金閣寺の近くにあり、”枯山水の石庭”で有名な世界遺産・龍安寺の見どころ及び駐車場と、「きぬかけの路」に関する情報です。
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~ここから本編が始まります。~
「枯山水の石庭」で有名な「竜安寺」は、「金閣寺」から歩いて20分ほどのところにある世界遺産。
竜安寺 DATA
竜安寺
616-8001
京都市右京区龍安寺御陵下町
☎075-463-2216
拝観料: 大人600円
拝観時間
3月1日~11月30日 8時~17時
12月1日~2月末日 8時30分~16時30分
駐車場
石庭拝観者に限り、1時間無料
普通車駐車台数80台
竜安寺の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2011.11.27
2024.06.09
※「金閣寺」での現地調査は2024年6月が最新です。
竜安寺 目次

龍安寺の歴史と概要
京都北山の衣笠山の麓に建つ「龍安寺」は、「きぬかけの路」と呼ばれる観光道路の、「金閣寺」と「仁和寺」の間に位置している。
もともと「龍安寺」の一帯は、984年に建立された「円融天皇」ゆかりの寺院の境内地だったが、「円融寺」は徐々に衰退し、平安時代の末期に「藤原北家」の流れを汲む「徳大寺実能(とくだいじさねよし)」が同地に山荘を造営した。
その山荘を譲り受けたのが、室町幕府の管領だった「細川勝元」で、開山(初代住職)に「義天玄詔」を迎え、1450年に「龍安寺」を創建した。
だが「細川勝元」は、1467年に勃発した「応仁の乱」の東軍総大将であったため、「龍安寺」は西軍の攻撃を真っ先に受けて翌年に焼失する。
それから10年を経た1488年、「龍安寺」は「勝元」の嫡男「細川政元」によって再興を果たし、織田信長、豊臣秀吉らからも寺領の寄進を受けている。
その後「龍安寺」は「細川氏」の菩提寺となり、「細川勝元」もそこに眠っている。
ちなみに
「龍安寺」の代名詞である「枯山水の石庭」は、以前は室町時代の寺院建立時、あるいは再建時に築造されたものと考えられていたが、近年では江戸時代になってから造られたという説が有力視されている。
他の寺院の歴史を見ても、「枯山水の石亭」の造営は既に可能だったはずだが、
古文書の中には、当時の「龍安寺」の「鏡容池」は、オシドリの名所として紹介されており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名だったという記載もあるらしい。
ただ、このあたりの真相は未だ不明。むしろ室町時代の史跡でも、判明できないことがあるのが不思議に思えた。
細川勝元とは
「細川氏」は「足利氏」の流れをくむ武家の名門で、南北朝の動乱期に南朝側と戦って功を上げ、四国一円・丹波・摂津などを守護し、室町幕府の管領職を世襲した。

出典:Wikipedia
「龍安寺」を建立した時の「細川勝元」は21歳で、室町幕府の管領として6歳年下の8第将軍「足利義政」を補佐していた。
のちに同じ足利幕府の守護職である「山名宗全」とぶつかり、「応仁の乱」でバトルを繰り広げることになるが、「勝元」は政治手腕に長けていただけでなく、貿易港の堺を領地に持っていたことから、中国(明)にも精通しており、和歌や絵画といった芸術にも明るい、文化人としての一面も持ち合わせていたという。
その意味では、長く生きていれば「足利義政」が晩年に築く「東山文化」の良き理解者になっていたかもしれない。
なお「足利義政」と「東山文化」については、銀閣寺の記事で詳しく記載している。
さて。
ここで書き加えておきたいのは「細川氏」の血筋の話だ。
同時代の日本史には、足利幕府の12代将軍「足利義晴」に兄とともに仕えた「細川藤孝」が登場する。

出典:NHK
「細川藤孝」は、2020年に放送されたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で、主人公「明智光秀」の盟友として描かれ、俳優の「眞島秀和」が好演していたので記憶に新しい人もいるだろう。
時代も素性も近いので、てっきり「勝元」の近縁かと勘違いしてしまったのだが、調べてみると両者は、はるか前の先祖が「本家と分家の関係」ではあるものの、ほとんど”赤の他人”であることが分かった。
「な~んだ」と思うかもしれないが、
「細川藤孝」の嫡男は「細川忠興」、その妻は「明智光秀」の娘で、後に「細川ガラシャ」と名乗る「玉」ちゃんだ。
さらに「忠興」は江戸時代に「熊本藩」の領主となり、子孫には1993年に79代総理大臣となった「細川護煕(ほそかわ もりひろ)」氏がいる。
こちらも、すごい家柄だった!(笑)。
龍安寺の主な見どころ

出典:きぬかけの路
「龍安寺」の見どころは大きく云うと、噂の石亭が見られる重要文化財の「方丈」と、山門の近くに広がる大きな「鏡容池(きょうようち)」の2ヶ所で、マップに記された赤の破線が拝観順路になる。
まず「鏡容池」だが、「方丈」拝観後の一番最後に、その周囲を歩ける長い道が整備されているのだが、そこから見える景色はあまり絵にはならない。
この写真は、山門をくぐってすぐに左手に見える池岸から撮影しているが、集中していないと通り過ぎてしまうのでご注意を。
そしてここが「方丈」に通じる「庫裡(くり)」の入口。石畳の先の玄関で靴を脱いで建物の中に入る。
石段の脇にあるのは「竜安寺垣」と呼ばれる有名な竹編みの垣根で、紅葉の季節の午前中は、「庫裡」側から見下ろすほうが光線がいい。
1975年に日本を公式訪問したエリザベス女王が絶賛したというこの石庭は、「虎の子渡しの庭」あるいは「七五三の庭」と呼ばれ、白砂に配置された15の石は、縁側のどこから見てもひとつ足りない”絶妙の配置”になっているそうだ。
ちょっと横を見てみると
みんなが女王様の境地に立とうとしてるのかどうかは分からないが(笑)、ご覧の通り足の踏み場もない状態だった。
ちなみに「枯山水の石亭」の全容は、どちらかの角から超広角モードが搭載されたi-phoneで撮れば収まる。
また石庭の横庭では紅葉も見られる。
「龍安寺」の「本堂」とも呼ばれる重要文化財の「方丈」は、元来の建物が火災で失われた後、塔頭の「西源院」の「方丈」を移築したもので、江戸時代初頭の1606年の建物になる。
本来ここには狩野派による71枚もの襖絵があったが、明治期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で困窮に陥り、売却され散逸したという。
現在の絵は昭和に描かれたもので、画題も異なるらしい。世界遺産でもそういう過去があるとは驚きだ。
石庭の反対側の庭先にある「知足のつくばい」は、「水戸光圀」の寄進と云われ、真ん中の四角の穴は漢字の「口」を意味している。
その周りの文字に「口」を加えて時計回りに読むと、吾→唯→足→知=「吾唯知足」の4文字熟語が完成する。
「われ ただ たるを しる」というのは、「足る事を知る人間は、不平不満が無く、心豊かな生活を過ごせる」という意味。
ご老公らしい悟りの境地というか、クイズ番組に使われそうな超難問だね。
境内の中には禅寺らしく、精進料理の「湯どうふ」が食べられる店もあった。
「龍安寺」の拝観は600円なりではあるけれど、緑豊かな広々とした境内をのんびり歩けるのがいい。
その意味では暑くもなく寒くもなく、人も比較的少ない新緑の時期が適している。
龍安寺の駐車場
「龍安寺」は、駐車場が”石庭の拝観者に限り1時間以内なら無料”という、京都では今どき”稀有”でありがたい寺院だ。
駐車場は2ヶ所に分かれており、「きぬかけの道」から入ってすぐの駐車場は、基本的にバスとタクシーに充てがわれている。
京都ではどこでもそうだが、公式サイトに書かれた”普通車80台”の表示は、シーズンオフで観光バスの利用が予定内の場合の話で、修学旅行シーズンなどには、普通車用のスペースを観光バス用に切り替えるため、実際の収容台数が半分近くになることが多々ある。
「龍安寺」の場合、そういう時期の普通車は、バスの駐車場からこの坂を100メートルほど登ったところにある、下の写真の駐車場に誘導される。
ここには30台ほどが停められるだろう。
きぬかけの路

出典:きぬかけの道
ここからの内容は、「金閣寺」「仁和寺」の記事と重複する。
「きぬかけの路」とは、衣笠山の麓を走る「市道衣笠宇多野線」のうち、「金閣寺」から「龍安寺」を経て「仁和寺」へと至る約2.5キロの区間につけられた愛称のこと。
3つの寺院はいずれも世界遺産で、「金閣寺」から「龍安寺」までは徒歩約18分、さらに「龍安寺」から「仁和寺」までは徒歩約11分で行くことができる。
金閣寺
室町幕府三代将軍「足利義満」が築いた「東山文化」のシンボル。義満の生存中は「北山殿」と呼ばれる別荘だったが、没後に禅寺となり、「義満」の法号から二字をとった「鹿苑寺(ろくおんじ)」と名づけられた。
仁和寺
「光孝天皇」の勅願により創建され、その後「宇多天皇」が落髪入寺し、寺内に御室(御座所)を設けたことから、御室御所とも呼ばれている。
ただし「きぬかけの路」は周辺住民の生活道路なので、「遊歩道」というよりは「3つの世界遺産を徒歩で訪ねることができるルート」と呼ぶほうが実勢に即している。
「金閣寺」と「龍安寺」の間には、回転寿司やファストフードの店もある。
もちろん「龍安寺」以外の寺院にも駐車場は完備されているが、ハイシーズンは一度駐車場を出てしまうと、次の目的地でも停められるどうかは分からない。
そのため特に桜や紅葉の季節は、この道を歩いて3つの名刹をまわるほうがスムーズだと思う。
ただしその場合は、無料とは云え中間にある「龍安寺」の駐車場は勧めない。
「金閣寺」か「仁和寺」の有料駐車場にクルマを置いて、片道は徒歩、帰りはバスで戻るのがセオリーだ。
京都の市内観光では、2.5キロなどたいした距離ではないし、「きぬかけの路」には京都の市バスが走っている。
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