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酢屋

「坂本龍馬の使った部屋」が今も残る 京都 酢屋

 

坂本龍馬ファンが京都で訪ねる定番スポットといえば、霊山護国神社にあるお墓と、伏見の寺田屋、そして残念ながら石碑しか残っていない近江屋跡ということになりそうだが、見落として欲しくないのが「酢屋」である。

 

酢屋

「酢屋」は1721年(享保6年)から続く材木商で、現在の当主は10代目に当たる。龍馬の時代は6代目嘉兵衛が当主で、大坂から伏見・京都へと通じる高瀬川の輸送権を持ち、運送業もこなしていた。

龍馬通り

当時の「酢屋」の前は、高瀬川の舟入になっており、川沿い並ぶ各藩邸との折衝や、要所との連絡には格好のロケーションであった。
嘉兵衛は龍馬の活動に理解を示すパトロンのひとりで、その援助を受けて、龍馬は酢屋の二階に「海援隊京都本部」を置き、陸奥宗光らと暗殺される直前までここに身を寄せていた。
その部屋は保存を意図した何度かの改装を経て、現在は「ギャラリー龍馬」という名で、残された遺品を展示する「博物館」になっている。

酢屋

ギャラリー龍馬の入場料は通常500円。展示品の数からすると割高感は否めないが、龍馬フリークにとって、11月15日の命日前後約2週間だけ公開されるという追悼展は見ものだろう。期間中は竜馬暗殺直後の様子が詳しく記された貴重な文献「海援隊日記」(コピー)が展示される。ただし、この時は入場料が600円になる。

 

寺田屋

薩長同盟を成立させた坂本龍馬は、酢屋に移り住む前から幕府に命を狙われる厄介者であったわけだが、寺田屋で伏見奉行所に襲撃された際に、抵抗して役人に怪我を負わせてしまう。だが、それは幕府にとって、龍馬を「厄介者」から「犯罪人」に仕立てあげる格好の理由となった。

暗殺

そして1867年11月15日、たまたま酢屋ではなく、わずか数百メートル離れた河原町通り沿いの近江屋にいた龍馬を、刺客が襲う。

龍馬亡き後、
もし幕府に匿っていたことが発覚すれば、さすがの酢屋とてタダでは済まされない危険がある。ということで、酢屋はその証拠になりそうな資料を全て燃やしてしまった… 今思えば「ああ、お宝が~!」ということになるが、当事者からすれば致し方のない話だ(笑)。

 

坂本龍馬

それから60余年が過ぎた1933年(昭和8年)、酢屋2階の修復の時に、その天井裏に隠すように置かれていた『海援隊日記』が発見された。そこには、龍馬暗殺時の状況や犯人に関する情報集めに、残された隊士たちが奔走する様子などが、細かく記載されている。もちろん酢屋にあるのはそのコピーで、多分本物は江戸東京博物館にある。

酢屋
京都府京都市中京区河原町通三条下る大黒町47
☎075-211-7700

 

 

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京都霊山歴史館

龍馬ファン必見の 幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」 

 

霊山歴史館は、1970年に全国ではじめて幕末・明治維新期の歴史専門博物館として京都に開館し、幕末の志士達が永眠する「京都霊山護国神社」と向かい合うように建っている。

 

霊山歴史館

ここには坂本龍馬をはじめ、中岡慎太郎、西郷隆盛、木戸孝允、高杉晋作などの倒幕派志士の遺品とともに、新選組、徳川慶喜、松平容保など、幕府側の人材に関する資料も数多く保管されており、倒幕・佐幕両派双方の視点から、幕末を見ることができる。

ちなみに坂本龍馬に関する展示で、特にお勧めなのは次の2つだろう。

刀

龍馬を斬った刀
坂本龍馬が暗殺された際に使用された刀(現物)が展示されている。室内での戦闘となることを予測し、長い刀ではなく小回りのきく脇差(短めの腰刀)が使われた。

暗殺

近江屋の模型
坂本龍馬が暗殺された「近江屋事件」の様子を、当時の人の証言や資料などを元に細密に再現した模型を展示している。

さて、その霊山歴史館の創設者が、松下電器(現・パナソニック)の創業者、松下幸之助氏であることをご存知だろうか。

歴史館が生まれるきっかけとなったのは、京都霊山護国神社の境内に建つ志士たちの墓が、戦後の高度経済成長の中で人々の記憶から薄れ、すっかり荒れてしまっていたことにある。

それを知った幸之助氏は、関西の財界人に呼びかけ、明治維新から100年の節目を迎えた1968年に霊山顕彰会を立ち上げて、墓地の復興事業を行った。
同時に幸之助氏は神社に祀られている人々が、実際はどのように生き、行動したかを伝えていく場が必要であると考え、霊山歴史館を創建した。

現在では幕末・明治維新に関する資料が新たに発見されると、京都だけでなく全国から霊山歴史館へ持ち込まれるということも多いそうだ。

幕末維新ミュージアム 霊山歴史館
〒605-0861京都市東山区清閑寺霊山町1
☎075-531-3773
■料金
常設展:大人500円・特別:大人700円
■営業時間
10時~16時30分(特別展時は~17時30分/入館は30分前まで)・月曜休館日

 

 

※駐車場については、霊山護国神社のページを参照

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伏見の坂本龍馬ゆかり後

坂本龍馬と篤姫ゆかりの、薩摩藩伏見屋敷跡(京都市伏見区東堺町)

 

伏見奉行による寺田屋襲撃により、手首に瀕死の重傷を負った坂本龍馬は、濠川辺りの材木屋で無事救助された。

伏見薩摩藩邸跡

その後はこの薩摩藩伏見屋敷に匿われ、しばらくの期間、そこで療養する。傷が癒え、薩長同盟の「裏書」を終えた龍馬は、西郷隆盛の勧めで妻のお龍とともに、ここから薩摩の霧島温泉郷に向けて旅に出る。つまり、正確にはここが、世に言う日本最初の新婚旅行の出発地である。

 

篤姫

またこの屋敷は、天璋院篤姫の洛中洛外滞在時の宿泊地でもあった。参勤交代の際、島津家の歴代当主が立ち寄った場所であり、1853年秋には、篤姫が江戸へ向かう道中、1週間滞在し、ゆかりの深かった東福寺や万福寺を訪ねたとの記録が残っている。篤姫付きとなる前の幾島も、出家の身で一時期居住していたそうだ。

以上 月桂冠株式会社サイトから引用(写真除く)

篤姫と坂本龍馬が同時代に生きていたというのは、どこか不思議な気がするが、西郷隆盛はその両者をよく知るひとりであった。また最後の江戸城開放にあたっては、勝海舟も篤姫に幾度か謁見している。

 

松山酒造

さて。歴史というより「大河ドラマ」上(笑)、重要な役割を果たしたこの場所は、その後、月桂冠の大賞蔵となり、現在は月桂冠の関連会社、松山酒造が操業している。

薩摩藩伏見屋敷跡

石碑が建つだけで、中の見学等はできない。よほどの龍馬オタクでなければわざわざ行く必要はなさそうだ(笑)。

 

 

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寺田屋

坂本龍馬ゆかりの船宿 京都伏見の寺田屋

 

寺田屋といえば、伏見奉行に坂本龍馬が襲撃を受けた宿としても有名だが、実は幕末に起きた「もうひとつの大きな事件」の現場でもある。

龍馬の銅像

残念なことに、戊辰戦争の火蓋になった1868年の鳥羽伏見の戦の折に、寺田屋一帯は激戦地となり、かつての建物は焼失している。現在、その跡地は庭になっており、坂本龍馬の像などが建てられている。

寺田屋

ガイドブック等でよく見る西側の旅籠は、旧宅にならう形で明治に建てられたもので、中の見学も可能だ(10:00から15:40まで受付、16:00営業終了、大人400円)。

 

寺田屋騒動

さて。寺田屋で幕末に起きた「もうひとつの大きな事件」とは、
文久2年(1862年)に発生した、薩摩藩の尊皇派志士の鎮撫事件である。

庶民としては龍馬の襲撃事件に興味がわくが、歴史学者にとってはこの事件のほうが重要らしく、一般的にはこちらを「寺田屋騒動」、あるいは「寺田屋事件」と呼んでいる。せっかくなので、その話をもう少し詳しく記載しよう。

【寺田屋騒動】
この頃の京都は、長州藩を筆頭にした尊皇攘夷派と呼ばれる「幕府討伐勢力」が勢いを増しており、世の中の構図は尊皇攘夷派 VS 公武合体派(=江戸幕府=京都守護職の会津藩+その配下にあった新選組)となっていた。そして、そのどちらに時代が傾くのかというキャスティング・ボートを握っていたのが「薩摩藩」である。

だが、当時の薩摩藩は、一部の過激な尊王攘夷派と、リベラルで家臣の信望が厚い西郷隆盛派、そして実質的な藩主にあたる島津久光率いる保守派の、3つの派閥に割れていた。

事件はその久光が千人の兵を率いて京都に上ったことが引き金で勃発する。上洛にあたり久光は、扱いにくい西郷隆盛一派を捕縛して大阪から帰藩させるように命じており、京都に着くと、まず朝廷から尊皇攘夷派鎮圧の命を授かった。

この展開に驚愕した薩摩藩の有馬新七ら尊皇攘夷派は、寺田屋に集結し、諸藩の尊皇攘夷派志士と共謀して、関白九条尚忠と京都所司代酒井忠義を討ち、その首を久光に奉じることで、無理矢理に倒幕を促すことを画策する。

事前にそれを察知した久光は、襲撃計画を中止するよう、寺田屋にいる有馬に使者を送るが説得できず、結局藩士同士の斬り合いに進展する。

結果、6人が死亡し2名が重傷、一部の尊皇攘夷派は説得に応じて投降した。 後日重傷を負った2名は、藩命に逆らった罪で切腹となり、投降した藩士は各藩に引き渡された。薩摩藩は乱闘によって破壊された宿の修復と迷惑料の他に、藩同士の斬り合いについての口止め料として、多額の金銭を寺田屋に渡したという。

大黒寺

寺田屋の近くにある大黒寺は薩摩藩と縁が深く、寺田屋騒動で亡くなった有馬新七以下9人が「伏見寺田屋殉難九烈士」として墓所に葬られている。なお、墓石の文字は、有馬新七を幼年期から知る西郷隆盛の直筆と伝わる。

 

坂本龍馬脱藩の道

いっぽう、坂本龍馬と寺田屋の結び目も、どうやら文久2年(1862年)にありそうだ。

この年に龍馬は脱藩し、沢村惣之丞とともに京にも足を運んでいる。龍馬伝では、寺田屋の女将・お登勢が亡き母に似ていることから龍馬が気に入り、以降定宿にするような設定だった。他では1865年に薩摩藩からの紹介で定宿となったという説もあるようだが、筆者はそれよりも早いのではないかと推測している。

いずれにしても、その後江戸で勝海舟の弟子となったことから、龍馬の運命は大きく変わる。後に妻となるお龍と出会うのはそれから2年先の1864年。翌1865年には長崎で亀山社中を立ち上げ、1866年1月20日には、遂に悲願の薩長同盟締結を成し遂げる。坂本龍馬襲撃事件が勃発するのは、それからわずか8日後のことである。

 

寺田屋

1866 年(慶応2年)1月24日午前3時頃、用心棒として長州藩が遣わした三吉慎蔵とともに寺田屋にいた坂本龍馬は、伏見奉行所の幕府役人に襲撃される。

入浴中だったお龍の機転で龍馬は事態を知り、三好とともに応戦したが、手首を切られ、裏階段から庭に出て、隣家の雨戸を蹴破り裏通りに逃れた。追っ手をかわし、5町ほど(500~600メートル)走って濠川に達した龍馬は、水門を経て入り込んだ屋敷裏手の材木納屋で救援を待つ。

建物そのものが「レプリカ」とはいえ、寺田屋では当時の様子を伺うことができる。

寺田屋

お龍が入っていたというお風呂

寺田屋

襲撃された当時の刀傷が残る部屋

それらが当時の「本物ではない」とわかった上で見るなら、筆者は全く構わないと思う。なぜなら、もし焼跡に全く関係のない住居や工場が作られていたとしたら、今は何も見られないのだから。お城を筆頭に、史跡とはそういうものだ(笑)。

寺田屋

 ☎075-622-0243
伏見区南浜町263

京阪電車 中書島下車徒歩約5分
市バス 京橋下車徒歩約2分

見学料 大人400円
拝観・開館時間 10:00~15:40

見学所要時間 約20分

 


無料駐車場は道を挟んだ向かいにあるが、2台しか停められない。満車なら徒歩10分ほどのところにある、月桂冠の大倉記念館や黄桜などの資料館の駐車場を利用するといい。

 

伏見薩摩藩邸跡

最後に。襲撃後に龍馬が担ぎ込まれた、薩摩島津伏見屋敷跡もちゃんと残されている(現在は松山酒造の敷地)。ここは見つけるのに、ちょっと手こずった(笑)。

 

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坂本龍馬が眠る、京都霊山護国神社

高知で生まれた「幕末の志士」こと坂本龍馬の誕生日は11月15日。くしくも京都の近江屋で盟友の中岡慎太郎とともに暗殺されたのも同じ11月の15日である。

京都霊山護国神社

わずか33歳にして生涯を閉じた坂本龍馬は、故郷の高知ではなく、祇園からほど近い京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)の墓所で静かに眠っている。
この神社は紅葉の名所としても名高い高台寺に隣接し、墓地へと通じる維新の道は、清水寺へ続く二年坂と交わる好立地にある。

坂本龍馬の墓地

京都霊山護国神社は、明治天皇の詔により、京都の公家と山口・高知などの諸藩が相計らい、明治維新を目前に倒れた志士たちを祀るために京都の霊山の山頂に建立された招魂社で、靖国神社よりも古い歴史を持つ。
墓地には、坂本龍馬のほかに、木戸孝允、中岡慎太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜、吉村寅太郎、平野国臣、久坂玄瑞、高杉晋作、宮部鼎蔵ら幕末勤王の志士1,356柱と、明治以降の日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などの戦死者を合わせ約73、000柱が祭神として祀られている。

【主な幕末の志士の墓碑】
土佐藩 – 坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村寅太郎、望月亀弥太、那須信吾、池内蔵太
長州藩 – 桂小五郎(木戸孝允)・幾松夫妻、高杉晋作、久坂玄瑞、大村益次郎、入江九一、寺島忠三郎、来島又兵衛、有吉熊次郎。
小浜藩 – 梅田雲浜
肥後藩 – 河上彦斎、宮部鼎蔵、横井小楠
水戸藩 – 江幡広光、林忠五郎、住谷寅之介
十津川郷士
福岡藩― 平野国臣

幕末維新ミュージアム

また、隣には霊山歴史館があり、坂本龍馬を斬った刀や龍馬が高杉晋作にもらった短銃など多くの史料が展示されている。幕末の歴史や人物が好きな方にとっては、まさに必見といえるスポットだろう。

 

軍鶏鍋

さて。龍馬の命日である11月15日には、毎年神社の境内で「龍馬祭」が催され、高知県人会の差し入れで、龍馬の好物であった軍鶏鍋が振舞われる。

坂本龍馬の名刺

2010年に筆者が訪ねた時は、ちょうどNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放送されていた年で、霊山墳墓拝観料の領収書代わりに、こんな気の利いた名刺が貰えた。なかなか粋なはからいであった。

坂本龍馬のお墓参り

ただし当日はご覧のとおり大混雑。何事にもガマンは必要ということか…(笑)

 

京都霊山護国神社
京都府京都市東山区清閑寺霊山町1
☎075-561-7124
●公共交通
京都市営バス80・202・206・207系統「東山安井」バス停下車、徒歩10分。
●拝観時間
開門8時(入山受付9時)・閉山17時 年中無休

下河原パーキング

●駐車場
 最寄りは民間駐車場の「下河原モータープール」。霊山護国神社まで徒歩5分。
●拝観料
境内は無料、霊山墳墓拝観料は大人300円

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