歴史に精通する、車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、2013年放送の大河ドラマ「八重の桜」と、そのゆかりの地に関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」がまとめた、「一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台」を車中泊で旅するためのガイドです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
~ここから本編が始まります。~
大河ドラマ「八重の桜」
京都以外の「八重の桜」ゆかりの地
鶴ヶ城と城下
京都以外の「八重の桜」ゆかりの地
出石(川崎尚之助墓所)
ドラマ「八重の桜」の概要
※動画を再生すると、テーマ曲が流れます。
2013年放送
ドラマの前半は、幕末の会津。
動乱の渦に巻き込まれ、苦境に立たされていく「会津藩」の中で、母の願いとは違う”男まさり”に育った「八重」は、『ならぬことはならぬ』という「什の掟」を胸に、「鶴ヶ城」の籠城戦に加わって、最新のスペンサー銃を手に奮戦し、「幕末のジャンヌ・ダルク」となる…
後半は舞台を京都に移し、最大の理解者である兄「覚馬」の縁で、アメリカ帰りで後に「同社大学」を設立する「新島襄」の妻となり、男尊女卑の世情に負けることなく時代を生き抜き、”ハンサムウーマン”と呼ばれた。
「八重の桜」は、2011年の「東日本大震災」で被災した東北地方の人々に、希望と自分を失わずに生き続けた、『不屈の女性の物語』”を届けるべくして制作された、特別な大河ドラマでもある。
主な出演者:
綾瀬はるか/西島秀俊/長谷川博己/綾野剛/西田敏行 ほか
全話のショートムービーはこちら。
寸評
おもしろかったのは前半で、「会津藩」が幕末の動乱に巻き込まれて、「京都守護職」を引き受けるところから、朝敵とされて「戊辰戦争」で敗北するまでの一連の流れを、会津のエリート藩士であった「八重」の兄「山本覚馬」の動きと重ねながら、非常にわかりやすく描いていた。
ただ、明治を迎えて舞台が京都に移ってからは、ドラマとしてのおもしろさは大幅に薄れてしまった。正直なところ「綾瀬はるか」の演技力になんとか支えられ、最終回まで辿りついた感が拭えない。
とはいえ、OBを含めた「同志社大学」の関係者はそれなりに楽しめたと思う。
実は筆者もそのひとりだが、『学校では学ばなかった母校の歴史』を、このドラマを見て初めて知った(笑)。
「主人公」のプロフィール
内容的に、兄弟である「山本八重」と「山本覚馬」のダブルキャストのように感じたので、ここでは両者のプロフィールを掲載しておこう。
山本八重(新島八重)
「会津藩砲術師範」の山本家に生まれ、父と兄(覚馬)の影響を受けて、洋式砲術を身につける。
「戊辰戦争(会津合戦)」では、「但馬出石(いずし)藩」出身で「藩校・日新館」の教授を務めていた、夫の「川崎尚之助」とともに籠城戦に参加した。
「八重」の腕前は確かで、薩摩藩二番砲兵隊長だった「大山厳」を狙撃し、戦線離脱の重傷を負わせたとも云われている。
ちなみに「大山巌」は、「西郷隆盛」の従兄弟で、日露戦争でロシア軍を打ち破り、世界を驚かせた日本陸軍元帥だ。この時死んでいたら、日本は日露戦争で負けていたかもしれない(笑)。
明治を迎えると兄の「覚馬」を頼ってに京都に行き、「覚馬」と親交のあった、後に「同志社大学」を創立する「新島襄」と再婚。夫とともにキリスト教の布教に努めるとともに、子女の教育にも力を注いだ。
「新島襄」の死後は、「同志社大学」を離れて「日本赤十字社」の正社員となり、1894年(明治27年)の「日清戦争」で、広島の陸軍予備病院に篤志看護婦として従軍。40人の看護婦の取締役として、怪我人の看護だけでなく、看護婦の地位の向上にも努めた。
さらにその後も社会奉仕に情熱を注ぎ、国家勲章を二度にわたって授与されている。
山本覚馬
「日新館」で学んだあと、江戸に出て蘭学と洋式砲術を研究し、「会津藩」の軍備の近代化を推進。藩主の「松平容保」の「京都守護職」着任に伴い、上洛して本陣で西洋式軍隊の調練にあたった。
1864年の「禁門の変」で勲功を挙げ、公用人に任ぜられると、幕府や諸藩の名士と交わる機会が増え活動範囲が広がったが、「禁門の変」での負傷がもとで眼病を患い、失明同然の状態に陥った。
そのため1868年の「鳥羽・伏見の戦い」で「薩摩藩」に捕われ、同藩の「二本松邸(現在の同志社大学今出川キャンパス)」に収監されるが、「薩摩藩」内でも「覚馬」の優秀さが知られていたことから、粗末には扱われなかった。
この幽閉中に「覚馬」は建白書「管」を口述筆記し、薩摩藩主「島津忠義」に上程、これを読んだ薩摩藩政の「小松帯刀」「西郷隆盛」らは、ますます敬服し、待遇を良くしたという。
釈放後も「覚馬」はそのまま京都に残り、京都府顧問・府議会議員(初代議長)として、初期の京都府政を指導した。
また「八重」を京都に迎え、同志社英学校(現:同志社大学)の創立者「新島襄」の協力者として、「八重」を嫁がせ、所有していた土地を譲った人物としても知られている。
その敷地が、失明する元となった京都御所の「蛤御門」のすぐ近くにあり、かつて自らが収監されていた薩摩藩「二本松邸」というのは、なんともいえない因縁だ。
そして、それから約100年後に筆者はここに通い、またそれから50年が過ぎようとする今、この話を書いている…
「八重の桜」ゆかりの地
❶同志社大学
江戸時代の薩摩藩邸後に新島襄が設立。大河ドラマ「八重の桜」の舞台として登場した。
金戒光明寺
知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の七大本山のひとつで、幕末に京都守護職の本陣がおかれた。
なぜ、ここが本陣になったのかという理由を含めて、以下の公式サイトには当時の会津藩から新選組にいたるまでの詳しい情報が記されている。
壬生寺
壬生寺の近くにある新選組発祥の地。幕末に新撰組の屯所として使われた。
新選組といえば近藤勇、土方歳三、沖田総司あたりが有名だが、八重の桜では斎藤一が光る。
「新選組屈指の剣客」といわれた斎藤一は、明治維新後も会津藩と深く関わりを持ち続け、今も会津に眠っている。
京都以外に残る「八重の桜」ゆかりの地
鶴ヶ城と城下
京都以外に残る「八重の桜」ゆかりの地
出石(川崎尚之助墓所)
なお筆者の「ゆかりの地めぐり」は、京都以外にも波及している。
京都の大河ドラマとゆかりの地
クルマで旅する京都
クルマ旅情報
車中泊情報
車中泊でクルマ旅 総合案内
クルマ旅を愉しむための車中泊入門
バスコンからハイエース・軽キャンパーまで勢揃い! 楽天のユーズド・キャンピングカー大特集!