25年のキャリアを誇る車中泊旅行家がまとめた、岡山県にある歴史豊かな港町「牛窓」の、飾らない姿と出会うための車中泊旅行ガイドです。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づき、全国各地の「クルマ旅にお勧めしたい観光地」を、「車中泊旅行者目線」からご紹介しています。

~ここから本編が始まります。~
温暖な気候と古代からの伝説と史実に包まれた、”素顔の牛窓”を再発見する。

牛窓の筆者の歴訪記録
※記録が残る2005年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2005.05.28
2015.01.12
2016.12.18
2018.10.07
2025.11.26
「牛窓」での現地調査は2025年12月が最新です。
牛窓 車中泊旅行ガイド

牛窓のロケーション

「牛窓」は、岡山県の東の玄関にあたる「日生」の町から、国道250号を少し西に走り、「備前インター」から瀬戸内海に突き出た半島部分を走る、無料の自動車専用道路「ブルーライン」を通って、約20キロ・30分ほどのところにある。
山陽自動車道から大きく外れた場所にあるため、『わざわざ遠回りしてまで行く価値があるの?』と、云いたくなるのは無理もない。
ただ我々のようなクルマ旅には、新幹線やバスで旅をする人ほどの面倒は伴わない。

「ロード・トリップ」とも呼ばれるクルマ旅は、「自宅」から「目的地」までの移動の間も旅の範疇になる。

つまり日程さえ確保できるなら、『京阪神 ⇒ 日生 ⇒ 牛窓 ⇒ 岡山 ⇒ 倉敷』を、1泊2日で旅することはけして難しくはなく、また遠方に住む旅人で「日本一周」を目指す人には、このルートはお勧めというより、もはや”必須”と呼べるものになるだろう。
ちなみに「日本一周」と「日本縦断・横断」は違う。
「日本一周」とは、基本的に北海道・本州・四国・九州の沿岸部を旅することだ。

当然、北海道なら「富良野・美瑛」、本州では「群馬県」「長野県」さらに「岐阜県」「滋賀県」は出てこないわけで、明けても暮れても見えるのは海、グルメは海産物ばかりだ(笑)。
ゆえに様々な”旅の引き出し”を身につけていない人には、思ったよりも退屈に思える反面、逆にそれができている人には、存分な「ディスカヴァー」が得られる。
云い換えれば、「日本一周」はこれまで培ってきた旅行力を測る、いい機会になる。

実際に「日本一周」を完了して本を書いた筆者は、それを身を持って実感した。
「牛窓」は、その歴史を知れば認識が変わる

さて。
ここから「牛窓」の話になるが、あちこちで見かける『日本のエーゲ海』というコピーは、1980年代から使われるようになった「牛窓」のキャッチフレーズのようだ。

広告代理店に依頼されたコピーライターが作ったのか、はたまた役所の広報担当者が思いついたのかは分からないが、『日本のエーゲ海』はバブルの風に乗って、気がつけば空高く舞い上がっていた。

それは「牛窓オリーブ園」があるように、古代からオリーブ栽培が盛んであったギリシャと、気候はもとより、目の前に広がる瀬戸内海が織りなす、多島美の雰囲気が似ていることに起因する。

1982年に「旧牛窓町」は、ギリシャのレスボス島ミティリニ市と日本・ギリシャ間で初の姉妹都市提携を結び、1997年には「ミティリニ広場」を整備するなど、その後も積極的に交流を図ってきた。
しかし今はもう、ここが観光ガイドで紹介されることは皆無に等しい(笑)。

確かにこの写真を見れば、「牛窓」がそれとなくギリシャに見えるかもしれないが、これが精一杯の「忖度」だ(笑)。

そもそも「牛窓」は「ハウステンボス」や「ポルトヨーロッパ」のような『西洋文化圏のテーマパーク』ではなく、古代から始まる『いかにも日本らしい歴史』が刻まれてきた港町で、その痕跡が町の随所に今もしっかり残されている。

たとえば「牛窓」の地名は、「日本書紀」に描かれた「三韓征伐」のヒロインで、その帰途に「応神天皇」を産んだとされる、「神功皇后(じんぐうこうごう)」に由来するという伝説がある。

その伝説は、古墳時代に「神功皇后」が船で九州へ向かう途中に、この地で「牛鬼(うしおに)」という怪物に襲われたが、そこに老人に化けた「住吉明神」が現れ、「牛鬼」の角をつかんで海に投げ倒して退治したという物語で、「牛窓」の語源は、その「牛転び(うしまろび)」が根拠になっているという。

しかもその伝説を裏付ける証として、「神功皇后」を祀る「牛窓神社」が今でもあるのだから恐れ入る。

いっぽうこちらは、同じ「牛窓神社」の境内に残る、飛鳥時代に実在した「柿本人麻呂」の作とも伝わる「万葉集秀歌碑」だ。
牛窓の 波の潮騒 島響み(とよみ)
寄さえし君に 逢わずかもあらん
現代風に訳すと、牛窓の島々に高く響く潮騒のように大きな噂が立ってしまったので、思いを寄せるあなたとは会えないままになるのでしょうか… というような内容になるらしい。

ただ「万葉集」の記録では作者不詳とされており、こちらも有名人の名を借りた願望混じりの話である可能性は否定できない。
ただこの和歌が誰の作かは別として、「牛窓」に残された2つの逸話から伺えるのは、牛窓の海が時折もたらす災いだ。

それには今も存在している、写真の「前島」との間を遮る「唐琴の瀬戸」の自然現象が関係している。

出典: 瀬戸内市歴史まちづくり財団
「唐琴の瀬戸」は細長い海峡のような地形で、干潮と満潮では潮の流れる向きが180度変わるという。
動力がなかったその時代の船は、帆で風を受けるか、櫓(ろ)や櫂(かい)を人力で漕ぐ必要があったが、潮の流れに乗れば船を楽に進めることができたため、進みたい方向へ潮の流れが変わるのを待つことを”潮待ち”と呼んだ。
「牛窓」の他では広島県の「鞆の浦」が、同じように「潮待ちの港」であったことが知られており、そちらには京都から九州に逃げ落ちる際に、「足利高氏」が本当に立ち寄ったという記録が残っている。

このように、古代から「潮待ちの港」として繁栄してきた両者には、江戸時代の「朝鮮通信使」の寄港地としての史実がある。
「朝鮮通信使」は朝鮮王朝が江戸幕府へ派遣した外交使節団で、「牛窓」には計11回寄港し、「本蓮寺」などに宿泊している。

「朝鮮通信使」とは、「豊臣秀吉」の朝鮮出兵で断絶した日朝関係を、「徳川家康」が「対馬藩」を用いて修復し、1607年から江戸時代を通じて計12回派遣された大規模な文化・外交使節団のこと。
表面は『秀吉の尻拭い』として朝廷への体裁を保ちつつ、背景には「朝鮮通信使」に対する接待で、西国大名の財力削減を図る魂胆が仕込まれていたので、両手を上げて褒めるわけにはいかないが(笑)、その結果が今になって各地の観光資源として生かされているのは事実で、何とも興味深い話だと思う。

ただ立派な歴史があるからといって、若者向けに何もやらないのではジリ貧になるだけなので、筆者は『日本のエーゲ海』を否定はしない。

しかし今の姿を見るかぎり、そのキーワードで”未来の牛窓”を明るく照らせるとは、とてもじゃないが思えなかった。
というか、既に本音では町もそれを諦めてしまっているようにすら感じた。
であれば、もうカッコつけずに素顔を見せればいいのでは。

今の「牛窓」最大の魅力は、人を和ませる温暖な気候と穏やかな景観で、それは紀伊半島にも伊豆半島にもない、この地特有の財産だ。
ちなみに、似たような歴史を持つ「鞆の浦」の客層を劇的に分厚くしたのは、2008年に放映されたスタジオジブリのアニメ映画「崖の上のポニョ」だったが、こういう場所は1本のヒット映画かドラマが生まれれば一気に変わる。
放映されてから既に20年近く経っているが、モデルの地になった事実は不滅で、今はサブスクでいつでも見たい時に見ることができるため、地元の人間が思っているほど”色褪せる”ことはない。
ちなみに「牛窓」も多数の作品のロケ地になっていて、その中の映画「魔女の宅急便(2014年)」と「釣りバカ日誌18(2013年)」は見ているのだが、残念ながらそのロケ地の記憶はまったくない(笑)。
ということで、
これまでの話を踏まえて、『ここは行ってもいいのでは?』というスポットを、改めて紹介しよう。
牛窓神社

筆者が見た中でいちばんと感じた見どころは、この「牛窓神社」だ。

「唐琴の瀬戸」に面した砂浜が広がる海岸べりに「一の鳥居」が立っており、そこから始まる石段の牛窓神社参道の途中に、「前島」と「唐琴の瀬戸」を望む展望台の「望洋亭」があって、そのさらに先に「随身門」と「本殿」が鎮座する。

前述した「万葉集秀歌碑」は、「一の鳥居」の海側にある。

ここから「本殿」までは364段の石段があり、その途中に「望洋亭」がある。

「望洋亭」から展望する、「前島」と「唐琴の瀬戸」。

さらに進むと、邪悪なるもののの侵入を防ぐとされる「随身門」に到着する。

1000年以上の歴史を持つ「牛窓神社」は、古くから「牛窓明神」として土地の神霊をお祀りしていた神社だが、「神功皇后」の伝説に由来する地名の発祥地とされることに基づき、平安時代に大分県の「宇佐八幡宮」から、「神功皇后」と「応神天皇」が勧請された経緯を持っている。

驚くべきは本殿の天井に飾られた数々の絵で、「神功皇后」だけでなく、なぜか「牛若丸」や「真田幸村」の絵もあった。

ちなみにこちらが、海水浴客と釣り人も利用する無料駐車場で、道沿いに長く広がっており、もっとも海岸に近いところに公衆トイレがある。

中は洋式でとてもきれい。
周辺には民家もあり、牛窓の市街地近くで車中泊がしたいのならここだろう。
駐車場には傾斜があるところが多いが、トイレの向かいが比較的平坦だ。
ただ6キロほど走れば「道の駅 一本松展望園」があるので、牛窓神社の参拝が目的なら、そちらを利用するほうが無難だ。
「道の駅 一本松展望園」については、後ほど詳しく紹介する。
牛窓オリーブ園

「牛窓」は香川県の「小豆島」と並ぶ日本二大オリーブ産地と云われており、こちらにも同じようにオリーブ園がある。

約2000本のオリーブの木を栽培する斜面に続く遊歩道には、展望台や山頂広場、幸せの鐘などがあり、360度牛窓の景観を眺望できる。

ベストシーズンはオリーブの花が咲く6月初旬と実がなる7~11月だが、年間を通じて多くのオリジナルグッズを販売している。
その他の見どころ

数多の牛窓の観光ガイドを見ると、前述した2つの観光スポットと並んで、この「しおまち唐琴通り」を紹介している。
だがここはよほど『牛窓LOVE』でなければ、行く必要はあるまい(笑)。

筆者はこの記事を書くために、「ホテルリマーニ」から海岸線を「牛窓海水浴場」まで歩いて往復し、何枚かはそこで撮影した画像を使っている。

しかし「しおまち唐琴通り」は、昔の観光スポットの”残骸”だけがポツンポツンと残された”名ばかりの通り”で、ご覧の通り民家が並ぶだけで、観光客相手の食堂や売店は皆無に等しい。

行くとしたら、クルマを「瀬戸内きらり館」近くの海辺に用意された無料駐車場に停めて、先ほどのマップに赤でマークした道を散歩するだけでいいと思う。

表通りには「海遊文化館」「瀬戸内きらり館」、裏の関町には「本蓮寺」がある。

なお「本蓮寺」の近くに、魚がおいしい食事処「瀬戸内活魚料理・善太」がある。
夢二生家記念館・少年山荘

牛窓の市街地からは少し離れるが、「しおまち唐琴通り」で時間を使うよりは、「牛窓」出身で大正ロマンの世界を描いた詩画人、「竹久夢二」にゆかりのある2つの家を訪ねるほうがお勧めだ。

こちらが「竹久夢二」が16歳まで過ごした、茅葺き屋根の「夢二生家」。

中には日本画・素描・版画などが展示され、夢二の少年時代の部屋も残っている。

いっぽうこちらの「少年山荘」は、本人が晩年に自ら設計して東京に建てた、「夢二」唯一の建築作品とも云えるアトリエ兼住居を復元したもので、館内では、人生・音楽・デザインをテーマに夢二の作品・遺品などの展示が鑑賞できる。
牛窓の車中泊事情

単純に、「牛窓」で車中泊をするにはどこがいいかが知りたいのなら、タダであれば前述した「牛窓神社」の無料駐車場か、次の2つの道の駅になる。
ちなみに「牛窓」でゆっくりしたい人にはRVパークがあるが、筆者は利用したことはない。
あともう1件、「RVパークうしまどクロワッサン」という施設があるようだが、ここは2025年12月現在、営業しているのかどうかが分からなかった。
さて。
多くの車中泊の旅人にとって、この話は『京阪神 ⇒ 日生 ⇒ 牛窓 ⇒ 岡山 ⇒ 倉敷』という「ロード・トリップ」を、どういうスケジュールで動くかに深く関わってくると思う。

いずれにしても鍵を握るのは、混雑必至の「倉敷」で、結論を云ってしまえば、その「倉敷」を朝一番に訪ねやすい場所で「前泊」するのが理想になる。
その際のベスト車中泊スポットは、山陽自動車道の「吉備SA・下り線」だ。
さらに週末旅で車中泊の特性を活かすなら、金曜日の夜に「龍野西SA・下り線」まで来ておくと、「日生」「牛窓」の観光に余裕が生まれる。
備前エリア 車中泊旅行ガイド

岡山県 車中泊旅行ガイド
車中泊でクルマ旅 総合案内
クルマ旅を愉しむための車中泊入門
この記事がよく読まれています。




























