25年のキャリアを誇る車中泊旅行家が、淡路島に残る「平清盛」ゆかりの地、「絵島」を分かりやすく紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「絵島」は「道の駅あわじ」からクルマで約5分のところにある、大河ドラマファンには見逃せない史跡

絵島 DATA
絵島
〒656-2401
兵庫県淡路市岩屋
☎現地電話なし
※2018年から風化のため立ち入り禁止。
「絵島」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2012.01.29
2012.04.08
※絵島での現地調査は2012年4月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2025年11月に更新しています。
絵島には3つの”顔”がある

「おのころ島」伝説の地

淡路島の北端にある岩屋漁港の一角に位置する「絵島」は、別名「おのころ島」とも呼ばれている。
「記紀」の「国生み神話」に登場する「おのころ島」は、淡路島そのものを指すのかと思いきや、実は諸説諸々あるようで釈然としない。
もっとも…
そもそもが史実からかけ離れた「作り話」なので、それをどうこう議論するほうがどうかしているわけで、この話は『ああ、そうなの』でいいと思う(笑)。
「邪馬台国」がどこにあったのかとは、根本的に異なる話だ。
平清盛の野望にまつわる秘話

いっぽうここからは、しっかりした根拠に基づく史実の話になる。
現在も「絵島」の頂には、「平清盛」が「経ヶ島」を築造する際に、多くの若者の身代わりとして、自ら人柱となった小姓「松王丸」を祀る社がある。
平家の全盛期を迎えた「清盛」は、日宋貿易をさらに推進するため、都を京都から海がある福原(神戸)に遷都し、奈良時代から瀬戸内海を航行する際の要津で、現在の神戸市兵庫区(神戸港の西側)にあった「大輪田泊(おおわだのとまり)」を大改築した。
ここが当時の「大輪田泊」があったとされる場所。
しかし「大輪田泊」は、南東からの強風と大波に船の出入りを拒まれていた。
そのため「清盛」は、「大輪田泊」沖に島を築いて防波堤にしようとしたが、なかなかうまくいかない。
そこで陰陽士に占わせたところ、海中の竜神の怒りを鎮めるために、30人の人柱を海に沈めよとのお告げが下った。
その時に人柱を集めようとする「清盛」を諌め、自ら名乗りを挙げたのがまだ17歳の「松王丸」だ。
30人の人柱の代わりに、「松王丸」と一切経を書いた石を沈めたことから、完成した島は「経ヶ島」と呼ばれるようになった。

出典:Ocean Dictionary
「経ヶ島」の完成後、「清盛」は「絵島」の美しさを「松王丸」とよく語り合ったことを思い出し、海の見える「絵島」の上に社を建て、心を込めて供養したと伝えられている。
「大輪田泊」の100メートルほど沖合にあったとされる「経ヶ島」は、現在は島を含めた周囲が埋め立てられ、「島上町」という地名が残されている。
平安時代からの月見の名所

さて。
岩肌の侵食模様が印象的な「絵島」は、地質学的にも珍しい約2千万年前の砂岩層が露出した小島で、昔から月見の名所として名高く、「平家物語」の「月見の巻」にも登場する。

「清盛」と親しかった「西行法師」も、
千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな」(山家集)
と、この地で和歌を詠んでいる。

「絵島」は、元は陸地に続いていたものが波浪の侵食により、現在のような島になっており、橋でつながっているのだが、2018年以降は風化のため立ち入り禁止になっているとのこと。
上陸できなくなったのはちょっと残念だ。
「絵島」のロケーション

「絵島」は「道の駅あわじ」からクルマで5分足らずのところなので、時間があれば合わせて訪ねてみるといい。
ちなみに距離は片道約2キロ。気候の良い時期は行けないこともない。
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