歴史に精通する、車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、2012年放送の大河ドラマ「平清盛」と、そのゆかりの地に関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」がまとめた、「一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台」を車中泊で旅するためのガイドです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
~ここから本編が始まります。~
大河ドラマ「平清盛」

ドラマ「平清盛」の概要
まずはテーマ曲から。
2012年放送
本当の親を知らないまま、武士の新興勢力・平氏のもとで育てられた清盛は、養父・忠盛と共に海賊退治を行い、一人前のサムライに鍛えあげられる。
やがて武士の頂点に立ち、日本の覇者となる。争いではなく、交易こそがこの国の豊かになる道だと人々に説いた男。
「平家物語」ではアンチヒーローとして描かれていた男に新たな光をあて、躍動感とエネルギーにあふれる男として描く。
主な出演者
松山ケンイチ/玉木宏/松田翔太/藤木直人/深田恭子 ほか
全話のショートムービーはこちら。
リアルさを追求した演出に対し、物語の舞台となった兵庫県知事が「画面が汚い」とクレームを付けて話題に。
確かに当時の時代状況をリアルに再現するため、登場人物の衣服は汚れ、路地を歩くシーンなどでは画面に埃が舞っていたが、映画では特に珍しいわけでもなく、筆者にはむしろ自然に思えた。
観光ビジネスに携わるものからすれば、せっかくの盛り上げムードに水を指した罪は、けして軽くない。
「軍師官兵衛」でも感じたが、兵庫県は大河ドラマの経済効果を軽く考えているフシがあるように感じる。少しは京都や大阪を見習わないと、NHKも兵庫県を舞台にする大河ドラマの制作には、消極的になるかもしれない。
平清盛のプロフィール
「平清盛」(1118~1181)は、平安時代末期に平氏の全盛期を築いた武将。
「平忠盛」の長男で、母親は「祇園女御(ぎおんのにょうご」と呼ばれた女性だが、「忠盛」の妻となる前に「白河法皇」に仕えていたことから、「清盛」は「白河法皇」の落胤だという説もある。
保元の乱・平治の乱で源氏を押さえて中央政界に進出し、1167年に太政大臣となる。
その後は娘の「徳子」を「高倉天皇」に入内させ、さらに一族を朝廷の高位高官につけると同時に、西国500余りの荘園を保有して全盛期を築いた。
主な功績は、日宋貿易のために瀬戸内海の航路を整えたこと、宋銭の輸入により貨幣経済を浸透させたこと、 そして世界遺産に登録された厳島神社を、今の姿に改修したのも「平清盛」と云われている。
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「平清盛」ゆかりの地
❶城南宮白河上皇時代に鳥羽離宮の一部として使われ、「院政」の舞台にもなった平安時代後期の社。
その警護役として、「清盛」がライバルの「源義朝」や後の「西行」とともに、若き日々を過ごした貴重なゆかりの地だ。
「平清盛」ゆかりの地
❷六波羅蜜寺平安時代の後期に、「平清盛」の父「忠盛」が境内に自軍を駐留させたことをきっかけに平氏の拠点となり、「清盛」「重盛」の頃には、界隈に5200もの一門の邸宅が建ち並んだといわれている。
境内には供養塔の清盛塚があり、宝物館には平清盛坐像(重文)が展示されている。
「平清盛」ゆかりの地
❸祇王寺
「平清盛」の寵愛を受けた白拍子が、「清盛」の心変わりによって都を追われるように去り、母・妹とともに出家して入寺した悲恋の尼寺。
寺の名前は「清盛」が寵愛した白拍子「祇王(ぎおう)」に由来している。
「平清盛」ゆかりの地
❹三十三間堂
「後白河法皇」が院の御所とした「法住寺殿」の一画に、「平清盛」が寄進した1000 体を超える観音像が安置された天台宗の寺院で、正式名は「蓮華王院」、本堂が「三十三間堂」になる。
南北120メートルに延びる本堂の内陣に33の柱間があることからその名がついた。
「平清盛」ゆかりの地
❺八坂神社
本殿の東側に、「清盛」の父「忠盛」の思慮深さを伝える「忠盛燈籠」があり、「清盛」の母「祇王女御」もこちらに住んでいたとされている。
後年になって「清盛」は、「祇園社」に田楽を奉納しようと出向いた際に、ここっで「祇園社乱闘事件」に巻き込まれた。
「平清盛」ゆかりの地
❻寂光院
「平清盛」の娘で、「安徳天皇」の母にあたる「建礼門院徳子」が、壇ノ浦で平家が滅亡した後に隠棲したところで、「平家物語」ゆかりの寺として知られている。
本堂の北奥には「建礼門院」が隠棲していたと伝えられている庵跡があり、寂光院の東の背後の高台には、その墓所と伝わる大原西陵も残されている。
京都以外に残る「平清盛」ゆかりの地
「平清盛」は広島県の音戸や世界遺産の宮島、さらには神戸や淡路島ともゆかりが深く、むしろ有名なゆかりの地はそちらのほうにある。
音戸の瀬戸
「音戸の瀬戸」は、呉市の南端と倉橋島の間の細い海峡だが、「清盛」の時代は浅瀬で大きな船が通れず、大きな迂回を余儀なくされていた。
そのため清盛は、租税を運ぶ船を海賊が襲いにくくすると同時に、運搬ルートも短縮し、さらに日宋貿易のための航路や厳島神社参詣航路を整備するため、「音戸の瀬戸」の掘削を決意した。
「音戸の瀬戸公園」は、呉市内の「大和ミュージアム」から約6.5キロの高台にあり、その頂上にあたる「高烏台」には、平家の頭領「平清盛の日招像」が立っている。
厳島神社
京都・神戸にゆかりの深い「平清盛」だが、実は瀬戸内は昔から平家一門の荘園で、彼らの重要な財源になっていた。
大河ドラマで若き日の「清盛」が海賊退治に奔走するシーンが描かれていたのは、その租税を守るためだったが、同時に「清盛」は信仰深く、儲けたお金で宮島の世界遺産「厳島神社」を、現在の海に浮かぶ神殿造りに改修している。
絵島(淡路島)
絵島の頂点には、「平清盛」が現在の神戸港沖に「大輪田泊(おおわだのとまり)」を築造する際に、多くの若者の身代わりとして、自ら人柱となった小姓「松王丸」を祀る社がある。
また「清盛」と親しかった「西行法師」も、「千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな」(山家集)と、この地で和歌を詠んだ。
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