車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、写真好きにお勧めしたい「南禅寺」の見どころ及び駐車場をご紹介。
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この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
~ここから本編が始まります。~
”絶景かな、絶景かな”でお馴染みの「南禅寺」は、日本でもっとも格式の高い禅宗寺院
南禅寺 DATA
南禅寺
〒606-8435
京都府京都市左京区南禅寺福地町
☎075-771-0365
営業時間
12月1日~2月28日:8時40分~16時30分
3月1日~11月30日:8時40分~17時
拝観料
境内:無料
三門:おとな600円
方丈:おとな600円
南禅院:おとな400円
天授庵:おとな500円
金地院:おとな500円
駐車場
駐車台数 50台
時間以内:1,000円
2時間以上1時間ごとに500円
南禅寺の筆者の歴訪記録
※記録が残る2005年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2005.11.21
2010.03.03
2011.04.06
2013.12.02
2024.05.20
※「南禅寺」での現地調査は2024年5月が最新です。
南禅寺 目次

南禅寺の歴史と概要
創建は鎌倉時代後期の1291年。
亀山法皇がこの地にあった自らの離宮「禅林寺殿」を禅寺に改め、「無関普門禅師」を開山の住職に迎えたことが始まりで、「太平興国南禅禅寺」の正式名を持つ、日本で最初の勅願禅寺となった。
その後、室町時代に三代将軍「足利義満」により、京都五山の最高位の寺格である「五山之上」に昇格されると、以降は傑出した禅僧が住持となり、五山文化の中心地として隆盛を極めた。
五山とは…
日本のルーツは「鎌倉五山」で、鎌倉幕府が禅宗寺院を重用することで、古い寺社勢力に対抗させようと用いた戦略的な寺格制度のこと。
京都に持ち込まれたのは、鎌倉幕府を滅ぼした「後醍醐天皇」によって始まった1334年の「建武の新政」以降だが、室町時代に入り、三代将軍「足利義満」によって、「南禅寺」「天龍寺」「建仁寺」「東福寺」「万寿寺」が京都五山に指定された。
ただその後、「足利義満」は自ら創建した「相国寺」を五山に列するため、「南禅寺」を別格に格上げしている。
五山を今さら六山にするわけにもいかず、さすがは普段から「一休さん」に鍛えられているだけあって、なかなか知恵がまわる将軍様だ(笑)。
もっとも、どうやらそれはアニメの世界の話らしい。
かような由緒を持つ「南禅寺」も、戦国時代の皮切りとなった「応仁の乱」で、御多分に洩れることなく、京都の他の寺院とともに伽藍のほとんどを焼失している。
しかし江戸時代に入り、「徳川家康」の側近として活躍し「黒衣の宰相」と呼ばれた、第270世住職「以心崇伝禅師(金地院崇伝)」によって復興され、徳川家の庇護のもとで現代に繋がる堂宇が再建された。
約4万5000坪の広大な境内では、秋になると300本の紅葉が色づく。
しかも「南禅寺」では、それを無料で楽しむことができることから、紅葉の名所として知られるようになった。
江戸時代に初上演された歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で、「石川五右衛門」が言い放った”絶景かな、絶景かな”でお馴染みの「三門」や、
1888年に造られたレンガと花崗岩造りの洋風建造物でありながら、純和風の景観に溶け込むような佇まいを見せる「水路閣」も、見学だけなら無料で済む。
紅葉シーズンになると、拝観料1000円が当たり前のような今の京都では、写真がお目当ての人には貴重な古刹に違いない。
もちろん新緑も美しく、空いている時期を狙うなら、梅雨前の5月下旬がお勧めだ。
南禅寺の見どころ
三門 拝観料600円
筆頭は、何と云ってもこの三門だろう。
高さ22メートルと日本最大級の高さを誇り、「天下竜門」の異名で「知恩院」の三門、「仁和寺」の仁王門とともに、”京都三大門”のひとつに数えられている。
寺院は山号を付けて呼ばれたことの名残りから、正門のことを一般に山門と称しているが、三門は仏教の修行で悟りを得るために通らなければならない「空門」「無相門」「無願門」の三解脱門を略した呼び方で、意味が異なる。
初代の三門は、1295年に「西園寺実兼」の寄進によって創立され、応安年間(1368~1375)に一度改築されたが、「応仁の乱」最中の1447年に焼失した。
現在の三門は、1628年に「藤堂高虎」が大阪夏の陣で倒れた家来の菩提を弔うために再建したもので、禅宗様式独特の圧倒的な大きさと力強い列柱群が特徴だという。
確かに近づけば大きさに圧倒され、見下ろせばその高さに息を呑む。
「南禅寺」の「五鳳楼(ごほうろう)」と呼ばれる三門の楼上には登ることが可能で、同じ形式の三門は他の寺院にもあるが、楼上に登って拝観できるのはここだけだと聞き、チャレンジした。
三門の端にある受付で拝観料を支払い、靴を脱いで急な階段をあがれば、南禅寺の広い境内が見渡せる。
ただ、筆者の感じた”絶景かな”は、「石川五右衛門」の感嘆符ではなく、最後に?がつく疑問符だった。
もっともそれは、桜が咲いていない時期だったからかもしれない。
とはいえ、
「南禅寺」の紹介サイトに”ここから京都の景観が見渡せる”と書いている君、本当は行ってないことがバレバレだよ(笑)。
業界ではそういうのを提灯記事という。
もうひとつ、これは南禅寺のトリビアと云ってもいいと思うが、
実は「石川五右衛門」が生きていた時代は、「南禅寺」の三門は焼失したままで、まだ再建されていなかった。
つまり「五右衛門」が、ここで「絶景かな、絶景かな」と云った話は、実話ではなく歌舞伎の中の作り話だ。
法堂 ※内部拝観不可
三門の奥に立つ法堂は、公式行事や法要が行われる場所で、「南禅寺」の中心と呼べる建物だ。
創建当時のものは「応仁の乱」で焼失したが、すぐ直後の1479年頃に復興し、その後「豊臣秀頼」の寄進によって大改築されたが、1895年(明治28年)の火災で焼失。現在の法堂は1909年(明治42)に再建された近世のものになる。
堂内には本尊の釈迦如来と文殊菩薩、普賢菩薩の三尊像が安置され、天井には明治から大正にかけて活躍した画家「今尾景年」による幡龍(とぐろを巻いた龍)の絵が掲げられている。
堂内に立ち入ることはできないが、金網越しからうっすらと中の様子は伺える。
水路閣 見学無料
古代ローマの水道橋を思わせる「水路閣」は、琵琶湖と京都を結ぶ運河・琵琶湖疎水の一部を構成している建物だ。
造られた年代からして「南禅寺」との直接的な関連がないのは明らかだが、そういうことを度外視して、ただインスタ映えを狙いたい人には、なかなかおもしろい写真が撮れるスペースだと思うし、何より無料というのがいい。
ただし、それは”万国共通”の価値観のようで、特に近隣諸国からお越しの観光客は、簡単には場所を空けてくれない(笑)。
その点から云うと、ここは一瞬のスキを逃さず捉えられる一眼レフがいい。
琵琶湖疏水については、近くにある「琵琶湖疏水記念館」に行けば詳しいことが分かるのだが、多くの人が気になるのは、”なぜそれが「南禅寺」の境内を通っているのか?ではないだろうか。
疏水関連施設の「インクライン」や「蹴上げ舟溜まり」が、「南禅寺」のかつての寺領に建設されている背景には、徳川幕府とつながりが深かった「南禅寺」が、一帯の広大な土地を寄進され、その所有を認められていたことがある。
しかし明治維新で一転、「南禅寺」の所有地は国に召し上げられてしまった。
それが良かったのか悪かったのかは、後の京都の発展を見れば明らかで、現在でも琵琶湖疏水は、水道用水・発電用水・灌漑用水・工業用水など、様々な都市活動を支える重要な都市基盤施設になっており、「日本遺産」にも登録されている。
ちなみに「水路閣」の近くには、「南禅寺」発祥の地「南禅院(拝観料400円)」が残されている。
方丈 拝観料600円
さて。
ここから先は実際に見ておらず、所詮は”受け売り”だ(笑)。ということで月並みの紹介になる。
まず「方丈」とは禅宗寺院における住職の居室のことで、「南禅寺」の「方丈」は「大方丈」と、その背後に接続した「小方丈」の2つから構成されている。
1621年に御所の建物の下賜を受けて再建されたという「大方丈」と、伏見城の小書院を移行した「小方丈」は、いずれも国宝指定されている。
天授庵 拝観料500円
「天授庵」は、南禅寺の開山第一世「無関善門禅師」をお祀りする開山塔で、「三門」と同じく1447年の大火で一度焼失したが、その後「細川幽斎(細川藤孝)」により再興されている。
ちなみに「細川藤孝」は「明智光秀」の盟友で、息子「忠興」の妻は「光秀」の娘「玉」。そう、後の「細川ガラシャ」だ。
金地院 拝観料500円
10万石の格式を持ち「寺大名」とも呼ばれた「金地院(こんちいん)」は、1605年に「南禅寺」の270世住職となり、「黒衣の宰相」と呼ばれた「以心崇伝」が、自坊として再興した「南禅寺」の塔頭(たっちゅう)寺院のひとつ。
「以心崇伝」は「家康」からの信頼が厚く、「金地院」は江戸時代を通じて五山十刹以下全ての住職の任命権を持つ、事実上の最高機関とされていた。
その関係で、ここには「小堀遠州」によって建てられ、「家康」の遺髪と念持仏を祀っている東照宮もある。
総括として…
「南禅寺」を訪れる観光客の大半は「三門」までが目当てだと思うので、現在の拝観料体系はそのニーズにマッチしており、異論はない。
ただ願わくば共通券を用意して、トータルで1500円程度には抑えてほしいものだ。
世界遺産級の価値を持つ名刹とはいえ、総額2600円は敷居が高いように思えた。
南禅寺の駐車場事情
「南禅寺」の駐車場とは、「中門」のすぐ外にある「第1駐車場」のことで、なぜか第1はあるが第2・第3はない(笑)。
第一駐車場
駐車台数 50台
2時間以内:1000円
2時間以上1時間ごとに500円
「拝観料に加えて駐車場代も要るのかよ」という気持ちは分かるが、それは京都ではもはや”常識”。
そのことを考慮すれば、まだこの料金は良心的かもしれない。
ちなみに隣ある「タイムズ南禅寺会館駐車場」は、日中は1時間換算で1200円という京都でも最高値に相当する料金になる。
またさらに白川通り方面に進んだところにも「タイムズ南禅寺」があるが、ここも同じく1時間換算すると1200円だ。
「南禅寺」の拝観を1時間位内に終わらせるのは、けっこう大変だと思うので、この2つは”長い距離は歩けない”という人向きの駐車場だろう。
ただこの3つを外すと、500メートル圏内にコインパーキングは見当たらない。
「第1駐車場」が満車の場合、「南禅寺」をじっくり観たい人にお勧めなのは、650メートルほど離れた、市バスの「岡崎法勝寺前」停留所の近くにある「エコロパーク岡崎動物園前」だ。

出典:京都パーキングマップ
ここは21台が停められるそこそこ大きなコインパーキングで、平日は8時から21時まで最大600円、土日祝は最大1500円で利用できるし、「平安神宮」にも近い。
写真を見る限り、背の高いキャンピングカーは難しいかもしれないのだが、残念ながら筆者は利用していないので、実際に試せていない。
なお「岡崎法勝寺前」停留所には、「銀閣寺」から「南禅寺」まで戻る際に乗るバスが停まるので、「南禅寺」から「哲学の道」を経て「銀閣寺」まで足を伸ばしたい人には、すこぶる好都合といえる。
哲学の道を経て「銀閣寺」をめぐる上手な行き方と戻り方
「南禅寺」と抱合せで観たいメジャーな観光スポットといえば、やはり世界遺産の「銀閣寺」が筆頭に挙がると思うが、「哲学の道」を歩けば、約2.5キロ・徒歩45分ほどで「銀閣寺」に到着できる。
マップに赤で記した、「若王子神社」の手前から「銀閣寺橋」まで、琵琶湖流水沿いに約1.5キロに渡って伸びる「哲学の道」の名は、明治・大正・昭和の”動乱の時代”に生きた哲学者「西田幾太郎」が、この道を歩きながら思想にふけったことに由来しており、路傍にある幾太郎の歌碑にはこう刻まれている。
「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」
紅葉期の「哲学の道」。
紅葉に負けず劣らず、春の景観も美しい。
「哲学の道」の桜は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家の「橋本関雪」が、1922年(大正11年)に300本のソメイヨシノを寄贈したのが始まりだ。
そしてゴールの「銀閣寺」。
その境内には、「金閣寺」に代表される華やかな北山文化とは対照的に、質素で剛健な東山文化を象徴する、侘び・寂びの精神が息づく光景が広がっている。
さて。
問題は帰りだが、往復歩けるならそれに越したことはないが、タクシーを拾うといっても、今は奇跡に近い話だろう。
そこで白河通りを走る市バスの、5番系統・京都駅行きを利用する。
乗車するバス停は「銀閣寺道」、下車は「南禅寺」の「第一駐車場」にクルマを置いている人は、下のマップの❶「南禅寺・永観堂道」が最寄りになる。
ただ「南禅寺・永観堂道」で降りて、白川通りを「南禅寺」に向かうのは、歩道が片側にしかない箇所があるので危険だ。
そのため住宅地を抜けて、「南禅寺」へとアクセスしよう。
筆者は、次のバス停にあたる❷「岡崎法勝寺前」で降りて、歩道が広い「疏水記念館」の前を通って「南禅寺」の駐車場まで戻っているが、前述したように「エコロパーク岡崎動物園前」にクルマを置いておけば、降りてから歩く必要はなくなる。
周辺の見どころ
これは季節によって異なりそうだが、特に桜の季節は写真の「インクライン」がお勧めということになる。
いっぽう秋は、「南禅寺」の「大寂門」から出て東山高校を過ぎたところにある、紅葉で名高い「永観堂」になるだろう。
「永観堂」は正式名を「禅林寺」といい、853年に「空海」の弟子「真紹」が開山した密教道場がルーツだが、平安時代に「永観」が浄土念仏を唱えて念仏道場となり、「永観堂」と呼ばれるようになった。
現在は浄土宗西山禅林寺派の総本山で、秋には約3000本のイロハモミジやオオモミジが、放生池を囲う庭園に鮮やかな彩りを加え、多くの観光客が訪れる。
拝観料600円
※紅葉期の寺宝展期間中は1000円)
最後は「平安神宮」だが、「桓武天皇」が唐の都・長安を参考に築いた「平安京」の姿が、実はこの地に再現されている。
平安京大内裏の正庁を模した応天門など、朱塗りの建築が映える「平安神宮」は、1895年(明治28年)の平安遷都1100年祭の時に建立され、「桓武」「孝明」の両天皇を祀っている。
また毎年10月22日に催される「時代祭」も「平安神宮」の行事だ。
南禅寺の湯豆腐
最後は、「中門」の前に店が軒を連ねる「湯ゆどうふ」の話で締めくくろう。
元来、上質な地下水に恵まれた京都は、豆腐作りに適した土地だが、豆腐は禅寺の精進料理に欠かせない食品だったことから、京都五山の別格とされた「南禅寺」の周りでは、他の地域に見られないほど豆腐の文化が発達したという。
昔から人気がある「奥丹」は、一軒だけ離れて「南禅寺」の「大寂門」の近くにあるが、2024年5月現在は店舗修復のため休業となっている。
いっぽう、こちらは口コミの評判が高い、「中門」の前の通りにある「順正」。
今はまだこのくらいで食べられるが、このまま円安が続けば、北海道の倶知安や東京の築地のようにゼロが一桁多い「インバウンどうふ」が登場するかも(笑)。
何もかもが高すぎて、日本人には行けない京都になる前に、ぜひ一度!(笑)。
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