25年のキャリアを誇る車中泊旅行家がまとめた、岩手県にある世界文化遺産「平泉」の歴史と概要及び、駐車場と車中泊事情に関する情報です。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド
この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
世界遺産「平泉」の真髄は”金色堂”ではなく、戦に明け暮れた「藤原清衡」が悟った、平安時代の”浄土思想”にある。

筆者の「平泉」の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2009.07.18
2011.10.27
2014.04.15
2020.07.17
2021.04.15
2025.05.29
「平泉」の現地調査は、2025年5月が最新です。
よくわかる世界遺産「平泉」

平泉の歴史❶
奈良時代まで蝦夷の領地だった「平泉」を平定したのは、日本で最初の征夷大将軍となった「坂上田村麻呂」
平泉の歴史❷
約300年にわたって続いた利権争いと、そこに絡むビッグネーム
平泉がよく分からなくなる、いちばんの理由

この話は、これから初めて「平泉」を訪ねる人より、行ったことのある人のほうが共感いただけると思うのだが、京都と同じく1000年をはるかに超える歴史に彩られた「平泉」には、幾つかの”時代の顔”がある。

大雑把に云うと、ひとつは世界文化遺産となった「奥州藤原家」全盛期の顔、そして大河ドラマで何度も描かれた「源義経」最期の地としての「顔」、また奥の細道を綴った「松尾芭蕉」の旅先としての顔…

つまり「平泉」は万華鏡のように、時代によってまったく違う「顔」になるにもかかわらず、それを無視して”歩く場所”をベースにガイドしようとするから、されるほうは混乱する。
「ここは平安時代の遺跡で、続くこちらは鎌倉時代、そしてここが江戸時代の遺跡でございます。」では、連続性が見えてこないのは当然だ。
それは京都でも同じだが、確かに『一度しか来ない公共交通機関を利用する旅行者』を想定してガイドを作れば、そうならざるを得ないのは理解できる。
しかし紙面に限りがあるペーパー媒体はともかく、情報掲載量の制限がないに等しいウェブにもかかわらず、『見る側に結果が伴わない情報』を、公私入り乱れて、無責任にネット上にばらまくのは罪が深い。
それでは、たとえアクセス数が取れたとしても信頼は得られない。
もっとも…
「平泉」のような懐の深い観光地に、何の予習もなく足を運び、『人並みに行ってきた気になろう』というのも、厚かましい話だと筆者は思っている(笑)。
いかにアタマが良くても、さすがに世界遺産「平泉」を1回で把握するには、それなりの事前知識が不可欠だ。
凡人の筆者は6度現地に足を運ぶことで、ようやくその楽しみ方が見えてきた。

出典:中尊寺
「平泉」はこの「金色堂」がある「中尊寺」のイメージが強く、ややもするとそこばかりに注目が集まりがちだ。

しかし、世界遺産の登録内容は「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」となっている。
つまりこの世界遺産を訪ねて満足感を得るには、面倒でも「浄土思想」が息づいていた平安時代まで遡り、当時の政治や社会を振り返る以外に方法は見つからない。
すでに日本中の主な観光地をほぼ周ったと自負する筆者だが、往時の建物がないため、その実体がほとんど見えない世界遺産「平泉」を理解するのは、けして簡単ではなかった。
というわけで、ここではそれで得た『行く前に知っておきたい話』と、『現地で役立つ話』の2つに分けて、「平泉」の観光情報をお届けしたいと思う。
「面倒くさそう」と感じた人には、「行かない」という選択肢がある。
たぶん「中尊寺」も「毛越寺」も、『ここのどこが世界遺産なんだろうね?』(と、恥ずかしくて口には出せないものの)、本音はそうなると思う(笑)。
じゃあ、
道の駅に寄ってお土産でも買おうかな。
それで全然かまわないと思います。
まずは、「平泉」を”5W1H”で明快にご紹介。

「平泉」が世界遺産に登録された根拠を、5W1Hで整理すると以下の通りになる。
いつ:
平安時代の末期に
どこで:
都から遠く離れた東北の地で
だれが:
長年にわたる平泉の利権争いに勝利した奥州藤原氏が
なにを:
戦争のない平和な社会を
どのように:
仏教の浄土思想と、金や馬から得られる潤沢な資金を用いて
どうした:
親子3代、100年がかりで具現化した
その結果、
「平泉」には「浄土思想」の考え方に基づいて造られた、多様な寺院・庭園及び遺跡が、今日まで一群として良好な状態で保存されてきた。
それらは海外からの影響を受けつつも、日本で独自の発展を遂げており、他に例のない表現として、ユネスコから「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として、2011年に世界文化遺産に認定された。
これで少しは「平泉」の概要がつかめたと思うが、ちゃんと理解するには、さらに次の2つの疑問を紐解く必要がある。
1.「奥州藤原氏」はどういう家柄なのか?
2.「浄土思想」とは、何なのか?
そこがはっきりすれば、「平泉」の霧は大きく晴れるわけだが、実は「奥州藤原家」が登場する前から、「平泉」は都に注目されていた。
平泉の歴史❶
奈良時代まで蝦夷の領地だった「平泉」を平定したのは、日本で最初の征夷大将軍となった「坂上田村麻呂」

話は「奥州藤原氏」が登場する前に遡るが、奥州はもともと「蝦夷(えみし)」が暮らしていた土地で、馬・金・毛皮などの特産地として都に知られていた。
朝廷はその産物の利権を狙って奥州への侵攻を図り、征服後は帰属した「蝦夷」を「俘囚(ふしゅう)」と呼んで、その長に奥州の支配を任せていた。
「蝦夷」との戦いにおいて重要な役割を果たし、東北地方の安定に貢献した人物が「坂上田村麻呂」だ。

出典:Wikipedia
「坂上田村麻呂」は「桓武天皇」の命を受けて、平安遷都が行われた794年に「蝦夷」討伐を開始し、その後、征夷大将軍となった801年に平定している。
ところで、
「坂上田村麻呂」は、京都にある世界遺産「清水寺」の創建当初にかかわる重要人物で、誰もが知る”清水の舞台”は、もともと「坂上田村麻呂」の屋敷があったところに建てられていることをご存知だろうか。
そのゆかりから、「坂上田村麻呂」が「平泉」を拠点としていた「蝦夷」の首領「悪路王」を討伐した記念に建立したのが、今も残るこの「達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)」だ。

達谷西光寺の境内に建つ「達谷窟毘沙門堂」は、「坂上田村麻呂」がその加護に感謝を込め、京都の「鞍馬寺」から毘沙門天を勧請し、百八体の毘沙門天を「清水寺」の舞台を模して建立した、九間四面のお堂に祀ったのが始まりと云われている。
その特筆すべき由緒がゆえに、「達谷窟毘沙門堂」は世界遺産の構成要素と思われがちだが、さすがはユネスコ、世界遺産の登録内容である「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」とは、時代も建立の背景も異なることから、その対象には含めていない。
つまり本来「達谷窟毘沙門堂」は、「大和朝廷」と「蝦夷」の戦いの歴史の中で語られるべき史跡ということ。
そしてもちろん、東北各地には「志波城跡(盛岡市)」や「胆沢城跡(奥州市)」などの関連遺跡が、他にもちゃんと残されている。
さて。
「平泉」の本論はここからだ。
平泉の歴史❷
約300年にわたって続いた利権争いと、そこに絡むビッグネーム
「坂上田村麻呂」による蝦夷討伐から約250年を経た1051年、朝廷の東北平定により権勢を握った俘囚長の「阿部頼時」は、朝廷への貢租を滞納し反旗を翻す。
朝廷は陸奥守の藤原登任(なりとう)に「阿部頼時」討伐の命を下し、「前九年の役」が勃発した。
しかし戦況は「安倍氏」率いる奥州軍が優勢で、朝廷は「藤原登任」を京に呼び戻し、代わりに河内源氏の「源頼義」を陸奥守として戦場に送り込んだ。
「頼義」は隣国の俘囚長「清原武則」の協力を得て勝利し、「安倍氏」は滅亡する。
ちなみに「源頼義」は、舅(しゅうと)の平直方から継承した「鎌倉」を拠点に、源氏の基盤を東国に定めた人物で、「鎌倉」に「石清水八幡宮」を勧請し、源氏の氏神としている。
有名な「鶴岡八幡宮」を建立するのは、200年近く後世に現れる「源頼朝」だが、「源頼義」の基盤は長男の通称「八幡太郎義家」へと引き継がれ、東国における源氏勢力の隆盛の礎となった。
そしてその血が後の「頼朝・義経」兄弟、さらには「足利尊氏」へと流れていく。
さて。
この「前九年の役」において、朝廷側の人間でありながら敵方の奥州軍についた人物が、「安倍氏」の娘婿であった「藤原経清(つねきよ)」だ。
しかし奥州軍が敗北すると「経清」は捕縛され、処刑されてしまう。
「経清」の妻子も処刑の対象とされたが、妻は「安倍氏」討伐に功を上げた俘囚の「清原武貞」と再婚して難を逃れる。
この時の連れ子が、後に初代奥州藤原氏となる「清衡」だ。
「前九年の役」から20年を経た1083年(永保3年)、「清衡」は「清原氏」の所領をめぐる骨肉の争い「後三年の役」に巻き込まれるが、「源義家」の協力を仰ぎ対抗勢力を打倒。
「清原氏」の家督と奥州の支配権を掌握した「清衡」は、実父「経清」の姓である「藤原」を名乗ることとなり、ここで「奥州藤原氏」が誕生する。
かくして、
801年の「坂上田村麻呂」による蝦夷討伐から、「前九年の役」を経て、1087年に終結した「後三年の役」の、実に300年近い血みどろの利権争いを勝ち抜いた「藤原清衡」の、辿り着いた境地が『戦のない平和な社会』。
そしてそれを、論理的・精神的に支えたものが「浄土思想」だった。
ところで。
この時代の「藤原氏」といえば、2024年の大河ドラマ「光る君へ」に登場した「藤原道長」の摂関家が有名だ。
ご承知の通り、日本で最初に「藤原姓」を名乗ったのは、645年の「乙巳の変(昔で云う大化の改新)」で、のちに「天智天皇」となる「中大兄皇子」とともに蘇我氏を打倒した「中臣鎌足」。
その後、天皇から「藤原」姓を授かり、以降「藤原氏」は歴代天皇の信頼を得て勢力を拡大していく。
ただ「奥州藤原氏」と「藤原道長」の間に、明確な血縁関係は存在しないようだ。
「光る君へ」でも描かれていたが、都で出世する見込みのない「藤原氏」の子息は、地方官僚の国司となって都を離れ、その権威を利用して任地の中下層の武士を支配下に置いていた。
「奥州藤原氏」の祖先もそのひとりなるのだが、遠いとはいえ親戚関係にある摂関家、すなわち朝廷との関係が悪いわけでもなく、100年にわたって3代それぞれが、都とうまく付き合っていたようだ。
藤原三代
藤原清衡
摂関政治の時代に、貢物で朝廷の信頼を獲得し、中尊寺を造営。
藤原基衡
院政の時代に、朝廷から院へのシフトに成功し、毛越寺を造営。
藤原秀衡
源平の時代に、最盛期を築く。無量光院・加羅御所の造営と、柳之御所の再整備。
「奥州藤原家」が心酔した「浄土思想」とは…
平安時代の末期から鎌倉時代初めにかけて、豊富に産出する砂金をもとに栄華を極めた「平泉」は、「奥州藤原氏」が仏教に基づく理想郷とされる、「極楽浄土」の実現を目指して造営した政治・行政上の拠点である。
中でも初代の「藤原清衡」は、これまで続いた相次ぐ戦乱の犠牲者が、敵味方の区別なく浄土に往生できるようにとの想いから、「中尊寺」を筆頭に数々の寺院を復興・建立し、「平泉」を浄土にするべく尽力している。
その想いを支えたのが、阿弥陀仏の本願力によって、全ての人が救済されるという「他力本願」が特徴の「浄土思想」だ。

平安時代の中頃は、「釈迦」が死んでから2000年後に「仏法(釈迦の教え)」が衰えて、世の中が乱れるという「末法思想」が広まっていた。
それに対して、比叡山で修行を積んだ天台宗の高僧「源信」は、この汚れた世に生きている自分たちは、恐ろしい地獄に落ちる運命にあるが、「浄土教」の修行をすれば、西方の「極楽浄土」で往生 (生まれ変わること)できると説き、その修行として、ひたすら念仏を唱えることと、「極楽浄土」の様子や「阿弥陀如来」の姿を心に描くこと(観相)を勧めていた。
折しもこの時期、国内では天災や飢饉・疫病などの災難が続き、当時の人々はこの世の終わりが近づいていると受け止め、「源信」の説く「浄土教」の信者が急増する。
浄土教と浄土宗の違い
少し余談になるが、「浄土教」は正しい教えを学んで極楽で成仏することをゴールにしているが、「浄土宗」は極楽に行くこと自体がゴールの教えだ。
また「浄土教」は、「最澄」の「天台宗」や「空海」の「真言宗」の教えを受け入れるが、「浄土宗」はそれらとは異なる教えを唱える「法然」の「宗派」になる。
ただ「法然」は1133年生まれで、「平等院」ができた頃はまだこの世にいない。
さて。
「浄土教」の影響を受けて都の郊外に建立されたのが、世界遺産の「平等院」だ。

「平等院」ができた1052年は、その「末法」の初年に当たるが、「浄土教」はたちまち貴族の間でも広がり、「極楽浄土」や「阿弥陀如来」の姿を目で見て、心に描きやすくするような建物・絵・彫刻などが盛んにつくられた。
実は「平泉」にも、三代目の「秀衡」が「平等院」を模して建立した「無量光院」の寺院跡がある。

だがこれは、ここまでの話を知らなければ、なんの価値も感じない(笑)。
そこで役立つのが、VR(ヴァーチャルリアリティ)だ。

出典:IBC岩手放送
「無量光院跡」で「平泉タイムスコープ(VRゴーグル)」を借りると、このような映像を見ることができる。

また「平泉」の「無量光院跡」から、30キロほど北上した奥州市の江刺にある「歴史公園 えさし藤原の郷」に行けば、実際に再現建造されたレプリカの「無量光院」を見ることができる。

「歴史公園 えさし藤原の郷」は、4代にわたる奥州藤原氏の興亡を描いた、1993年(平成5年)放送のNHK大河ドラマ第32作「炎立つ(ほむらたつ)」の撮影用に作られた大規模なオープンセットで、撮影終了後も存続できるよう歴史公園として整備されている。
それもあり、ほかにも数々のNHK大河ドラマのロケ地として知られている。
ここまで長々と説明してきたが、云ってみればここまでが「プロローグ」。
次はこういう知識を得た貴方が、現地で重要なところを見落とさないための情報をお届けするとしよう。
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