25年のキャリアを誇る車中泊旅行家が、山形県の山寺にまつわる3つのエピソードをご紹介。
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この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づき、全国各地の「クルマ旅にお勧めしたい観光地」を、「車中泊旅行者目線」からご紹介しています。

~ここから本編が始まります。~
「奥の細道」の名句が詠まれた、天空の古刹「山寺」には、ほかにも『へぇへぇへぇ~』と驚くユニークなエピソードがある。

山寺 DATA
山寺
正式名は宝珠山立石寺
〒999-3301
山形県山形市山寺4456-1
☎023-695-2843
入山料:おとな500円
4月~9月:8時~16時
※12月~3月は8時30分〜
「山寺」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2010.08.25
2021.04.12
※「山寺」での現地調査は2021年4月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2025年10月に更新しています。
山形県の山寺に行く前に知っておきたい、3つのエピソード

「山寺」のイントロ・エピソード

「山寺」の通称で親しまれている「宝珠山 立石寺(ほうじゅさんりっしゃくじ)」は、平安時代初期の860年に、比叡山の第三世天台座主「慈覚大師円仁」が開いたと伝わる、東北の代表的な霊山だ。

広さ33万坪とも云われる宝珠山全体が境内になっており、広い敷地の中に点々と建つ大小30余りの堂塔に、石段を登りながら参拝していく。
ただし、麓の山門から奥の院までは1070段もの石段が続いており、運動不足の方や高齢者にはちょっと厳しいかもしれない。
そんな「山寺」の詳しい説明は、公式サイトでご覧いただくとして、
当サイトでは挨拶代わりに、イントロとして心和めるトリビアから始めよう。
「久保田宵二」作詞・「服部良一」作曲で、昭和12年に発表された「山寺の和尚さん」という唱歌をご存知だと思うが、この曲に出てくる「山寺」は、この「宝珠山 立石寺」と云われている。
では、このひょうきんな「和尚さん」は誰なんだ?
どうやらそれは「子どもの純真な心こそが誠の仏の心」と唱える、江戸時代後期の禅宗の僧侶「良寛さん」がモデルらしい。

もちろん、越後の「出雲崎」にいた本物の「良寛さん」は、生涯を寺に属さず、山形にも来たという記録は見当たらない。
つまり、『「良寛さん」のように、子供にも慕われるユニークな和尚さん』が、「山寺」にもいたんだよという逸話だ。
脱線ついでに、作曲している「服部良一」は、「青い山脈」「別れのブルース」「銀座カンカン娘」など数々のヒット曲を持つ大先生だが、記憶に新しいのは、やはり「東京ブギウギ」だろう。

出典:NHK
2023年の朝ドラ「ブギウギ」で、「草彅剛」が演じていたのを、覚えている人も多いのでは…
個人的には素人にはよく分からない古刹の寺歴や、眉唾なパワースポットの話より、こういうトリビアのほうが、よほど行く気をソソられる(笑)。

筆者は2010年に、一番上にある「奥の院」まで登って参拝を済ませているのだが、「山寺」にはこれよりもっと有名なエピソードがある。
ということで、ここからはもう少し”大人向きの話”をしていこう。
「山寺」の誰もが知るエピソード

ご存知の方も多いと思うが、東北紀行の道中で、友人「清風」の住む「尾花沢」に立ち寄った「松尾芭蕉」は、「山寺」を訪ね、参道の途中にある「せみ塚」で、この名句を詠んでいる。
閑さや 巌にしみ入る 蝉の声

「月日は百代の過客にして…」の序文から始まる「奥の細道」は、日本の古典紀行記の代表的な作品だ。

当時46歳だった「松尾芭蕉」は、弟子の「曾良」を伴い、「松島(宮城県)」「平泉(岩手県)」「象潟(秋田県)」を主たる目的地として、 東北から北陸にある歌枕や史跡を辿りながら、終着点の「大垣(岐阜県)」まで、5ヶ月で約2400キロにも及ぶ長路を旅している。
紀行を通じて諸藩の事情に精通する「松尾芭蕉」の真の素性が、実は公儀の隠密だったという話もあるようだが、目の届かない陸奥の情報を幕府が欲しがったのは、まんざら嘘ではなかったと思う。

ところで、
「山寺」の麓近くにある、「山寺芭蕉記念館」の裏手に設けられた見晴らし台に行くと、実は険しい断崖の中に建つ境内の様子がよく見える。

館内には「芭蕉」の真筆のほか、「奥の細道」関連の資料が展示されおり、映像も鑑賞できるのもお勧めだ。
山寺芭蕉記念館
☎023-695-2221
入館料400円
9時~16時30分
休館日は公式サイトで確認
なお「松尾芭蕉」本人に関する詳細情報は、以下のオリジナル記事にまとめているのだが、「芭蕉」はあの歌人で名高い「西行法師」の”追っかけ”だった。
「山寺」の知られざるエピソード

さて。
こちらが「山寺」の中のもっとも中心的な建物にあたる「根本中堂」で、「慈覚大師」作と伝わる「木造薬師如来坐像」が安置されている。
またそこには、伝教大師「最澄」によって「比叡山延暦寺」に灯された「不滅の法灯」が分灯され、今も中を照らしている。
そしてその由緒ある「山寺」の「不滅の法灯」には、戦国時代に「織田信長」によって焼打ちされた「延暦寺」の再興時に、本家本元に分け返されたという逸話が残されている。

不滅の法灯とは
孫に話すと、「鬼滅の法灯」に置き換えられてしまいそうだが(笑)、「不滅の法灯」とは「比叡山延暦寺」の「根本中堂」に1200年以上絶えることなく灯り続けている灯明のこと。
「最澄」が灯したもので、仏の教えが永遠に伝わるようにとの願いが込められていることから、菜種油を毎日注ぎ足して守られており、「油断大敵」の語源になったとも云われている。
1543年(天文12年)の「立石寺」の再建の際に、「比叡山延暦寺」から分灯されたが、その後の1571年(元亀2年)9月に、「比叡山延暦寺」が「織田信長」の焼き討ちに遭い、今度は「比叡山」の法灯が消えてしまったために、「立石寺」から再分灯してもらい、1589年(天正17年)に復活させたという。

写真の「法灯」は、「西行法師」も「松尾芭蕉」も訪れた、「平泉」にある「中尊寺」で筆者が撮影してきたのだが、今なら世界遺産になっているその「中尊寺」から再分灯してもらいそうなものだ。
しかし安土桃山時代の「中尊寺」は荒廃していて、それどころはなかった。
「松尾芭蕉」は、訪れた「中尊寺」でこの句を残している。
五月雨の ふり残してや 光堂

彼が見た当時の「中尊寺・金色堂」は、鎌倉時代に「北条氏」によって建てられた、この「覆い堂」の中で輝きを失っており、「芭蕉」にとっても平安時代の「平泉」の栄華は遠い昔のことだったようだ。
「法灯」の逸話ひとつで、ここまで当時の日本が見えてくるから、「史跡めぐり」というのはおもしろい。
そしてそこでは、教科書には載っていない日本の様子を垣間見ることもできる。
もっとも…
飛行機も新幹線も、ましてクルマもなかったその時代に、いかにして「法灯」の灯りを絶やさずに、山形から滋賀の比叡山まで持ち帰ったのか?
なんてなことを考え出すと、”いにしえのロマン”は語れなくなる(笑)。
「山寺」で食べられる絶対ウマいもの

醤油だしで煮込んだ温かい串刺しの「玉こんにゃく」は、山形県のソウルフードで、道の駅に行けば必ずといっていいほど売っているのだが、そのルーツがこの「山寺」の「力こんにゃく」と云われている。
起源は「円仁」が中国からこんにゃくを漢方薬として持ち帰ったことに起因しており、開山以来この地で広まったというからすごい。灯りが「不滅の法灯」なら、こっちは「不朽のだし」と云えるかも(笑)。
ちなみに現在の串ざしになったのは昭和初期といわれており、1070段の長い石段登りに力が沸いてくる、ということからこの名がついたという。
長らく1本100円だったが、現在は150円になっている。なお、辛子をつけて食べると、なおうまい。
「山寺」のアクセスマップ
車中泊でクルマ旅 総合案内
クルマ旅を愉しむための車中泊入門
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