歴史が好きで経験豊かな「車中泊旅行家」がまとめた、豊臣家とのゆかりが深い琵琶湖の「竹生島」に関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「竹生島」の宝厳寺にある唐門は、豊臣秀頼によって寄進された、「豊臣大坂城」の唯一現存する建築遺構「極楽橋」の入口部分。

竹生島 DATA
「宝厳寺」(ほうごんじ)
〒526-0124
滋賀県長浜市早崎町1666
☎0749-63-4410
拝観無料
9時30分〜16時30分
「竹生島」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2022.11.04
「竹生島」での現地調査は2022年11月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2026年5月に更新しています。
竹生島【目次】

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豊臣大坂城の極楽橋

現在見られる「大阪城」が、「豊臣秀吉」が築城したものではなく、「大阪夏の陣」で消失した後に、「徳川秀忠」が再建した城を、昭和に鉄筋コンクリートで再再建したものであることを、まず大河ドラマをご覧の方は100%ご存知だと思う。

これが今の何の変哲もない「極楽橋」。
『豊臣の大坂城』も『徳川の大阪城』も焼失してしまったので、さぞ絢爛豪華であったであろう建造物は、もはやそのオリジナルを見ることはできないと、多くの人が諦めているのではないだろうか。
しかし「豊臣大坂城」の遺構は、思いもよらないところに残されていた。

出典:NHK
もともとの「極楽橋」は、「豊臣大坂城」の本丸と二の丸(北の丸)を結ぶ通路として、「豊臣秀吉」が明からの使節を迎え入れるために、1596年に威信をかけて築造したものと云われている。
それにしても、今は何でもCGでできてしまうものだと感心するが(笑)、
これが同じ場所に架かっていたかと思うと、『もし「豊臣大坂城」が焼失していなければ…』と思うばかりだ。
ただ大阪城の本当の魅力は、建造物とは違うところにある。
この話に興味があれば、下の記事もご覧になっていただきたい。その壮大なトリビアに驚かれる人は、きっと多いはずだ。
竹生島と豊臣家の関係

ここまでの話で気になるのは、「極楽橋」がいかなるものかと同時に、『なにゆえそれが竹生島に移築されたのか』だろう。
話は単純ではないが、謎を解く大きなヒントが上のマップにある。

まず「竹生島」は、古代から水を司り、付近を通る船の安全航行を守る「浅井姫命(あざいひめのみこと)」が鎮座する「神霊の島」として崇められていた。
そこに「聖武天皇」の時代(724年)に勅命を受けた「行基」が弁才天を安置し、「宝厳寺」を創建したと伝えられている。

その「竹生島」は、「羽柴秀吉」が浅井攻めで武功を挙げ、その恩賞として得た今浜の地に築城した、「長浜城」の沖合約6キロのところに浮かんでいる。
「秀吉」は、初めての領地にあった伝説の島を深く信仰し、戦勝祈願をするとともに領地安堵の手厚い保護を行ってきた。
確かに長浜城主となった「秀吉」は、その後に神がかった躍進を果たし、天下統一への礎を築いたのだから、一家総出でそのご利益に感謝するのも頷ける(笑)。
さて。

1598年に「秀吉」が亡くなると、亡骸は京都の「阿弥陀ヶ峰(豊国廟)」に葬られ、本人の遺言や意向により、『大坂城の極楽橋』もそこに移築され、廟の入口にあたる「極楽門」としてリノベーションされた。

そしてその翌年、「秀吉」は「後陽成天皇」から「豊国大明神」の神号を下賜され、麓の「豊国神社」に祀られる。
しかし1602年に「豊臣秀頼」の命により、「極楽門」は「豊国廟」から『竹生島の宝厳寺』へと改めて移築された。
移築の表向きの理由は、父「秀吉」の遺徳を神聖な霊地で永代にわたって供養するため、また母「淀殿」の強い意向を受け、「浅井家」「豊臣家」とのゆかりが深い「竹生島」を復興するためとされているが、当時の「秀頼」はまだ10歳。
そしてもうこの時代には、政治の実権は完全に「徳川家康」が握っていた。
「家康」は豊国社勢力が『反徳川の旗頭』となることを警戒し、「豊国廟」を縮小して、豊臣色の強い建築を目立つ京都から排除し、政治的影響力を弱めるために、この移築を強く後押ししたとも云われている。

出典:NHK
それから13年…
1615年の「大坂夏の陣」で「豊臣家」が滅亡した直後、「家康」は満を持して「豊国神社」の社号の剥奪と、社殿の破却(廃絶)を命じている。
その結果「豊国神社」は約260年間放置され、廃絶状態に陥っていたが、明治天皇の勅命によって現在の地に復興された。
なお、竹生島への「極楽橋」移築の信憑性については、醍醐寺座主「三宝院義演」の日記「義演准后日記」に、『大坂城の極楽橋が豊国神社に移築された』旨の記述があり、また、豊国廟社の僧侶「梵舜」も、「舜旧記」 に『豊国極楽門を竹生島に寄進した』との記述を残している。

出典:オーストリア
さらにこの2つの文献の記述に加え、2006年にオーストリアのエッゲンベルグ城で発見された「大坂城図屏風」の中に、「大坂城」の本丸北方に架けられていた「極楽橋」の姿(赤枠)が描かれており、その絵図から宝厳寺の「唐門」が、「豊臣大坂城」の唯一の建築遺構であるとの見方が確実視されるようになった。
竹生島へのアクセス


琵琶湖汽船/長浜港(湖東)または今津港(湖西)発着
所要時間35分
おとな3800円
所要時間25分
おとな3400円
オーミマリン/彦根港(湖東)発着
所要時間40分
おとな3700円

竹生島の見どころ

まずは長々と説明してきた、この「豊臣大坂城」唯一の現存遺構である、豪華絢爛な桃山様式の「極楽橋入口部分」=「宝厳寺」の国宝「唐門」から紹介しよう。

「唐門」は桧皮葺の建物全体を総黒漆塗りにした上に、金鍍金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻を、また二枚の大きな桟唐戸や壁には、牡丹唐草の彫刻が極彩色塗りとして飾られている。
異常なまでに美しいのは、2013年から約7年にわたる保存修理工事が行われ、2020年5月に完了したばかりだったからだ。
筆者はその改修工事が完了するのを待って、2022年に訪れている。

いっぽうこちらは、重要文化財に指定されている「舟廊下(ふなろうか)」。
宝厳寺の観音堂と「都久夫須麻(つくぶすま)神社」本殿を結ぶ、全長30メートルの渡廊で、「豊臣秀吉」が朝鮮出兵の際に使用した御座船「日本丸」の、「船櫓(ふなやぐら)」の部材を再利用して建てられたと云われている。
といっても、その素晴らしさは中からだと分からない。

「舟廊下」は急斜面にせり出すように建てられており、京都の「清水寺」本堂と同じ「懸造(舞台造り)」の、強固な木組みを外側の参道から見上げることができる。

そしてこちらが宝厳寺の「本殿」だ。
本尊は江の島、宮島と並ぶ「日本三弁才天」のひとつで、もっとも古い歴史を誇っている。秘仏なので普段は非公開となっているが、60年に1度公開され、次回の開帳は西暦2037年になる。
なお現在の本堂は、昭和17年に再建されたものになる。
さて。
ここで思い出して頂きたいのが、「竹生島」が古代から水を司り、付近を通る船の安全航行を守る「浅井姫命(あざいひめのみこと)」が鎮座する「神霊の島」として崇められていたこと。
つまり「竹生島」には、もうひとつ「仏様」ではなく、「神様」が鎮座している社がある。

それがこの「都久夫須麻神社(竹生島神社)」で、桃山時代の豪華な装飾が残る伏見城の遺構を移築したと伝わる本殿もまた、国宝指定されている。
こちらも「豊臣秀頼」の寄進で、「片桐且元(かたぎりかつもと)」を普請奉行として伏見桃山城の「日暮御殿(勅使殿)」を移築している。
島全体が石段だらけなので、足腰に不安がある人には厳しいかもしれないが、歩く距離は短い。
所要時間は、島内での参拝・散策に約60分〜90分、各港からの船の往復移動を含めた総所要時間は約2時間〜3時間が目安になるだろう。
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