25年のキャリアを誇る車中泊旅行家がまとめた、岡山県の桃太郎伝説にゆかりのある「吉備津神社」の車中泊旅行ガイドです。
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この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「吉備津神社」は、古代・吉備王国の敗者と勝者の記憶が重なる不思議な聖地

吉備津神社の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2016.12.03
2025.12.28
「吉備津神社」での現地調査は2025年12月が最新です。
吉備津神社

吉備津神社のロケーション

「吉備津神社」は「吉備の中山」の西麓に鎮座する、かつての吉備国の一ノ宮だ。

出典:日本遺産ポータルサイト
「吉備の中山」は標高約175メートルの低山で、吉備平野が一望できる海・川・山の境界に位置し、円錐形の美しい姿を持つことから、自然崇拝が行われていた弥生時代には、神が宿る山を意味する「神奈備(かんなび・かむなび)」と崇められていた。
古墳時代を迎え、「ヤマト王権」と肩を並べるほどの勢力を持つ「吉備王国」が成立すると、「吉備の中山」には支配族の祖神・守護神を祀る祭祀の場が設けられ、同時に周辺には「ヤマト王権」との政治同盟の証とされる、巨大な「前方後円墳」が次々に築造され、「吉備の中山」は『王の山・祖霊の山』に位置付けされた。
万事がうまくいっていたこの時が、「吉備王国」の全盛期だったが、実はまだ「吉備津神社」は創建されていなかった…
筆者が知るかぎり、同じ話が書かれた「吉備津神社」の観光ガイドは見当たらないのだが、この情報なくして「吉備津神社」の謎、すなわち本質に迫ることはできない。
吉備津神社創建の背景

「岡山市公式観光情報」では、以下から「吉備津神社」の紹介が始まる。
「吉備津神社」の御祭神「大吉備津彦大神」は四道将軍として山陽道に派遣され、「温羅」という悪者を平定し、「吉備国」に平和と秩序を築きました。吉備国の総鎮守で、県内では最も古く大きな神社です。
これから単純に想像できるのは、
「大吉備津彦大神」=正義の味方
「温羅」=悪者
「温羅」のせいで苦しんでいた「吉備国」の領民は、助けに来てくれた「大吉備津彦大神」のおかげで平穏な日々を取り戻し、その感謝の想いを込めて「吉備津神社」に祈りを捧げた。
と思うのだが、史実は全然違う(笑)。
「大吉備津彦大神」=「ヤマト王権」から派遣されてきた将軍
「温羅」=「吉備王国」の国王
ちょうどこの頃、「ヤマト王権」はこれまでの地方王国との政治同盟を改め、権力の中央集権化を図ろうとしていた。
そのためこれまでの友好関係が崩れ、それに抗う「吉備国」を制圧するために、「ヤマト王権」から送り込まれた刺客が我らの王様を討ち果たし、それを機会に建てられたのが「吉備津神社」建立の真相だ。
すなわち、史実はまったくの真逆。
これではフェイクニースを拡散している、SNSユーザーと変わらない(笑)。
その経緯は以下の記事に詳しくまとめているので、ぜひ合わせてご覧いただきたい。
真実を知った筆者が最初に疑問を感じたのは、『よほどの悪政を行っていないかぎり、自分たちの国王が征服者に討たれて喜ぶ領民がいるのか?』ということだった。
いくら「ヤマト王権」が、立派なお社を建ててくれたとしても、敵を祀る神社をありがたがって参拝するとは、とてもじゃないが思えない…

同じような事例として「出雲大社」があるのだが、こちらには「温羅」にあたる「大国主神」が祀られているので、状況はまったく違っている。
この大きな矛盾をどう解決し、「吉備津神社」は「吉備国」の人々の信仰を得ていったのか…
筆者はそれこそが「吉備津神社」最大のミステリーで、「桃太郎伝説」どころの話じゃないと思っている(笑)。
吉備津神社が地元で愛されてきた理由

結論から云うと、その理由は征服者の「大吉備津彦大神」を祀りながらも、敗者「温羅」の霊を否定せず、また在地の信仰を阻むことなく、領民の生活を守る神社として機能してきたからだ。
つまり「勝者の神社」ではなく、「和解の神社」として振る舞い、それが地元の人々に受け入れられたということ。
ここはとても重要な部分なので、もう少し詳しい説明が必要だろう。

祀られているのは「征服者」だが、役割は「鎮護者」
前述したように、「吉備津神社」の主祭神である「大吉備津彦命」は、「ヤマト王権」から派遣された将軍で、吉備地方を平定した存在とされている。
しかし重要なのは、彼が『吉備を滅ぼした将軍』ではなく『吉備に根を下ろした王』として慕われている点だ。
何より「吉備津彦」という当地を冠にしている名前自体が、討伐後も吉備に留まり、統治・祭祀を行った証で、領民にとっては外来の侵略者というより、吉備の新しい守護者として受け止められた。

造山古墳 出典:岡山観光WEB
根付いていた土着の信仰を破壊しなかった
「吉備津神社」は、古代からの磐座信仰・山岳信仰の場であった「吉備の中山」という聖地の上に建立されている。
それは精神面でも『マウントを取る』意味合いがあったと思うが、「ヤマト王権」は在地の神々を排除することもなく、山・霊地・古墳的景観をそのまま残している。
これは吉備の信仰体系を包み込む形で「吉備津神社」が成立したことを意味し、新たな信仰を『外から押し付けるための宗教施設』ではなかった証といえる。

吉備氏の記憶を永遠に刻む、政治的な配慮
「吉備津神社」最大の特徴は、「温羅伝説」を公式に取り込んでいる点にある。
「温羅」は伝説では「鬼」のように描かれているが、実際は「吉備国」側の英雄・首長の記憶が歪められていると考えるのが自然だ。
ゆえに「吉備津神社」では、「温羅」の首塚「御竈殿」で「鳴釜神事」(怨霊の声を神意として聞く)を残し、討たれた側の霊を否定せず、むしろ鎮めて共存させている。
しかも「鳴釜神事」は、権力者だけでなく一般民衆が神意を問うための神事としても活かされ、『吉備の暮らしの神社』という位置づけを得ていった。
つまり「ヤマト王権」は神話を巧みに利用し、「温羅」という敵を”記憶の統合”で地元に残し、吉備を屈服させたのではなく、吉備がヤマトに組み込まれたことを納得させようとした。
そのうえ「吉備津神社」は、農耕守護・厄除け・雨乞い・災厄鎮めなど、吉備の人々の生活に直結する祈りも担っている。
こういう話を聞けば、『勝者を讃える神社』の域を超え、独自の宗教観を築いた「吉備津神社」が、古代日本における『もっとも洗練された“統合の象徴”』と称されることにも納得がいく。
吉備津神社の見どころ

ここからは建造物としての「吉備津神社」の魅力に迫ろうと思うが、その筆頭に挙がるのは、やはり本殿・拝殿だ。
「吉備津神社」の本殿は、正面に接続する拝殿と一体になっており、鳥が翼を広げたようにも見える「比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)」になっている。
それが全国で唯一の建築様式であることから、「吉備津造」とも呼ばれている。
現在の本殿・拝殿は、約600年前の1425年(応永32年)に、「足利義満」により再建されたもので、1952年(昭和27年)に国宝指定されている。

その次の見どころが、本殿から南へと続く360メートルのこの長い廻廊だが、
何ゆえに、こんな長い廻廊が作られたのだろうか?
行けば子供でも疑問に感じる話だと思うわけだが、なんとこれまた、ほとんどの「吉備津神社」の紹介サイトは、その話に触れていない。
いったい何をガイドしているの(笑)。
神社建築では正面(表)は南向きが最も格式が高いとされており、「吉備津神社」の「本殿・拝殿」も南に面しているため、「南隋神門」が正門=表門の役割を果たしている。

つまり廻廊が長い理由は、北から南へと登って「南隋神門」から「本殿・拝殿」に向かうこのルートが、古くから表参道とされてきたからに他ならない。

ゆえに参道の途中で、前述した「鳴釜神事」が行われる「御釜殿」に通じる廻廊が枝分かれをしている。

ただ、現在は駐車場の関係で北側や西側から参拝する人が多く、表参道の意味が薄れているのは事実だ。
実際にクルマで行くと、『ほんまかいな』と疑いたくなるほどの”大回り”になるのだからしかたがない(笑)。
吉備津神社
〒701-1341
岡山県岡山市北区吉備津931
☎086-287-4111
開門5時・閉門18時
境内拝観無料

駐車場
普通車400台
60分300円
※最初の20分無料
12/31~1/5は1回500円
24時間営業
吉備津彦神社

これで「吉備津神社」の話も終わりかなと思ったら、もうひとつ謎は残っていた。
それはこのマップに出ている「吉備津彦神社」の存在だ。
両者の距離は約2キロ。
「吉備の中山」を挟んで、西の麓に「吉備津神社」東の麓に「吉備津彦神」があるとはいえ、なぜこれほど近くに同じような名前の神社が残されているのだろう?

実はここにも、驚くべき理由がある。
結論から云うと、「吉備津彦神社」に祀られているのは、吉備の人々が英雄・祖神と仰いだ「大吉備津彦大神」で、この神社は「吉備津神社」よりも早い時代に、「大吉備津彦命」の宮居跡に創建されたと伝えられている。
要はそれまでの支配族のリーダーだった「温羅」よりも、「ヤマト王権」から派遣されてこの地に入り、新たな統治者となった「大吉備津彦大神」の仁政を、吉備の領民は認めたわけだ。
おかげで俗に云う「吉備氏」は、
歴史的始祖:不詳(温羅かもしれない在地有力首長)
実質的始祖:吉備津彦命
という二重構造になっていて、慣習的には「吉備津彦命」が「吉備氏」の始祖とされている。
ゆえに「吉備氏」の祖である「吉備津彦命」の没後、その霊徳を祀るために「吉備津彦神」が創建された。
それなら、「吉備津神社」は要らないのでは?
ごもっともだと思う(笑)。
にもかかわらず、2つの神社を併存させた理由は、かつては「ヤマト王権」に匹敵する勢力を誇った吉備の統治を、一度の征服では安定させきれなかったからだ。
そこで始祖だけを祀る「吉備津彦神社」とは別に、よりグローバルに地元豪族・民衆の守護を図る「吉備津神社」を上乗せし、『ヤマト王権が整えた国家的な吉備の総社』に仕立てあげた。
「温羅」の怨霊を鎮める礼拝所が、「吉備津神社」にしかないのはそのためだ。
その他の「吉備津彦神社」に関する詳細はこちらで。
まあ、見れば見るほど後付けが多すぎて、何がなんだかわからなくなるのだが、普通は「吉備津神社」と「吉備津彦神社」を”はしご”することはないと思う(笑)。
それより「吉備津神社」を見たら、「鬼ノ城」に行かれることをお勧めする。
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