このコーナーには、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、原稿作成のためのメモ代わりに書き残してきた「忘備録」と、旅でのエピソードを綴ったエッセイを収録しています。
真冬の阿蘇山は「凍る」(笑)。
そのことは2年前に体験しているので、今年は周囲の見どころを探るつもりでやってきた。とりわけ楽しみにしてきたところが「ラピュタの道」だ。
スタジオジブリの気アニメ「天空の城ラピュタ」にちなんで、いつしかそう呼ばれるようになったというこの道は、阿蘇谷から北外輪山に至る細い坂道で、正式名称を「阿蘇市道狩尾幹線」といい、地元の人々からは「狩尾の坂」「狩尾坂」「狩尾峠」「狩野牧野道路」などとも呼ばれている。
ここが一番のビュースポット。
晩秋にはこの丘の向こうに壮大な雲海が広がるが、残念ながらこのようなタイムリーな写真は地元の人にはかなわない(笑)。
さて、「ラピュタの道」が観光ガイドなどで大きく取り上げられない理由が、現地に行って判明した。
ここは牛や牧草を運ぶために設けられた市道で、対向場所や途中の駐車スペースなどがほとんどない。
そのため地元は、観光客がこぞってやってくることを恐れているようだ。たしかに今のままでは、仕事の邪魔にもなるし、事故が起きるかもしれない…
PS 2017.4
2016年の熊本地震で、「ラピュタの道」は崩落。2年以上過ぎた今もまだ、復旧の目処は立っておらず、正真正銘の「通行不可」になっている。
ちなみに熊本地震以降の様子は、こちらのサイトで確認できる。
その次に向かったのは、内牧(うちのまき)温泉。道の駅阿蘇から10分とかからない、好立地にある昔からの温泉地だ。
町の中を歩いてみると、安くてユニークな温泉館が点在している。
トイレがある広々とした無料の観光駐車場が用意されており、車中泊で温泉めぐりをする人にとっては、居心地もそう悪くはないように見えるのだが、平日とは云え町に活気は感じられなかった。
とはいえ、中には行列のできる店もある。どうやらこの温泉地は、「町ぐるみ」というよりも、個々に頑張る宿や店が何件か存在していることで成り立っているようだ。
もちろん、並んでいるのは若者たちばかり。食べログのパワー恐るべし(笑)。
その後は、阿蘇神社に参拝して、阿蘇の湧水を汲み、この日は熊本市内に住む友人宅を訪ねた。
一夜明けて… 熊本市内の取材に向かう。
長崎や松山もそうだが、それにしても市電が通る町の走りにくさといったら半端じゃない(笑)。これなら大阪市内や名古屋市内の方がまだマシかも…
さて。熊本といえば加藤清正が建て、細川の殿様が育み、西南戦争の舞台にもなった「熊本城」が有名だが、既に一度見ていたのと、ここをしっかりチェックするには、最低でも2時間はかかることから、今回はパスして他をまわる。
テーマは熊本偉人伝。
筆者のサイトには、歴史の特集コーナーもある。
横井小楠(しょうなん)という学者は、熊本藩の改革には失敗するが、福井藩の松平春嶽(しゅんがく)に招かれて政治顧問となり、江戸時代末期の幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍する。
坂本龍馬は勝海舟の使いで松平春嶽に海軍操練所への融資を嘆願に行くが、その際に感銘を受け、以降通算6度、横井小楠に教えを乞いに出向いている。
こちらは大河ドラマ「八重の桜」で、同志社大学の学生として登場していた徳富蘇峰(そほう)と蘆花(ろか)兄弟が少年時代を過ごした住居跡。
徳富蘆花は晩年、群馬県の伊香保温泉を愛し、そこで生涯を終えている。また卒業後も新島襄を支えた徳富蘇峰は、京都東山の同志社墓所で新島襄、八重とともに眠っている。
松山で坊ちゃんを書いた夏目漱石は、その後熊本で高校の英語教員となり、ここから留学生として世界に羽ばたいていく。こちらは「坂の上の雲」関連で立ち寄ることに。
最後は、巌流島で佐々木小次郎を破った宮本武蔵。吉川英治と司馬遼太郎の両巨匠が小説で描き、最近では2014年3月に、キムタク主演のテレビ朝日開局55周年記念番組として放送されている。
武蔵は岡山県美作の生まれと伝承されるが、晩年は熊本城主・細川忠利に客分として招かれ、この地で『五輪書』を執筆し生涯を閉じた。その頃に製作した画や工芸などの作品を所蔵しているのが、この島田美術館だ。
市内取材の最後を大黒屋の熊本ラーメンで締めて、午後からは山鹿温泉へと向かった。長くなったので続きは次回へ。