歴史に精通する、車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、2010年放送の大河ドラマ「龍馬伝」と、そのゆかりの地に関する情報です。
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この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」がまとめた、「一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台」を車中泊で旅するためのガイドです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
~ここから本編が始まります。~
大河ドラマ「龍馬伝」

ドラマ「龍馬伝」の概要
2010年放送
幕末に日本の夜明けを夢見て東奔西走し、薩長同盟や大政奉還の立役者となった坂本龍馬の生涯を、三菱財閥の礎を築いた岩崎弥太郎の視点から描いた、原作なしのオリジナル作品。
封建制度が色濃く残る土佐を飛び出し、持ち前の男気と度胸で、幕末の動乱下を駆け抜けて行く爽やかなヒーローを、ガリレオでコンビを組んだ脚本家「福田靖」と俳優「福山雅治」がみごとに描き切り、大河ドラマに新風を吹き込んだ。
主な出演者:
福山雅治/香川照之/大森南朋/寺島しのぶ/広末涼子/真木よう子 ほか
全話のショートムービーはこちら。
寸評
従来の史実に沿った大河ドラマの殻を破り、大胆にデフォルメした部分があったことから、「ホームドラマ」と揶揄された一面もあるようだが、総じておもしろく見応えのあった作品だと思う。
その何よりの功績は、忘れかけられていた全国各地に残る「坂本龍馬」ゆかりの地が、息を吹き返すことに一役買ったことだろう。
放送された2010年は、高知・長崎・京都はもちろん、山口県では萩と下関、九州では鹿児島の霧島温泉郷、さらに伊豆の下田や、広島県の鞆の浦など、多くのゆかりの地に観光バスが続々とやってきたという。
「坂本龍馬の」のプロフィール
高知の下士に生まれ、脱藩した後は志士として活動。
日本で最初の商社であり、政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成。
倒幕および明治維新に大きな影響を与えたが、大政奉還の1ヶ月後、京都の近江屋で刺客に襲われ、享年33歳で生涯を閉じた。
「龍馬」は天保6年11月15日〈1836年1月3日〉 に土佐で生まれ、 慶応3年11月15日〈1867年12月10日〉)に京都で命を落としており、旧暦では誕生日も命日も同じ11月15日になる。
なお長くなりすぎるので、詳しい年表は別の記事にまとめている。
意外かもしれないが、筆者が「坂本龍馬」ゆかりの地の筆頭に挙げるのは、幕末の京都で時代のターニングポイントとなった、この薩長同盟締結の地だ。
「龍馬伝」の以前は、別の場所とされていたのだが、ドラマ化とともに再調査が行われ、ようやく正確な場所が判明した。
下の記事には、薩長同盟が締結されるまでの経緯と、「坂本龍馬」がどう絡んだのかという話まで、詳しく記載している。
なお付近には駐車場がないので、クルマで行くと往生するかもしれない。
「龍馬伝」ゆかりの地
❷寺田屋
京都に残る「坂本龍馬」ゆかりの地で、もっとも有名で人気のあるスポットといえば、やはり薩長同盟締結から4日後の深夜に、伏見奉行所に襲撃され、妻の「お龍」の機転で九死に一生を得を得た、伏見の「寺田屋」になるだろう。
なおこの事件に関連する、寺田屋界隈のゆかりの史跡も、下の記事に集約している。
「龍馬伝」ゆかりの地
❸酢屋
「酢屋」は1721年(享保6年)から続く材木商で、大坂から京都へと通じる高瀬川の輸送権を持ち、運送業もこなしていた。
その6代目当主の「嘉兵衛」は、「坂本龍馬」の活動に理解を示すパトロンのひとりで、「龍馬」は「酢屋」の二階に「海援隊京都本部」を置き、「陸奥宗光」らと暗殺される直前まで身を寄せていた。
その部屋は、保存を意図した何度かの改装を経て、現在は「ギャラリー龍馬」という名で、残された遺品を展示する「博物館」になっている。
「龍馬伝」ゆかりの地
❹近江屋
「近江屋跡」は「坂本龍馬」と「中岡慎太郎」が暗殺された場所ではあるが、現在は「かっぱ寿司」になっており、片隅に石碑と見慣れた写真があるだけ…
つまり行ってもパネルの説明が読めるだけで、”味も素っ気もない”(笑)。
とはいえ、京都でもっとも賑わいのある三条から四条間の河原町通りに面しており、この地に場所を割いて、「龍馬」暗殺のことをこれ以上詳しく伝えるのは、経済上物理的に難しいのはよく分かる(笑)。
「龍馬伝」ゆかりの地
❺土佐藩邸跡
「土佐藩邸」は、上記の「龍馬」が暗殺された「近江屋」から、10メートルも離れていないところにあった。
当時の「藩邸」は大使館のような存在で、幕府の役人と云えども簡単には踏み込めない「治外法権」の場所で、「龍馬」は大政奉還前に脱藩の罪を赦免されており、土佐藩邸に自由に出入りできた身であった。
つまりここにいれば、あの夜、無駄に命を落とすことはなかったわけだ。
にもかかわらず、なぜ「龍馬」は「近江屋」にいたのか…
その答えは、「近江屋」での出来事ともに以下の記事に詳しくまとめてある。
なお「土佐藩邸」の敷地内には「岬神社」の社があり、そこには小さな「坂本龍馬」像が立っているので、「近江屋跡」に行くなら、ここにも立ち寄っていくといい。
「龍馬伝」ゆかりの地
❻霊山護国神社・霊山歴史館
わずか33歳で生涯を閉じた「坂本龍馬」は、故郷の高知ではなく、円山公園からほど近い「京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)」の墓地で静かに眠っている。
この神社は紅葉の名所としても名高い「高台寺」に隣接し、墓地へと通じる維新の道は、「清水寺」へ続く二年坂と交わる好立地にある。
また「京都霊山護国神社」の隣に建つ「霊山歴史館(りょうぜんれきしかん)」は、日本で最初の幕末・明治維新期の歴史専門博物館として1970年に開館した。
ここには「坂本龍馬」をはじめ、「中岡慎太郎」「西郷隆盛」「木戸孝允」「高杉晋作」などの倒幕派志士の遺品とともに、「新選組」「徳川慶喜」「松平容保」など、幕府側の人材に関する資料も数多く保管されており、倒幕・佐幕両派双方の視点から、幕末を見ることができる。
なお「坂本龍馬」については、ここに紹介したゆかりの地を、1泊2日でめぐるモデルコースガイドもリリースしているので、行かれる際には参考にどうぞ。
京都以外に残る「龍馬伝」ゆかりの地
「坂本龍馬」の時代は船で移動ができたこともあり、その足跡は多岐にわたっているため、ゆかりの地の数も際立って多い。
そこでエリア別にそれぞれ記事を立てているので、そちらをご覧いただきたい。
「坂本龍馬」の場合、京都は”One of them”でしかないようだ。
京都の大河ドラマとゆかりの地
クルマで旅する京都
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車中泊でクルマ旅 総合案内
クルマ旅を愉しむための車中泊入門

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