歴史が好きで経験豊かな「車中泊旅行家」が、出かける前に知っておきたい、「萩」観光の秘訣と見どころの優先順位を明快に解説しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「萩」の観光スポットの双璧は「城下町」と「松陰神社」で、キーワードは「長州藩」と「吉田松陰」。

「萩」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2009.05.09
2010.10.11
2011.04.24
2013.03.11
2015.05.06
2022.04.27
2025.11.23
「萩」での現地調査は2025年11月が最新です。
「萩」観光の秘訣と優先順位

あらゆる観光に通じる秘訣は、「森を見て、枝を見てから、木を見ること」
あらゆる観光に通じる秘訣は、「森を見て、枝を見てから、木を見ること」

往々にして観光ガイドというものは、する方も受ける方も、いきなり『この建物がどうのこうの』とか『この人物はあ~のこ~の』と、目の前に見えているものの紹介から始まる。
しかし「萩」ほどの広いエリアを観光するには、それより前段階の説明が必要だ。
ひとつは、なぜ「萩」はこんなにも有名なのか?
その理由が、あなたにとって魅力的でなければ、『行く必要』がないと思う。

また、もし『そりゃ世界遺産に登録されているからでしょ』とか、『小京都と呼ばれるくらい、江戸時代の端正な城下町が今も残っているからでしょ』なんて答えを思いつくとしたら、あなたはまだ『いい観光情報サイト』に出会えていない(笑)。
そのような説明では、せいぜい見えても「枝」までで、「森」を見ることはできず、結局『根源的な答え』には辿り着けない。
筆者もその答えを下の1本の記事にまとめて紹介しているが、たぶん中身はまったく違っているはずだ。
そしてもうひとつは、広い萩の町に点在する見どころを、「無理・無駄・ムラ」なく、限られた「時間・体力・資金」を有効に使って観光するには、どうすればいいのか? になる。
残念ながら世の中には、『総花的に片っ端から観光スポットを紹介するだけしておいて、あとは行くあなたがお選び下さい』的な観光情報サイトが多く、事実上、ほとんど役には立たない。
とどのつまりは時間切れとなり、「あてずっぽう」で現地に出かけることになる…

10年以上プロのライターとして、全国各地の旅行情報を書いてきた筆者は、取材のたびにそれでずいぶん苦労をさせられた。
毎朝、朝ドラで流れる
♪こんな~じゃ、駄目だと怒ったり~♪
じゃないが(笑)、
その経験から、この記事を書いている。
「萩」観光の秘訣

出典:萩市観光協会
まずはマップを広げて、「萩」の見どころの分布を調べる。
そうすれば、主な見どころを全部歩いて回ることが困難であることに気がつく。
つまり「萩」の観光はクルマで移動するほうがいいわけだが、そうなるとそれぞれの見どころの近くにある、ベストな駐車場探しも必要になる。
次は優先順位を決めること。
そうすれば近い順にまわるより、キーワード別に訪ねるほうがいいことにも気がつくはずだ。
公共交通機関でやってくる旅行者を意識している観光情報サイトは、近いところをまとめて紹介したがるが、実際に観光する時は、関連性のあるところを続けて見るほうが、絶対分かりやすいに決まっている。
すなわち、
「萩」観光の秘訣は、ネット上にある観光情報を、『クルマ旅用にカスタマイズして計画を立てる』ということだ。
「計画」を立てるのは、その答えをタイムスケージュールに落とし込むためだが、それは転じて、想定通りに行かない場合のシミュレーションにもなる。
計画時点で、いざという時はどこを切り捨てる、あるいはどこから翌日に繰り越すなどの”切れ目”を、あらかじめ想定しておけば、大崩れをせずに済む。

予約の要らない車中泊のクルマ旅には、計画の繰越しがしやすいメリットがあるのだが、「萩」周辺には十分すぎるほど道の駅が揃っているので、車中泊での観光にも適しているといえる。
「萩」観光の優先順位

筆者が考える「萩」観光の優先順位は以下の通りだ。
1.萩城下町
2.松陰神社
3.萩城(跡)
4.残りの世界遺産
5.NHK大河ドラマ「花燃ゆ」と「吉田松陰」ゆかりの地
中でも「双璧」と呼べるのが、世界遺産にも登録されている「萩城下町」と、「松下村塾(しょうかそんじゅく)」を敷地内に有する「松陰神社」だ。
3から下は、マニアック度が一段あがる。

例えば「萩城(跡)」は、世界遺産の構成要素であり、「日本100名城」にも名を連ねているが、既に天守・櫓・門などの建造物はない。
そのため、山城と平城の両面性を持つ城の遺構として、専門家やマニアからは評価されているものの、観光要素には欠けており一般受けはしないと思う。

「残りの世界遺産」とは、「萩反射炉」「恵美須ヶ鼻造船所跡」「大板山たたら製鉄遺跡」のことで、くくりとしては「萩城下町」「松下村塾」同じ、「明治日本の産業革命遺産」の構成要素ではあるものの、明らかに性質が違う。
どちらかと云えば、こちらのほうが「明治日本の産業革命遺産」というテーマに似つかわしいのだが、ここもそれを理解するには「明治日本の産業革命遺産」とは何ぞや? から始める必要があるだろう。
ちなみに「明治日本の産業革命遺産」の構成要素は、日本全国の8県11市に23ヶ所点在している。

そして最後の「花燃ゆ」と「吉田松陰」ゆかりの地は、10年前の2015年に放送されたNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」のストーリーと、その前半の主役だった「吉田松陰」の詳しいプロフィールを知らなければ、興味すら湧かないと思う。
筆者はこれまでに7度「萩」の町に足を運び、ほぼそのすべてを見てきたが、そこまでしたい観光客は、全体の「一握り」もいるかどうかだろう(笑)。
ということで、ここから先は優先順位をつけた5つの見どころを、強弱をつけて紹介していこう。
行く行かないは別として、「萩」の奥深さを知っていただければいいと思う。
萩城下町

筆者が「萩」観光の”双璧”に挙げている「萩城下町」と「松陰神社」については、説明が長くなるので、それぞれ別の記事に詳細をまとめている。

ただ「萩城下町」を観光する際は、片道2キロ以上離れた「萩城跡」と分離して周ることと、旧宅がある家臣のプロフィール及び萩焼や夏みかんなどの「トリビア」をあらかじめ調べておくほうが、現地で楽しい思いができると思う。
それを踏まえた、筆者の記事がこちらだ。
松陰神社

「萩」の観光情報に、必ずその名が登場する「松下村塾(しょうかそんじゅく)」は、長州藩士で明治維新の事実上の精神的指導者と慕われる、思想家で教育者・兵学者であった「吉田松陰」が、若き日に教鞭をふるった私塾で、その建物が敷地に残されているのが「松陰神社」だ。

以下の記事には「松陰神社」の概要に加えて、「吉田松陰」のプロフィールと「松下村塾」の塾生を含む話を記している。
萩城跡

「萩城」は「関ヶ原の戦い」で西軍の総大将をつとめた「毛利輝元」が、「徳川家康」から敗軍の責を問われるかたちで、完成して間もない「広島城」から「萩」へと転封された際に築城された、「毛利家」にとって「長州藩」として新たな”出直し”の舞台となった城だ。

出典:萩市観光協会
三方を海に囲まれた三角州に築城されているものの、縄張りに取り込まれた「指月山」で沖からの侵略を封じつつ、本丸がある山麓部は、周囲に石垣と土塀を配した本格的な城郭になっており、「指月城」とも呼ばれていた。
しかし幕末の1863年(文久3年)に、13代藩主「毛利敬親(たかちか)」は、海辺にあって大砲を備えた外国船からの攻撃を防ぐことが困難な「萩」から、内陸部で防長2ヶ国の中心付近にあり、藩内各地への指揮伝達に便利な「山口」に藩庁を移転する。

以降、「萩城」の機能は縮小され、1873年(明治6年)に新政府から払い下げの令が下ると、翌年には天守や櫓、門などがすべて解体された。

現在は「指月公園」として整備され、往時の名残としては、二の丸入口近くに、かつての武家屋敷であった「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」が現存しているだけだ。
「萩城」のさらに詳しい情報はこちらで。
なお最寄りの駐車場は、普通車51台が停められる無料の「指月第一駐車場」になる。
その他の世界遺産

まず世界遺産についてだが、
2015年7月に、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として、九州を中心に日本全国の8県11市にある23の資産が、世界文化遺産に登録された。
そのうち萩では、「松下村塾」「萩城下町(萩城跡を含む)」「萩反射炉」「恵美須ヶ鼻造船所跡」「大板山たたら製鉄遺跡」の5つの資産が、日本の近代化・産業化の歩みが分かる遺産として登録されている。
ただ、その大多数が製造・技術関連の施設であって、前述したように思想や暮らしにおける歩みの資産にあたる「松下村塾」と「萩城下町(萩城跡を含む)」には、”こじつけ”的な違和感が否めない。
それなくしても、残る3つの世界遺産には「なるほど」と思える理由がある。
実は「萩」で認定されている残りの3つの構成要素は、「製鉄」・「鋳造」・「造船」の、まさに「三位一体」で、迫りくる海外の脅威から領土を守るための設備で、欧米列強の脅威を肌で感じていた「長州藩」らしい設備なのだ。
大板山たたら製鉄遺跡

ジブリのアニメ映画「もののけ姫」でも描かれていた「たたら」は、鉄の原料である砂鉄と燃料の木炭を炉に入れ、鞴(ふいご)を用いて行う日本の伝統的な製鉄方法で、「萩」では江戸時代に行われていた。
原料の砂鉄は島根県から北前船を利用して「奈古港」に荷揚げされ、「大板山のたたら場」で作られた鉄は、「恵美須ヶ鼻造船所」で建造された「丙辰丸」の釘や碇などの部品にも使用されていた。
萩反射炉

反射炉は西洋で開発された金属溶解炉で、江戸時代末期の1855年(安政2年)に、「長州藩」は主に鉄製大砲の鋳造に必要な反射炉の導入を図るため、その操業に成功していた「佐賀藩」に藩士を派遣し、溶解炉の建設と鋳造法の伝授を申し入れる。
しかし思想方針の違いから拒絶され、許されたスケッチをもとに、この「萩反射炉」を建設したという。
ただ「長州藩」の記録で確認できるのは、その翌年に試験的に金属の溶解実験が行われたということだけで、現存している「萩反射炉」は、試作用の施設だったと考えられている。

ちなみに反射炉の遺構は、「萩」のほかに静岡県の「韮山」と、鹿児島県の「旧集成館」にもあり、設備としての完成度は、より規模の大きな「韮山」がもっとも進んでいた。
恵美須ヶ鼻造船所跡

1853年(嘉永6年)、江戸幕府は各藩の軍備・海防力の強化を目的に大船建造を解禁し、「長州藩」に対してもその建造を要請してきた。
それを受けて近海を視察し、萩市小畑浦の海岸に製造されたのが「恵美須ヶ鼻に軍艦製造所」だ。
「恵美須ヶ鼻に軍艦製造所」では、まずロシアの技術を移入し、「長州藩」最初の西洋式木造帆船「丙辰丸(へいしんまる)」が造船されたが、その後、長崎経由でオランダの技術を移入し、1860年(万延元年)に2隻目の西洋式木造帆船「庚申丸(こうしんまる)」が進水している。
番外編
「花燃ゆ」&「吉田松陰」ゆかりの地

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインは、「高杉晋作」と「久坂玄瑞」、さらには「木戸孝允(桂小五郎)」「伊藤博文」など、幕末から明治の黎明期に活躍した志士を育てた「吉田松陰」の末妹で、後に「久坂玄瑞」の妻となる、「井上真央」が演じた杉文(後の楫取美和子)だ。
とはいえ、「萩」が舞台となっていたドラマの前半戦は、「吉田松陰」が実質的には主役のように扱われていた。
ただ「安政の大獄」で「吉田松陰」が亡くなり、明治維新を迎えてからは、姉の夫でもある「楫取素彦」(かとりもとひこ:別名小田村伊之助[おだむらいのすけ])が、「吉田松陰」に代わって脚光を浴び、舞台も群馬県と東京に移っていく。

出典:NHK
「花燃ゆ」で「大沢たかお」が演じた「楫取素彦」は、1876年(明治9年)に群馬県令となり、「富岡製糸場」の運営に尽力し、閉場の危機を迎えた際には、官営での経営を強く訴え、苦境を乗り切った。

官営として存続した「富岡製糸場」は、その後三井家に払い下げされ、紆余曲折を経て世界遺産となった。
ただここでは、その前半に登場した『吉田松陰ゆかりの地』で、ここまで紹介していないところを取り上げている。
萩藩校明倫館(現在の萩・明倫学舎)

「萩藩校明倫館」は、1719年(享保4年)に5代藩主「毛利吉元」が家臣の子弟教育のために開いた藩校で、約5万平方メートルもの敷地内に、学舎や武芸修練場、練兵場などがあった。
現在の跡地には「萩・明倫学舎」が建っているが、水練池や有備館(剣術・槍術場)などの遺構が残されている。
幼少期にここで学んだ「吉田松陰」は、10歳で兵学師範として教壇にあがり、11歳の時には藩主「毛利敬親(もとちか)」の御前で兵学講義を披露し、驚かせるほどの秀才ぶりを見せたという。

後に「吉田松陰」と「楫取素彦(小田村伊之助)」はここで教鞭をとっているが、明倫館出身の主な人物には、「高杉晋作」「桂小五郎(木戸孝允)」「井上馨」「乃木希典」などの著名人も多い。
またここには、土佐藩を脱藩する前の、若き「坂本龍馬」も訪れている。

近くには「萩・明倫センター駐車場」があるが、「萩藩校明倫館」へは「中央公園駐車場」からも歩いて行ける。
萩・明倫センター駐車場
普通車(約180台)/310円(1日)
大型車(10台)/1,050円(1日)
24時間利用可能(料金は午前0時で更新)
野山獄

「野山獄」は、1854年(安政元年)に海外密航に失敗した「吉田松陰」が収監され、1年2ヶ月の間、獄中生活を過ごした場所だ。
「松陰」は、そこで仲間の囚人たちに孟子の講義を行ったが、獄吏までもが廊下で耳を傾けたとされる。また自らも俳諧や書道など、囚人たちが得意とする分野の学問を教わっていた。

出典:NHK
余談になるが、
大河ドラマ「花燃ゆ」では、この時に「野山獄」に収監されていた、女優の「井川遥」が演じる「高須久子」が、あまりに艶めかしく、完全に「松蔭」役の「伊勢谷友介」を食っていた(笑)。
ちなみに「野山獄」には、明治維新直前の文久・元治年間(1861~64年)に、長州藩内の幕府恭順派に主導権を奪われた、「高杉晋作」や「楫取素彦」ら多くの志士も入牢している。
なお「野山獄」に駐車場はないが、中央公園駐車場から約1キロなので、歩いて行ける範囲ではある。
吉田松陰 墓所

萩にある「吉田松陰」の墓は、誕生地に隣接した「団子岩」と呼ばれている、小高い風光明媚な場所に建てられている。

いっぽう萩では、1860年2月に生家の「杉家」で百カ忌を営まれ、家族や親戚・門人が出席して霊を弔うと同時に、遺髪を埋葬し、松陰の墓碑を建立している。

なお墓地の近くには、数台が停められる無料の駐車場がある。
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