すように告げると、天王山に踏みとどまって殿軍(しんがり)をつとめた後、陣屋に退却して最後は弾薬に火をかけ、全員割腹自刃して果てている。
この話は大河ドラマ「花燃ゆ」を見ていた人は記憶にあるかもしれないが、本当に痛ましい天王山での出来事は、むしろこちらかもしれない。
最後に、NHKのドラマつながりのスポットをご紹介。
JR山崎駅を天王山と反対方向に進むと、「マッサン」に登場したサントリーの山崎蒸溜所に出られる。
その間の所要時間は10分足らず。入館は無料なので、時間があればあわせて観光するといいだろう。
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