世界遺産・西本願寺&駐車場ガイド【クルマ旅専門家が解説】

西本願寺 世界遺産

親鸞の教えを現代に伝える「西本願寺」と「東本願寺」の歴史と違い、そして双方の駐車場に関する詳細情報です。

「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド

この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。

スポンサード・リンク

 

~ここから本編が始まります。~

西本願寺は、自由奔放な「浄土真宗」を説いた「親鸞」を慕う人々が集まる大寺院

西本願寺

西本願寺 DATA

西本願寺
〒600-8358
京都府京都市下京区堀川通花屋町
075-371-5181

拝観料:無料
拝観時間:
駐車場:西本願寺北境内地駐車場
無料・普通車300台
※駐車場出入口は花屋町通側

西本願寺の筆者の歴訪記録

※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。

2024.05.19

※「西本願寺」での現地調査は2024年5月が最新です。

西本願寺 目次

親鸞

西本願寺のルーツ

親鸞と浄土真宗

山科本願寺と石山本願寺

西本願寺の成り立ちと見どころ

西本願寺の駐車場

東本願寺建立の経緯

必要なものが勢揃い! 楽天市場の「車中泊グッズ」大特集 
スポンサード・リンク

 

本願寺のルーツ

出典:AirX

今は「西」と「東」に分かれ、それぞれが広大な境内を誇る「大寺院」として、ともに京都駅の近くに存在しているが、「本願寺」のルーツは、鎌倉時代の1272年に京都東山に創建された、「浄土真宗」の開祖「親鸞聖人」の小さな廟堂にある。

「本願寺」と号し寺格化されたのは、鎌倉幕府が滅びる2年前の1321年。

出典:Wikipedia

「本願寺」は荒れる京都の中で細々と明かりを灯し続けていたが、「親鸞」の教えを分かりやすく説き、身分を超えてあらゆる階層に信者を増やした、第8世宗主「蓮如」の時代に大きな躍進を遂げる。

しかし信者の急増は他宗派の怒りを買い、「蓮如」が51歳を迎えた1465年に、「本願寺」は暴徒化した「延暦寺」の僧兵に襲われ、破却されてしまった。

出典:Wikipedia

現在、破却された「本願寺」があったとされる場所は、知恩院の塔頭「崇泰院」になっており、門前には「親鸞聖人旧御廟所」の石碑が立っている。

幸いにも「蓮如」は越前に逃れ、のちに畿内に戻って山科に本願寺を再興。

晩年は大坂に「石山本願寺」も建立する。

石山本願寺 推定地

その「石山本願寺」が、約11年に及ぶ「織田信長」と抗争を繰り広げた末に、京都に移って「西」「東」に分裂するまでの話は、後ほど詳しく述べるとして、その前にここで「親鸞」と「浄土真宗」の説明を入れよう。

親鸞と浄土真宗

親鸞聖人

鎌倉時代の前半から中期にかけて活動した「親鸞」は、仏教界最大の宗派である「浄土真宗」の開祖で、信者からは「親鸞聖人」の名で親しまれている。

比叡山 西塔

「親鸞」は9歳で出家し、20年間「比叡山」で厳しい修行に励むが、そこでの修行では悟りに至ることができないとの思いから、29歳で「比叡山」を下り、過去に同じように「比叡山」を去った「法然」のもとに身を寄せる。

以降は「法然」が唱えた「浄土宗」の”どのような人であれ、念仏ひとつで救われる”という「本願念仏」の教えに帰依し、生涯をかけて、それをさらに合理的に高めた「他力本願」を説くことに力を注いだ。

それが後の「浄土真宗」のルーツになる。

このあらゆる人々に救いの道を開いた「法然」と「親鸞」の活動によって、多くの念仏者が生まれたが、そのことが修行を重んじる他の仏教教団からの反感を呼ぶ。

その結果、京都五山に位する「東福寺」からの直訴がきっかけで、2017年に「後鳥羽上皇」から、「法然」は土佐へ、「親鸞」は越後への流罪が科せられた。

ちなみに「後鳥羽上皇」は、1221年に鎌倉幕府執権の「北条義時」討伐の兵を挙げたが敗北し(承久の乱)、隠岐に流されたまま、1239年に同地で崩御している。

出典:NHK

「承久の乱」は、2022年に放送されたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の終盤で詳しく描かれ、「尾上松也」が「後鳥羽上皇」役を好演していたので、記憶に新しい人も多いと思う。

かくして

「承久の乱」の翌年にふたりは赦免されるが、ほどなく「法然」は京都で亡くなる。

いっぽう「親鸞」は、越後から信濃(長野)、上野(群馬)を経て、常陸(茨城)へと移り、約20年間の歳月をかけて関東から東北にまで念仏の教えを広めた。

63歳で京都に戻った「親鸞」は著作活動に励み、 90歳でこの世を去るが、自らが開宗する意志はなかったと考えられている。

法然

法然 比叡山

比叡山で天台宗を学んだ「法然」だったが、唐の阿弥陀仏信仰者である「善導」の教えに接したことで、”世の人々の願い”に目覚め、山を下りて阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという「専修念仏」の教えを説き、のちに「浄土宗」の開祖と仰がれる。

ちなみに「浄土宗」と「浄土真宗」では、人は亡くなるとすぐに極楽浄土へ旅立ち、仏様になると考えられている。

そのため「喪中」や「忌中」という概念はなく、親族が亡くなっても、特に生活を変えることなく過ごしていいそうだ。

浄土宗と浄土真宗の違い

西本願寺

もっとも分かりやすい違いは、「浄土宗」が「念仏を熱心に唱えることによって、だれでも往生できる」という「自力本願」を説いているのに対して、「浄土真宗」では「阿弥陀仏の救いを信じるだけで、往生させてもらえる」という「他力本願」を説いている点にある。

また仏教には、「不殺生戒(ふせっしょうかい)=いかなる生き物も殺さない)」や「不邪淫戒(ふじゃいんかい=淫らな関わりを持たない)」といった「五戒」があり、「浄土宗」は他の宗派同様にその「五戒」を守らなければならないが、「浄土真宗」にはその戒律がない。

そのため仏教に帰依する証として受ける「戒名」はなく、「法名」が与えられる。

さらに僧侶は結婚することができて、髪形も自由に選んでかまわない。

これで”坊主頭”ではない「お坊さん」がいることに、納得ができただろう(笑)。

山科本願寺と石山本願寺

出典:ヤマップ

さて。

東山にあった「親鸞」が眠る「本願寺」を失った「蓮如」が、その再建を期し、「応仁の乱」の翌年(1478年)から6年の歳月をかけて造営したのが「山科本願寺」だ。

山科は近江から陸路で三河へ、また琵琶湖を通る水路で北国へと通じ、さらに淀川流域の伏見・大阪・奈良にも通じる、「浄土真宗」の地盤のほぼ中心に位置していた。

また過去の教訓から、「山科本願寺」は総本山として地域の中核となるべく防御を固めた、戦国時代の最先端を行く”城郭宗教都市”の機能を備えていたという。

大阪城公園に残る「蓮如上人六字名号碑」

蓮如上人六字名号碑

さらに「蓮如」は1496年に、交通の便がよく、人や物資が集まりやすい大坂に着目し、息子に門主の座を譲った後の居所として、そこに「石山本願寺」を建立し、盤石の基盤を築いて、1499年に85歳で天へと召されたはずだった…

しかし「蓮如」の死後、「本願寺」は再び抗争に巻き込まれる。

その背景にあったのが、「浄土真宗」の信徒が起こした「一向一揆」だ。

その勢いが都に及ぶのを恐れた、室町幕府管領の「六角定頼」と、京都の町民が主体の「日蓮衆徒」は、1532年に「山科本願寺」を襲撃して焼き払った。

そのため第10代門主の証如は、大坂の「石山本願寺」に本拠地を移し、「寺内町(じないまち)」と呼ばれる寺院を中心に形成された、これまで以上に強固な「城郭都市」づくりを推し進める。

石山本願寺

続く第11代門主「顕如(けんにょ)」は、左大臣の娘と結婚して、公家や有力大名との結びつきを強め、政治力をあわせることで有力大名並みの力を持つようになり、「石山本願寺」は絶頂期を迎えた。

しかし今度はそこに、天下統一を目指す「織田信長」が現れ、大きな社会勢力となっていた「石山本願寺」と衝突する。

そして1570年に「石山合戦」が始まった。

「石山本願寺」は、「雑賀衆(さいかしゅう)」をはじめとする門徒衆とともに長年にわたって抵抗を続けたが、最後は仏法存続を旨として「信長」と和議を結び、「顕如」は1580年に「石山本願寺」を退去し、「石山本願寺」はその直後に焼失した。

しかしご承知の通り、その2年後に「信長」は「本能寺の変」でこの世を去る。

西本願寺の成り立ちと見どころ

豊臣秀吉

1591年、天下人となった「豊臣秀吉」のはからいで、「本願寺」は再び京都に帰ることとなり、「顕如」は現在の六条堀川に今の「西本願寺」を建立した。

西本願寺

これで「一件落着」なら良かったが、冒頭で書いたように現在の「本願寺」は「西本願寺」と「東本願寺」に分かれている。

もちろん”お西さん”と呼ばれる「浄土真宗本願寺派」も、”お東さん”と呼ばれる「真宗大谷派」も、「浄土真宗」を教義としていることに違いはない。

ただ、世界遺産に登録されているのは「西本願寺」だけだ。

「西本願寺」だけが世界遺産に登録されている理由には、国宝に指定されている「飛雲閣」や「唐門」といった、桃山文化を代表する建築物や庭園が残っていることが挙げられる。

逆に「東本願寺」が世界遺産に登録されない理由は、江戸時代に4度も火災に遭ってしまったことから、国宝建造物や特別名勝庭園がないためとも云われている。

前置きが長くなるので、「本願寺」が京都で2つに分かれた経緯と「東本願寺」については、最後に説明をしたいと思う。

西本願寺

ということで、ここからは現在の「西本願寺」の見どころを紹介しよう。

出典:西本願寺

これが「西本願寺」の境内地図だが、見てお分かりの通り、メインの建物は中央に位置する国宝の「御影堂(ごえいどう)」と「阿弥陀堂(あみだどう)」になる。

西本願寺

写真の左が「御影堂」で右が「阿弥陀堂」だが、アイフォンの超広角モードでも全部入り切らないなんて、常識外れというか、桁違いのデカさといえる(笑)。

西本願寺

まず1636年に再建され、2009年(平成21年)に大修復を受けた「御影堂」は、南北62メートル・東西48メートル・高さ29メートルを誇る本瓦葺きの入母屋造りで、

西本願寺

中央に「親鸞聖人」の木像を掲げた、一度に1200名以上が参拝できる世界最大級の木造建築物になる。

西本願寺

実は「西本願寺」では、観光客を対象に、毎日無料で「お西さんを知ろう!」という無料ガイドを定期的に実施している。

西本願寺

筆者は実際に参加してきたが、若いお坊さんが「御影堂」の中で、説法と云うより、まさにガイドに近い口調で、分かりやすく「親鸞聖人」や「本願寺」のことを説明しくれ、これは極めてお勧めだと感じた。

ちなみに「西本願寺」では、このガイドだけでなく拝観料も駐車場代も無料だ。

西本願寺 阿弥陀堂

いっぽうの「阿弥陀堂」は、南北45メートル・東西42メートル・高さ25メートルと「御影堂」より少し小さめだ。

こちらは1760年に再建され、1985年(昭和60年)に修復を受けたあと、2017年(平成29年)年8月から、4年8ヶ月をかけて再び修復工事が行われ、2022年(令和4年)年の3月に完了したばかりになる。

西本願寺

「阿弥陀堂」は、本尊の「阿弥陀如来像」を安置していることから「本堂」とも呼ばれるが、「阿弥陀堂」より「御影堂」が大きな造りになっているのは、「西本願寺」と「東本願寺」の大きな特徴だ。

その理由には様々な表現があるようだが、後年に「浄土真宗」と呼ばれるようになったこの宗派の本質は、仏の「阿弥陀如来」よりも、”どのような人であれ、念仏ひとつで救われる”との教えを説いた「親鸞聖人」に対する信仰で、教徒は”親鸞聖人”の参拝に来ているという思いが強いことに起因しているようだ。

それは筆者のように、歴史が好きで訪れる観光客にも当てはまる。

つまり「本願寺」は昔から、理由を問わず庶民を受け入れてきたから人気がある。

ちなみに令和3年版の文化庁「宗教年鑑」によると、「浄土真宗本願寺派」と「真宗大谷派」を合わせた信者の合計は1519万人にのぼり、日本八宗だけでみると実に48%と半数近くを占めている。

西本願寺 唐門

続いての見どころは、「書院」の近くにある「唐門」だ。

「北小路通」に面して建つ「唐門」は、桃山文化を代表する国宝建造物で、天皇またはその使いの者のみが通る「西本願寺」の「勅使門」にあたる。

西本願寺 唐門

その細部の彫刻を眺めていると、日が暮れるのを忘れるとの謂れから、「日暮門(ひぐらしのもん)」の異名を持っている。

かつて「唐門」は、「豊臣秀吉」の政庁兼邸宅であった「聚楽第」にあったとされていたが、今は1618年に廃城が決まった、徳川家築城の「木幡山伏見城」から移築されたとする説が有力なようだ。

ただ、いずれにしても江戸時代の寛永年間に改造され、 その際に彫刻などで飾り立てられたとされる。

ちなみに寛永年間は、「徳川家光」が「日光東照宮」を大修築した時期と重なるが、その東照宮にも「日暮門」がある。

ただしその装飾レベルは大違いで、さすがにこの程度で「日暮門」と呼ぶのは、江戸時代の「御師」が得意とした”誇大広告”と云わざるを得まい。

日光の「日暮門」こと「陽明門」を知る人は、むしろ「西本願寺」の「唐門」は見ないほうがいいかもしれない。

というか、知っている人なら筆者のようにそんなウソは書けないはずだ(笑)。

さて。

飛雲閣 西本願寺

続いての国宝は、「金閣」「銀閣」とともに”京都三名閣”のひとつに挙がる「飛雲閣」だが、ここは普段は非公開となっており、拝観を希望する場合は、事前に西本願寺に電話(075-371-5181)で、その方法を確認する必要があるとのことで、残念ながら筆者は中を見ていない。

飛雲閣 西本願寺

この写真は総合案内所に飾ってあった模型だが、全体的に柱が細く障子が多いことから、空に浮かぶ雲のようだということで、「飛雲閣」の名がついたという。

「飛雲閣」の詳細はこちらで確認を。

西本願寺

最後は「西本願寺」の入場門についてだが、一般観光客が境内に入れる入口は、「堀川通」沿いにある重要文化財の「御影堂門」と「阿弥陀堂門」になる。

阿弥陀堂門 西本願寺

見栄えがいいのは、この「阿弥陀堂門」。

西本願寺 総門

いっぽう意外なのは、「堀川通」を隔てて建つこの質素な「総門」だろう。

この門は「高麗門」と呼ばれる様式で、「豊臣秀吉」が朝鮮半島に出兵した”文禄・慶長の役”の頃から城郭建築で用いられ始め、江戸時代には門徒や商人らが住む寺内町と、神社仏閣の出入口を仕切る門として、多用されるようになったという。

古文書によると、「西本願寺」は1864年の大火で総会所を失ったが、隣接する「総門」はあわやのところで焼失を免れ、1711年の建立時のまま残っているとされる。

その「総門」が建立されて約300年。

「西本願寺」側から「総門」をくぐると、正面通に立ち並ぶ仏具店が見え、反対側から臨むと、「堀川通」を走る車両越しに「西本願寺」の「御影堂門」が目に入る。

事情を知らなければ奇妙な立地に思える門だが、その変遷を辿ると、江戸時代の「西本願寺」の寺域整備の様子から、現代にいたる京都の都市計画の一端までを示す、意味ある建造物であることに気がつく。

こういう情報があると、「西本願寺」に行こうと思っている旅行者の視野は広がる。

この話は10年以上前の2013年の「日経新聞」から引用しているのだが、さすがは新聞社と感じさせるいい記事だと思った。

西本願寺 太鼓楼

最後にもうひとつ、外から見える「新選組」ゆかりの建物をご紹介。

境内の北の角に建つ重要文化財の「太鼓楼」は、「新選組」が名を挙げた1864年の「池田屋事件」以降、隊士が増えて「壬生」の屯所が手狭になったことから、翌年に「壬生」から「西本願寺」に屯所を移した際に使用していたところだ。

西本願寺の駐車場

出典:西本願寺

これは先ほどお見せした「西本願寺」の見取り図だが、参拝者用に用意された駐車場は、境内の北側で「堀川通」と交差する、「花屋町通」沿いにある「北境内地駐車場」のことだ。

ただし交差点付近の「堀川通」には中央分離帯があるので、「二条城」方面から来ると右折できないので注意が必要。

といっても今は、ナビがちゃんとアクセスルートを教えてくれる(笑)。

西本願寺 参拝者用駐車場

ここは入庫後に写真左の受付で記名をすれば、拝観に訪れた旅行者でも無料で利用することができる。

参拝者用駐車場の利用時間は5時から17時で、トイレがあるとはいえ、よほどの事情がない限り、ここでの車中泊は許されないだろう(笑)。

西本願寺

なお「北境内地駐車場」からは、「花屋町通」を渡って「東棟」横の入口から境内に入ることができるので、わざわざ大回りして「阿弥陀堂門」まで行く必要はない。

マップをグーグルナビに切り替える方法
スマートフォンでご覧の方は、「拡大地図を表示」をタップし、画面が切り替わったら下の「ナビ開始」をタップするとナビゲーションが始まります。 高速道路か国道にするかを選びたい場合は、「ナビ開始」ボタンの左にある「経路」をタップすると表示されます。
普通車で扇風機・電気毛布はもちろん、電子レンジも冷蔵庫も使える、現代の車中泊に最適なポータブル電源は、EcoFlow RIVER 2 Pro!
スポンサード・リンク

 

さて、長々と続いた「西本願寺」の紹介は以上で終了になる。

おそらく、どこより詳しい旅行者向けの観光ガイドだったと思うので(笑)、ここで退席していただいてもかまわない。

ここから先は、少し話を巻き戻して、京都に帰還できた「本願寺」がなぜ分裂し、「東本願寺」ができたのかという話を追記していく。

 

東本願寺建立の経緯

東本願寺

前述した「石山本願寺」と「織田信長」による「石山合戦」の最中、実は「石山本願寺」の中では、和睦するか徹底抗戦するかで意見が対立していた。

和睦を主張したのは、「石山本願寺」の宗主であった「顕如」と三男の「准如」で、長男の「教如」は徹底抗戦を主張するが、最終的に「顕如」が和睦を決め、「石山本願寺」は「信長」に明け渡された。

そしてこの時の対立がもとで、「顕如」は「浄土真宗」の宗主を三男の「准如」に譲ることとなり、「顕如」と「教如」の対立は決定的となった。

東本願寺

「信長」が「本能寺の変」で討たれた後の経緯は既に記載済みだが、その後「教如」は「徳川家康」に接近し、「西本願寺」の建立から約10年後となる1602年に、現在の七条烏丸に寄進を受けて「東本願寺」を創建した。

ただその背景には、したたかな「家康」の策略があったとされる。

徳川家康

自らも若き日に三河で一向一揆と戦った経験があり、「石山本願寺」に苦しめられた「信長」を間近に見てきた「家康」は、「本願寺」自体を分裂させることで力を弱め、さらに両者の対立を煽ることで互いの勢力を削ぎ落とそうとした。

「西本願寺」と「東本願寺」は、当初は「家康」の思惑どおりに不仲だったようだが、もともと兄弟のようなものだけに、代替わりが進んだ江戸時代の後半からは共同歩調を取り始める。

さらに現在は交流も盛んに行われており、関係は良好といえるそうだ。

東本願寺

ちなみに「東本願寺」にも「阿弥陀堂」と「御影堂」があり、知らない人が見れば、両者の違いはよく分かるまい(笑)。

「西本願寺」から「東本願寺」は1キロほどの距離なので、歩いても15分ほどで行けるのだが、あえて観光客が2つを見て周る必要はないと思う。

スポンサード・リンク

 

「古都京都の文化財」ベストテン

クルマでめぐる京都の世界遺産

トップページはこちらです。

平等院
❶「平等院」鳳凰堂の値打ちが分かる拝観法
宇治にある世界遺産・平等院の歴史と見どころ及び、近隣駐車場をご紹介。
金閣寺
❷足利義満ゆかりの「金閣寺」の本当の見どころ&撮影スポット
北山にある世界遺産・金閣寺の歴史と見どころ及び、駐車場をご紹介。
清水寺
❸「清水寺」の、どこより詳しい見どころとお勧め駐車場情報
世界遺産・清水寺の歴史と見どころ及び、お勧め駐車場をご紹介。
銀閣寺
❹「銀閣寺」の概要プラス、哲学の道散策に便利な駐車場情報
東山にある世界遺産・銀閣寺から南禅寺までの見どころ及び、お勧め駐車場をご紹介。
天龍寺
❺紅葉も桜も美しい「天龍寺」は、嵯峨野屈指の観光スポット
世界遺産「天龍寺」の歴史と見どころ、及び周辺の散策コースを詳しくご紹介。
仁和寺
❻桜と紅葉が映える「仁和寺」は、フォトジェニックな世界遺産
世界遺産「仁和寺」の見どころと駐車場をご紹介。
比叡山延暦寺
❼「比叡山延暦寺」の”くたびれない拝観法”
比叡山延暦寺の「一般観光客にお勧めの拝観方法」を解説しています。
西本願寺
❽拝観も駐車場も無料の「西本願寺」は京都がお手本にしてほしい大寺院
親鸞上人の教えを今に伝える「西本願寺」と「東本願寺」の違いと見どころ及び双方の駐車場情報をご紹介。
東寺 京都世界遺産
❾五重塔がシンボルの「東寺」は、京都に残る空海ゆかりの古刹
洛南にある世界遺産・金閣寺の歴史と見どころ及び、駐車場をご紹介。
二条城
❿大政奉還の舞台「二条城 」。読んでから行くと面白さ倍増のお話
世界遺産・二条城 の歴史と見どころ及び駐車場を詳しくご紹介します。
龍安寺
金閣寺から歩いて行ける「竜安寺」は、石庭で有名な世界遺産
北山にある世界遺産「竜安寺」の概要と、金閣寺から仁和寺まで続く「きぬかけの路」をご紹介。
「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」に隠された平安京遷都の謎
世界遺産・上賀茂神社(賀茂別雷神社)の着目すべき歴史と、その見どころ及び駐車場をご紹介。
下鴨神社 楼門
古代京都の息づきが感じられる下鴨神社(賀茂御祖神社)
世界遺産・下鴨神社の由緒と上賀茂神社との関係及び駐車場情報をご紹介。
高山寺
高雄の山岳寺院「高山寺」は、日本のお茶づくりの発祥地
高尾にある世界遺産・高山寺の歴史と見どころ及び、駐車場と車中泊事情の紹介です。
醍醐寺
桜の名所で名高い「醍醐寺」は、豊臣秀吉ゆかりの世界遺産
洛南にある世界遺産「醍醐寺」の歴史と由緒及び駐車場を詳しくご紹介。
宇治上神社 本殿
静かなる「宇治上神社」は、意味深い日本最古の神社建築
平等院から近い「宇治上神社」の祭神と見どころ及び駐車場をご紹介。

車中泊で旅する京都

車中泊で旅する京都

京都 車中泊旅行
クルマで京都市内をうまく周るための秘訣と留意点
マイカーやレンタカーを使って京都市内観光をする際の、コツと注意事項を分かりやすくご紹介ています。
クルマでめぐる京都の神社仏閣
これが行く価値あり!といえる、京都の神社仏閣
京都市内をクルマでめぐりたい人に向けた、お勧めの神社仏閣の見どころとアクセス・駐車場等の詳細情報です。
クルマでめぐる京都の世界遺産
京都の世界遺産 お勧めベスト10【クルマで旅する京都】
世界文化遺産「古都京都の文化財」に登録された寺社仏閣へのマイカーアクセス他をご紹介。
京都が舞台の大河ドラマ
京都が舞台の大河ドラマと、そのゆかりの地
直近の大河ドラマの作品別に、そのゆかりの地を紹介しています。
清水寺
京都市内をクルマで旅する、4つのお勧めコース
車中泊クルマ旅で行く京都の厳選コースガイドを紹介しています。
京都市街
【平安京遷都のいきさつ】を知れば、京都は10倍楽しくなる!
1200年前に平安遷都が行われた理由と、それに深く携わった人物をご紹介。
伏見の地酒
京都・洛南を楽しみ尽くす車中泊クルマ旅
京都の縮図とも呼べる洛南エリアの見どころ・食べどころと車中泊事情を詳しくご紹介。
嵯峨野散策マップ
車中泊旅行者のための、嵐山・嵯峨野 モデル散策コースガイド
車中泊スポットがある亀岡から電車でアクセスして、嵐山と嵯峨野を徒歩でめぐる、とっておきの楽しみ方をご紹介。
龍馬と歩く京のまち
京都の「坂本龍馬ゆかりの地」めぐり モデルコースガイド
京都に残る「坂本龍馬ゆかりの地めぐり」のモデルコースをご紹介。
大原寂光院
京都・大原 車中泊クルマ旅
三千院と寂光院で有名な大原の、見どころ・食べどころとマイカーアクセス及び車中泊事情をご紹介。
比叡山延暦寺
比叡山延暦寺の”くたびれない拝観方法”
世界遺産・比叡山延暦寺の「一般観光客にお勧めの拝観方法」をご紹介。
叡山電車
車中泊と叡山電車で行く、紅葉の貴船と鞍馬
車中泊で京都に泊まり、叡電の展望列車「きらら」で貴船と蔵馬を訪ねるモデルコースをご紹介。
平等院表参道
宇治のベスト散策コースガイド
世界遺産の「平等院」と「宇治上神社」周辺を観光する際のベストルート&駐車場・車中泊情報です。
天橋立
宮津・伊根・舞鶴 車中泊クルマ旅
京都・舞鶴と丹後半島の見どころと車中泊事情に関する解説です。
山陰海岸ジオパーク
丹後半島・山陰海岸 絶景スポットガイド
丹後半島の日本海沿岸部にある見どころを詳しくご紹介。
京都府のグルメ紹介&食レポ 全記事リスト
京都府のグルメ紹介&食レポ 全記事リスト
これまで食してきた、京都府のグルメ情報と食レポの一覧です。
京都府 全記事リスト
京都府 全記事リスト
これまで取材してきた京都の全ての記事の一覧です。

日本全国 車中泊旅行ガイド

車中泊でクルマ旅

大人のための車中泊入門サイト

フェイスブック
インスタグラム

この記事がよく読まれています。

車中泊のクルマ旅は、日本の新しい「旅のカタチ」
車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、車中泊で旅する魅力をご紹介しています。
車中泊で使える、クルマ・グッズ・スポットよりも大事な3つの話
この道25年の現役のクルマ旅専門家が提唱する、「車中泊の本質」「車中泊の流儀」「車中泊の定義」の3つの話を、分かりやすくまとめてご紹介。
道の駅での車中泊は、”禁止”ではなくルールを守れば可能です。【車中泊専門家が解説】
車中泊歴25年のクルマ旅専門家が、2024年1月現在の「道の駅での車中泊が許されるルールと理由」を詳しく解説しています。
RENOGY(レノジー)リチウムイオン・サブバッテリーの取り付けと載せ替える際の注意点と依頼先
この道25年の現役クルマ旅専門家がまとめた、RENOGY(レノジー)のリチウムイオン・サブバッテリーの、取り付けと載せ替える際の注意点と依頼先の情報です。
オートパッカーの「プロモデル」キャンピングカー ”ハイエースWiz”
車中泊旅行歴25年の現役のクルマ旅専門家・稲垣朝則が実践している、車中泊旅行スタイル「Auto-Packer(オートパッカー)」の、”プロモデル”として使われているハイエース・キャンピングカーWizの実使用レポートです。
スポンサード・リンク
タイトルとURLをコピーしました