25年のキャリアを誇る車中泊旅行家がまとめた、「呉」の見どころと車中泊に関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づき、全国各地の「クルマ旅にお勧めしたい観光地」を、「車中泊旅行者目線」からご紹介しています。

~ここから本編が始まります。~
かつての”鎮守府”として、日本遺産にも登録されている「呉」は、戦艦大和が建造された男心をくすぐる町

「呉」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2009年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2009.11.21
2013.03.09
2013.05.22
2016.12.07
2022.04.22
※「呉」での現地調査は2022年4月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2025年12月に更新しています。
呉 車中泊旅行ガイド
呉のロケーションと歴史

出典:じゃらんnet
広島市の南東部に位置している「呉市」は、県内では「広島市」「福山市」に次ぐ第三の都市で、海岸線を島に囲まれた天然の良港として、古くは「村上水軍」の一派が根城にし、明治時代以降は、帝国海軍・海上自衛隊の拠点となった歴史を持つ。

戦前に「戦艦大和」を生み出し、”東洋一の軍港”として栄えた「呉」は、戦後は世界最大のタンカー建造に見られるように、瀬戸内海有数の工業都市として日本の近代化や戦後の復興に大きな役割を果たしてきた。
また2016年には、『鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~』として、日本遺産の認定も受けている。
当時の防衛・軍事関連施設は、現在は観光資源になっており、ドラマ「海猿」や映画「男たちの大和」のロケに使われたほか、

2012年に放送されたNHKの大河ドラマ「平清盛」では、平安時代の遺構「音戸の瀬戸」にも脚光が集まった。
呉市内観光の留意点と見どころ

車中泊の旅人にとっての、呉観光時の留意点は『視野を広くして、機動力を活かしたクルマ旅』を心がけることにある。
裏返して云うと、公共交通機関で呉を訪れる、『行動範囲の狭い旅行者相手の観光情報』にとらわれすぎないことだ。

確かに「呉」の町は、「大和ミュージアム」や「てつのくじら館」といった人気の観光スポットがあり、商店街・飲食店に加えて、交通機関も集中している「JR呉駅」周辺が中心だ。
しかし、そこだけが「呉」の見どころというわけではない。

出典:トレたび
かつての”鎮守府”として日本遺産に取り上げられていることもあり、「呉」は「海軍」のイメージが強いのだが、観光のキーワードはむしろ「海事」だ。
「海事」は海上での人間の活動全般を指す言葉で、具体的には海運、造船、船舶の運航、港湾業務、海事関連の法律や教育など、海に関わる産業や学問、法律などが含まれる。

それをDiscoverするには、「音戸」や「倉橋島」、さらには「とびしま海道」で「御手洗(みたらい)町」まで足を運んだほうがいいし、それが「車中泊ならではの旅」を謳歌することに通じるとも思う。
筆者が広島市内で、見どころを「太田川デルタ」周辺に絞っているのは、そちらより「呉」に時間を費やすほうが、「広島県」をよりいっそう理解できることになると判断しているからだ。
もし「呉」の後に、「広島市内」を観光する予定であれば、以下の記事も合わせてご覧いただけると幸いだ。
さて。
ここからは「呉」の観光スポットを個別に紹介していこう。
呉湾艦船めぐり

船が苦手でなければ、「呉」ナンバーワンの見どころはコレだと思う。
いわゆる「軍港めぐり」に近いもので、そのパイオニアとも云える「横須賀」では、アメリカ海軍の現役空母「ジョージ・ワシントン」を間近に見られるが、「呉」では潜水艦や護衛艦など、呉湾に停泊する海上自衛隊の艦船に大接近してくれる。

海上自衛隊の現役潜水艦。
潜水艦は地上の「アレイからすこじま」からも見えるが、リアルに海に浮かぶ様子は観光船ならではの景観だった。

こちらは「戦艦大和」が建造された「旧呉海軍工廠(こうしょう)」の巨大なドッグ跡で、現在も「ジャパンマリンユナイテッド 呉造船所」の第3ドックとして使われており、海の上からその規模を実感することができる。

そのほかにも、造船所で建造やメンテナンスされる大型船を見ることができ、いかにも”呉ならでは”と云えるクルージングが楽しめる。

観光船は「大和ミュージアム」のすぐ横にある「呉中央桟橋」から出航し、所要時間は約35分。分かりやすいガイド付きなので、下調べも不要だ。
呉湾艦船めぐり
☎082-251-4354
おとな1700円
呉中央桟橋ターミナル1階の受付で、出航の20分前までに乗船手続が必要。
出航時間
1便:10時/2便:11時/3便:(平日は運休)12時/4便:13時/5便:14時
火曜 定休
大和ミュージアム

正式名称は「呉市海事歴史科学館」で、明治時代に海軍工廠が設置された「呉」の歴史と、その後の近代化の基盤となった造船や製鋼などの科学技術を紹介している。

そのシンボルとも呼べる展示が、「戦艦大和」を10分の1スケールで再現ているこの巨大な模型で、建造当時の設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに可能な限り詳細に再現され、全長は26.3メートルに及んでいる。
このあたりは変わることはないと思うが、現在「大和ミュージアム」はリニューアル工事中で、2025年2月17日から2026年3月末まで休館となっている。
リニューアルオープンは2026年4月の予定で、エントランスホールの刷新とミュージアムショップ棟の新たな増床及び、空調設備と経年劣化している部分の改修等が行われている。
リニューアルの詳細及び、入場料金等の詳細は公式サイトで確認を。

いっぽうこちらは、「大和ミュージアム」に隣接している、無料の「大和波止場公園」で、「戦艦大和」の前甲板をイメージして設けられたデッキからは、「大和」を建造した造船所が見える。
戦艦大和

出典:Wikipedia
日本海軍が建造した史上最大の戦艦で、世界最大最強と謳われながら、ほとんど戦果をあげられないまま、1945年(昭和20年)4月の海上特攻中に、鹿児島坊ノ岬沖でアメリカ軍機動部隊の猛攻撃を受けて沈没。その4ヶ月後に日本は全面降伏し、終戦を迎えた。
戦艦大和のオムライス

「大和ミュージアム」から1キロほど離れた、「れんが通り」の近くにある「自由軒」では、元海軍のコックから引き継いだというスパイシーなデミソースが特徴の「戦艦大和のオムライス」が食べられる。
当時の海軍では、士官と兵士の食事は区別されており、士官には洋食や豪華な食事が提供されることがあり、オムライスはそのメニューのひとつだったようだ。
つまり実際に「戦艦大和」で確実に食べられていたかどうかは不明だが、『食べられていた可能性も否定できない』といったところなのだろう(笑)。

創業60有余年の「自由軒」は、昭和感に満ちたアットホームな雰囲気で、地元の常連客や観光客に愛され、洋食だけでなく定食や丼もの、ラーメンやうどんなども提供していて、筆者は2度足を運んでいる。

駐車場はないが、店の向かいがコインパーキングになっている。
自由軒(公式サイトなし)
〒737-0046
広島県呉市中通3丁目7-15
☎0823-24-7549
11時30分~14時/17時~20時30分
木曜 定休
※写真のデミオムライズは筆者が食べた時は850円、2025年12月現在は1000円のようだ。
てつのくじら館

こちらも正式名称は「海上自衛隊呉史料館」で、「海上自衛隊」の広報施設として、引退した実物の潜水艦「あきしお」を展示し、潜水艦や掃海に関する資料を公開している。
「大和ミュージアム」の真正面にあるためセットで行きやすく、なにより無料というのがありがたい。

潜水艦「あきしお」は内部に入ることができ、見て、触って、体感できるのが特徴で、潜望鏡で呉港の景色を見ることもできる。
- てつのくじら館
☎0823-21-6111
入館無料
10時~18時 (受付最終17時30分)
火曜 定休・12月29日~1月3日 休館
アレイからすこじま

世界的にも珍しい、現役の海上自衛隊の潜水艦と護衛艦を間近で見ることができるこの公園は、「旧海軍工廠」のレンガ建造物が並ぶ、かつて「呉」が海軍の本拠地だったことを偲ばせるエリアにある。
普通車28台が停められる「アレイからすこじま専用駐車場」は、無料で利用時間は8時~20時、以降は施錠される。

「アレイからすこじま」の名前の由来は、呉浦にあった「からすこじま」(大正時代に魚雷発射訓練場として埋立)という小島の名称と、英語の小道(アレイ)から来ている。
なお、隣接する「海上自衛隊呉基地(Fバース)」では、護衛艦艦内を第1・第3・第5日曜日および第2・第4土曜日の13時30分~15時(受付時間13時20分~13時40分)に無料公開している。
艦によっては写真撮影もでき、また潜水艦も間近に停泊していることがあり、そちらでも記念撮影が可能だ。ただし潜水艦の一般公開は行われていない。
詳しくは、海上自衛隊呉地方隊のホームページで確認を。
音戸の瀬戸公園

「音戸の瀬戸公園」は、呉市内の「大和ミュージアム」から約6.5キロ離れた高台にあり、その頂上にあたる「高烏台(たかがらすだい)」には、平家の全盛期を築いた「平清盛の日招像」が立っている。

またここからは、「音戸の瀬戸」のみならず、瀬戸内の多島美が眺望できる。
「高烏台」には駐車場があるのだが、現在「音戸の瀬戸公園」では民間と呉市による大規模な再整備計画が進んでいるため、今後どのように変わっていくかは不透明な状況だ。
音戸の瀬戸

京都・神戸にゆかりの深い「平清盛」だが、実はこのあたりは昔から平家一門の荘園で、瀬戸内海は彼らの重要な財源になっていた。

大河ドラマで若き日の「清盛」が海賊退治に奔走するシーンが描かれていたのは、その租税を守るためだったが、同時に「清盛」は信仰深く、儲けたお金で宮島の世界遺産「厳島神社」を、現在の海に浮かぶ神殿造りに改修している。

このまさに筆者が航海中の「音戸の瀬戸」は、呉市の南端と倉橋島の間の細い海峡で、「清盛」の時代は浅瀬で大きな船が通れず、大きな迂回を余儀なくされていた。

このマップを見れば、その迂回の大きさがよく分かる。
「音戸の瀬戸」が通れないがために、船は倉橋島の先端を回らなければならず、当然警護は手薄になる。
そのため「清盛」は、租税を運ぶ船を海賊が襲いにくくすると同時に、運搬ルートも短縮し、さらに日宋貿易のための航路や厳島神社参詣航路を整備するため、「音戸の瀬戸」の掘削を決意した。
1165年(永万元年)7月10日、「音戸の瀬戸」の開削が始まった。

1日がかりの工事は突貫で進められたが、もう日没に間に合わないと思われたその時、「清盛」が山の岩の上に立って金扇を広げ、暮れゆく太陽に向かって「かえせ、もどせ」と叫ぶと、なんと陽は再び昇リ始めたという。
もちろんそれは歴史書にもまったく触れられていない「伝説の話」。
だが、人命を尊び、それまで当たり前のように行われてきた人柱を拒絶した「清盛」への感謝の思いは、「音戸の瀬戸」の岸に今も残されている。

写真は「平清盛」が、人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めて、難工事を完了させた功徳をたたえ、1184年(元暦元年)にその供養のために建立されたと伝わる「清盛塚」だ。
なかなかここまで足を運ぶ人はいないと思うが、NHKの大河ドラマ「平清盛」を見ていた方にはお勧めだろう。
なお「清盛塚」は、「おんど観光文化会館うずしお」の向かいにある。
倉橋島

出典:広島観音マリーナ
さて、ここからは本州と橋で結ばれた島の話になる。
古くは「長門島」と呼ばれ、広島県にある島の中で最大の面積を持つ「倉橋島」は、「呉」が造船で栄えるようになった”ルーツ”を持つとも云えるユニークな場所だ。

その「倉橋島」で筆者がお勧めするのが、日本の渚百選に選ばれた桂浜沿いに建つ「長門の造船歴史館」だ。

なんとここには、7~9世紀に唐(現在の中国)に派遣された日本の使節団「遣唐使」を乗せた船のレプリカが飾られている。

有名な遣唐使と云えば、天台宗の開祖「最澄」と真言宗の開祖「空海」だが、彼らがこのような小船で荒波の海を渡り、21世紀に暮らす現代人にも通じる教えを学んできてくれたのかと思うと、胸が熱くなる。
またそれが、都から遠く離れたこの地で造られていたことにも、驚きが隠せない。

「倉橋島」での造船の歴史は、飛鳥時代に百済から船大工が渡来し、その技術を伝えたことにあるとされている。

具体的には、663年に生じた「白村江の戦い」で、唐と新羅連合軍に倭国と百済連合軍が敗れ、多くの百済人が我が国へ渡来したが、その折に「倉橋島」にも百済人が流れ着いて住み着き、造船や船の修理が盛んになったという。
ちなみに、「白村江の戦い」で敗れた時の天皇は、「大化の改新」でお馴染みの「中大兄皇子(後の天智天皇)」で、その後の「唐」による侵略を恐れて築いたのが、福岡県の「太宰府政庁」であり、海から離れた滋賀県の「大津京」だ。
こうして見ると、歴史の”ひとこま”が引き起こす”余波”の大きさがよく分かる。

筆者は、今紹介したすべての場所を訪れているが、最初からこの話を知っていたわけではなく、旅の後からこうして情報を整理する中で結びついてきた。
史跡めぐりは正しくやれば、「数珠つなぎ」的に知識が広がり、視界も開ける。
長門の造船歴史館
☎0823-53-0016
おとな400円
※倉橋歴史民俗資料館とセット料金
9時~16時30分
月曜 定休・年末年始 休館
安芸灘とびしま海道

最後に見どころとして紹介するのは、「呉市」から愛媛県の「今治市」まで、7つの橋で、下蒲刈島・上蒲刈島・豊島・大崎下島・岡村島らをつなぐ海の道だ。

出典:広島観音マリーナ
「庭園の飛石」が如く島が連なることから、「とびしま海道」と呼ばれている。

瀬戸内の絶景に加えて、江戸時代からの歴史的な町並みが見られることから、サイクリングやドライブの人気スポットで、「しまなみ海道」と連携する周遊ルートとしても注目されている。
「しまなみ海道」にある「大三島」の宗像港と、「とびしま海道」にある「岡村島」の岡村港は、「大三島ブルーライン」のフェリーで結ばれており、1日5便が運行している。
所要時間は約25分、車両運賃は4メートルから5メートルで2080円。
もう何度も「しまなみ海道」を走っている人で、そのあとに呉・広島方面に向かうのではあれば、このルートはダントツのショートカットになる。
なお、個々の島の詳しい見どころはこちらを参考に。
その「とびしま海道」でのお勧めは、大崎下島に残る『御手洗地区の町並み』だ。
ここには江戸時代の1806年に「伊能忠敬」が測量に訪れ、「シーボルト」や「吉田松陰」、さらに公家の「三条実美」も寄港した記録が残されている。

御手洗には、大小の商家・茶屋・船宿・住宅・神社・寺院などが混在し、大波止・石橋・高燈籠・石垣護岸・雁木など、港町として生活上必要な土木的建造物が当時のまま現存している。

それらは17世紀の中頃に形成されて以来、江戸時代から昭和初期に至るまで、瀬戸内海交通の中継港として、時代時代に応じた発展を遂げた痕跡として、1994年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
また2020年には、『荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間』として、「日本遺産」にも登録されている。
呉の車中泊事情

「広島市内」と同じく、「呉」市街地の界隈に道の駅はない。
これほど見どころがあれば、さすがにワンデイですべてを見て周るのは大変で、道の駅の代わりとなる車中泊スポットを見つけてはあるのだが、「呉」市内は観光施設のリニューアルラッシュで、以降もこれまで通りに利用できるかどうかは分からない。
それを踏まえたうえで、ご検討願いたいのが以下の2ヶ所だ。
万一、この2つが使えない場合の対策としては、広島市とのほぼ中間地点に位置する、有料駐車場の「ベイサイドビーチ坂」か、倉橋島にある「RVパークくらはしカープビーチ」での”後泊”が挙げられる。
ただいずれにしても、利便性がいいとは云い難く、今の「呉」はリピートするのを躊躇したくなる観光地だと思う。
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