25年のキャリアを誇る車中泊旅行家がまとめた、福島県の会津若松に近い「大内宿」の概要と車中泊事情です。
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この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づき、全国各地の「クルマ旅にお勧めしたい観光地」を、「車中泊旅行者目線」からご紹介しています。

~ここから本編が始まります。~
「大内宿」は会津への旅の途中で絶対に立ち寄りたい、車中泊クルマ旅向きのお勧めスポット

大内宿 DATA
大内宿
〒969-5207
福島県南会津郡下郷町大内
☎0241-68-3611(大内宿観光協会)
8時~17時(同上)・無休
※店舗は9時からの営業が多い
「会津エリア」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2009.07.22
2010.08.23
2013.08.21
2023.05.26
※「大内宿」での現地調査は2023年5月が最新で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2025年5月に更新しています。
大内宿の概要と車中泊事情

大内宿のロケーション

江戸時代に、現在の福島県「会津若松」と栃木県「日光」を結ぶ「下野(しもつけ)街道:別名・会津西街道」の宿場町として栄えた「大内宿」は、国道121号から少し山あいに入った静かな里にあり、今や年間に100万人とも云われる観光客が訪れる、福島県でも指折りの人気スポットになっている。

出典:大内宿公式サイト
「会津」方面に国道121号でアクセスしてくる旅人には、『文句なしのお勧め立ち寄りスポット』だが、高速道路の場合は、「磐越道・会津若松インター」から約30キロ・クルマで45分近く離れているので、往復するとほぼ60キロ…
『それに見合うだけの価値があるか?』
と聞かれると、答えは微妙だ(笑)。
だが「会津」に行くのなら、一度は訪ねてみたい場所であることに間違いはない。
なお国道121号で「日光」「那須」方面から「会津若松」を目指すと、先に「塔のへつり」の案内表示が現れる。

「へつり」は会津地方の「険しい断崖」を意味する方言で、「塔のへつり」は阿賀川による長年の浸食と、風化によって形成された、柱状の断崖が連なっていることから、国の天然記念物に指定されている。
といっても、見られる場所はここだけ…
正直云って、「わざわざ行くだけの価値」があるとは思わなかった。

もし行かれる時には、一番奥まで行く手前の「無料駐車場」を見落とさないように。

それを知らずに「塔のへつり」の前までクルマで進んでしまうと、小賢しい看板を立てた店の駐車場に誘導され、要りもしない土産物を買わされるハメになる(笑)。
大内宿の知られざる歴史

まるで時代劇のロケセットのような「大内宿」を目の当たりにして、大半の人の脳裏に浮かぶ『最初に疑問』は
●なぜこんな人里離れたところに、宿場町が作られたのか?
●なぜ400年近くも、当時に近いままの姿を保つことができたのか?
という、『大内宿の生い立ち』に関わる2点だと思う。
●なぜこんな人里離れたところに、宿場町が作られたのか?

福島県の「下郷町(しもごうまち)」にある「大内宿」は、「会津藩」の城下と「下野国(しもつけのくに)」の「日光」を結ぶ、「会津西街道」が開通した1640年頃に整備されている。
会津藩主の居城「鶴ヶ城」から江戸までは61里、5泊6日ほどの旅程だが、「鶴ヶ城」から5里の距離にある「大内宿」には本陣や脇本陣が設置され、「会津藩」を筆頭に「新発田藩(しばたはん)」「村上藩」「米沢藩」の参勤交代や、商人・旅芸人など様々な職業につく人々の往来、さらには東北地方で生産され、江戸や大坂に送られる「迴米(かいまい)」の集散地として、重要な役割を果たしていたという。
ところで。
「参勤交代」の行き先といえば「江戸」。
なのに、なにゆえ街道はわざわざ「下野」に向かっているのだろう?
お察しのとおり、答えはこれだよね~。

「会津西街道」は「日光東照宮」にほど近い、「今市」で「日光街道」に合流する。

出典:週刊現代
「日光街道」は歴代の徳川将軍が、江戸から東照大権現こと「徳川家康」への参拝、すなわち「日光東照宮」を訪れるために作られた道だが、各藩主に参勤交代のたびに、それを義務付けていたわけではない。
にもかかわらず会津藩の殿様は、まず「徳川家康」をお参りしてから、江戸に向かえるよう、「会津西街道」を整備したことになるのだが、それにはさらなる深い理由があった。

「会津西街道」を整備した初代・会津藩主「保科正之」は、江戸幕府2代将軍「徳川秀忠」の四男で、三代将軍「家光」の異母弟、さらに4代将軍「家綱」と5代将軍「綱吉」の叔父… しいては「徳川家康」を祖父に持つ、生粋の徳川家ゆかりの人物だ。

しかし「正之」は、母が「徳川秀忠」の正室「江(織田信長の姪)」ではなかったため、幼くして信州・高遠の「保科家」に養子に出され、そこで成人を迎えるが、「家光」の時代に頭角を現し、実力で23万石の「会津藩主」の座を得ている。
「正之」は幕府より「松平姓」を名乗ることを勧められていたが、養育してくれた「保科家」への恩義からこれを固辞し、生涯「保科姓」を通した。
そのため「会津藩」が松平姓と葵の紋を使用し、親藩に列されるのは、3代の「正容」になってからになる。
というわけで、
この当時「なんでこんなところに?」とは、誰も殿様に云えなかった(笑)。
でもこういうエピソードを読むと、多少は「会津」に興味が湧く人もあるのでは…
実はこの義理堅い「正之」の教えが、『220年後の会津藩』に不幸を招く要因になるのだが、その話はまた別の機会に。
●なぜ400年近くも、当時に近いままの姿を保つことができたのか?

さて。
南北に走る約500メートルの街道を中心に、40軒以上の茅葺き屋根の古民家が軒を連ねる、この「大内宿」の素朴で風情あふれる町並みが、ほとんど当時のまま現在に残っているのは『奇跡としか思えない話』だが、それができた最大の理由は「大内宿」が『半農半宿の宿場町』の道を辿ったことにあるようだ。
江戸時代の中期以降、「西会津街道」は幕府による参勤交代ルートの強制的な変更と災害に晒され、衰退の中で「半農半宿」の宿場町へと姿を変えていった。
ただそのおかげで、1868年の戊辰戦争時に大内村は戦場となったが、「大内宿」は戦禍を逃れている。
明治を迎えると、今度は「会津西街道」に代わる新道「会津三方道路」が整備され、「大内宿」はますます主要な幹線ルートから遠のいた。
そして1899年に、「日本鉄道(現・JR東北本線)」と接続する「岩越鉄道(現・JR磐越西線)」が「若松駅(現・会津若松駅)」まで開通すると、会津と関東間の物流は南会津を通らなくなり、「大内宿」の宿場としての地位は完全に失われた。
しかし、時が経てばそれが幸いするのだから、世の中捨てたもんじゃない。
近代化が遅れたことで、結果的に江戸時代の面影をそのまま留めることができた「大内宿」は、1981年(昭和56年)に全国で3番目となる国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、観光地として新たな道が開ける。

現在「大内宿」にある茅葺き屋根の建物の多くは、民宿や郷土料理を提供する食事処、あるいは伝統工芸品を売る土産店などをなりわいに、江戸時代のように各地から訪れる客人をもてなしている。
大内宿の見どころ&&ソウルフード

「大内宿」最大の見どころは、『江戸時代の風情を残す宿場町そのもの』だ。
それを体感するベストな方法は、まずは店や展示施設に立ち寄らず、街道をゆっくり歩いて、突き当たりの「湯殿山」にある「見晴台」を目指すことにある。
修学旅行生ではないのだから、「土産屋」や「町並み展示館」を見たり、名物の「ねぎそば」や団子の「しんごろう」を食べるのは、「見晴台」から駐車場までの帰り道でかまわない。「大内宿」は一本道だ。

なお、宿場町は奥に進むほど両側の店頭が「賑やか」になり、悪く云えば「世俗的」になってしまので(笑)、「江戸町風情」を切り撮って帰りたい人は、入口付近から街道を写しておくといいだろう。

こちらが入口からは約500メートル、ゆっくり歩いても10分ほどで到着する、「大内宿」の”終点”「湯殿山」の登り口。
階段の上の右手に人の姿が見える高台が、宿場町全体を見下ろせる「見晴台」だ。
ちなみに「湯殿山」はバリアフリーになっており、健常者用の階段のほかに、車椅子を想定したスロープが設けられている。

そしてそこから見えるのが、この『お馴染みの風景』だ。

さて。
帰路では、本陣跡地中央に建つ「大内宿町並み展示館(大人250円)」に足を運んでいただきたい。
ここは「大内宿」が誕生するきっかけを作った、名君「保科正之」ゆかりの場所だ。

「大内宿」の本陣には、前述した会津藩初代藩主「保科正之」と二代藩主「正経」が、総勢600人もの家来衆とともに江戸参勤のため立ち寄り、昼食をとった記録が残されている。
ただ「大内宿」では、本陣に関する記録・図面等が散失したまま発見されなかったため、現在ある建物は同じ街道の「糸沢宿」と「川島宿」の本陣を参考に設計し、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された後の、1984年(昭和59年)に復元されたものだ。

「大内宿町並み展示館」として復元した本陣には、殿様専用の玄関(乗りこみ)・上段の間・風呂・雪隠があり、当時の面影が色濃く再現されているという。

また館内では、当時の生活を再現した民具と茅葺きに関する資料も展示している。
「大内宿町並み展示館」の営業時間は9時から16時30分、年末年始以外は無休。

ちなみに茅葺き屋根で思い起こすのは「白川郷」だが、「大内宿」の茅葺き屋根の葺き替えも、専門技術を持った茅手(かやで)と呼ばれる職人を中心に、村人が協力し合って行う「結」と呼ばれており、どちらも材料にはススキが使われている。
ただ同じ茅葺き屋根でも、「白川郷」の場合は「合掌造り」と呼ばれる特殊なもので、それが世界遺産登録のひとつの理由になっている。
大内宿のお勧めグルメは?

ビジュアルから云えば、「大内宿」グルメの筆頭はやはりこれになる(笑)。
ただそれはマスコミの立場にすればの話で、旅人に当てはまるとは限らない。

筆者は雑誌の撮影上、実際に注文しているが、ねぎでは食べるのに時間がかかり、味わってなどいられる気分にはなれないし、箸で食べれば意味がない。
すなわちこれは一種の「アトラクション」で、「天橋立」に来たら「股のぞき」をするが如く、『大内宿に来たら、アレをやらなきゃ!』という類の話だ。
ゆえに食事とは切り離して考えたほうがいいし、いい大人が今さら喜んでやるほどのことでもないと思う(笑)。
しかも、このそばには少し誤解がある。
大内宿の名物は「高遠そば」というより「ねぎそば」で、これを「高遠そば」と思って信州や会津の市内で注文しても通じないし、店のメニューにもないはずだ。
会津で呼ばれる「高遠そば」は、初代藩主の「保科正之」が信州の「高遠」育ちで、「出羽」の藩主を経て「会津」に入城した際にも、「高遠」からそば職人を連れて来たことで、信州のそばが城下に広まったことに起因している。

その信州「高遠」の老舗で、筆者が食した「高遠そば」がこちら。

筆者は『会津の高遠そば』を求めて、会津若松市にある「二丸屋武蔵亭」にも足を運んでいるが、そこで食べた「高遠そば」にも「一本ねぎ」はついてこなかった。
つまり「大内宿」で「高藤そば」と呼ばれているのは、「辛味大根」を加えた「味噌・醤油系のつゆ」にそば切りをつけて食べる、信州の高遠界隈で食されていたそばの食べ方で、「一本ねぎ」は高遠とは無関係だと思う。
ただ「祝言そば」とも呼ばれる「ねぎそば」が、箸の代わりに一本ねぎを使うのは、「ネギのように細く長く、白髪の生えるまで長く生きる」という縁起かつぎに基づいているようで、その言い伝えがこの地にあったというのは史実だろう。
よく読むとメニューには正しい話が書かれていて、親切な店を選んだとは思うが、これでは勘違いしても無理はない。
それよりこういう大事な話が、「ねぎそば」を嬉しそうに紹介している、ほかの記事に書かれていないことのほうが問題だろう(笑)。
別に「ねぎそば」がなくても、「大内宿」の値打ちが下がることはなく、また下がることがないよう、正しいPRをしてこそ本物であるにもかかわらずだ。

筆者が思う「大内宿」のグルメは、時代劇にもよく登場する、和風ファストフードの「お団子」系だ。
参勤交代時に殿様が食べていたものを用意できるなら、それもありだと思うが、
「大内宿」で、当時の旅人も気軽に食べていたであろうものを賞味してみるほうが、誰にとっても現実的だ。

「しんごろう」は、いわゆる「五平餅」の「大内宿」バージョンで、材料から焼き方、さらに味噌にえごまやクルミを混ぜたタレを使うところもよく似ているし、味に覚えのある人も多いと思う。
生みの親とされる「しんごうろう」さんと「五平」さんが、知り合いだったのか赤の他人だっのかはわからないが(笑)、ともに江戸時代の街道筋にある宿場町で売っていたので、それがどちらからともなく伝播したのだろう。
祝い事もない日に「ねぎそば」を食べるより、戦がなくなった太平の時代に、様々な人が利用した「大内宿」らしい食べ物を選ぶほうが、自然体でいいんじゃない。
大内宿の駐車場と車中泊事情

まず「大内宿」には、宿場町から近い順に、第1、第2、第3の有料お客様駐車場が道沿いに続けて用意されており、24時間出入りが可能だ。

また少し離れた「大内宿食の館そば道場」の隣にも、臨時用として未舗装ながら無料の駐車場が確保されている。

有料駐車場の料金は、普通車1回500円。マイクロバスは1,500円。
そのメインとなる写真の「第一駐車場」に、24時間トイレが設けられている。

駐車場利用の注意書きに、車中泊という表現は見当たらない。

24時間トイレがある建物は、ご覧のように横長で、前には屋根付きの通路がある。
ライダーやチャリダーの中には、ここにテントを張る人もありそうだね(笑)。

トイレにはウォシュレットが完備。

24時間トイレ前の”一等地”には、10台ほどのフラットな駐車スペースがある。
ええやんか!
確かにイベント等で大混雑が予測される時は、ここでの車中泊は有効だし、うらやむ人もあるだろう。
だが通常時に大事なことは、『大内宿はその駐車場で車中泊までして、観る必要性のある観光地なのか?』という判断だ。
結論から云うと、筆者はそうは思わない。
普段の「大内宿」は、2時間ほど滞在時間を見ておけば十分で、連休時でも朝9時に到着すれば、満車で停められないことはないと思う。
ちなみに、「日光」方面から「大内宿」に着くまでに日暮れを迎えるようなら、22キロほど手前に「道の駅しもごう」がある。
そこからなら30分ほどで「大内宿」まで行くことが可能だ。
また「大内宿」が最後の立ち寄り先になる場合は、北に向かって約35キロ・クルマで45分ほど走れば、町中で利便性の高い「道の駅 あいづ 湯川・会津坂下」に到着することができる。
大内宿のアクセスマップ
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